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第2話

恵理は机に突っ伏していた。


その周囲にはクラスメイトが集まり、まるで女王様のように彼女を気遣っていた。

体調が優れないと聞けば、誰もが心配そうに声をかける。


中でも一番心配していたのは、もちろん圭介だった。

彼は表向きは「ただの友達」と言っているが、実際は恵理の恋人。


テストでは、いつも彼と恵理が一位二位を争う常連。圭介は他人にはそっけないくせに、恵理にだけは優しい。


そんな二人は、誰の目から見てもお似合いだった。

まさに完璧なカップル。


そして、美也子はと言えば。

圭介に尽くしてばかりの、ただの下僕だった。


授業中はいつもウトウトして、休み時間になれば圭介のために水を買いに走り、食堂で昼ご飯を並ぶのが日課だった。

そして今、当然のように圭介が命令口調でそう言い放ち、彼女である恵理の薬を買いに行けと指示した。


その瞬間、美也子は確信した。

自分は生まれ変わったのだと。


本当に笑える。どうして今まで気づいていなかったの?

使われることを特別な関係の証と信じていた。他の誰でもなく、自分だけに頼ってくることが嬉しかった。


でも、死を経験して戻ってきた彼女には、圭介の素顔が滑稽で仕方なかった。

葛城圭介、何の権力を持って彼女を傷つくというの?


美也子が立ち尽くしているのを見て、圭介は苛立ったように言った。


「何ボサッとしてんだ!早く行け!」


そう言って、恵理の背をやさしくさすりながら隣に腰を下ろす。

恵理は困ったように視線を美也子に向けた。


「圭介、こういうの頼むの、ちょっと悪い気がするわ。自分で行くよ」


「気にすんなよ、あいつこういうの好きだからな。やらせとけばいいんだよ」


圭介は軽く笑って言い放ち、振り返って美也子を見た。


「な? お前、こういうの好きだろ?」


昔の美也子なら、笑顔で頷いてた。


圭介の機嫌が悪くなるのが怖くて、いつも先に謝って、媚びて、すがっていた。

彼の当然のような顔を見て、美也子はふっと口元に冷ややかな笑みを浮かべた。


中学校の食堂は、外部の業者が運営していた。

美味しいメニューはいつも数量限定で、昼休みになると、生徒たちは少しでも早く並んで争奪戦に挑んでいた。

出遅れれば、もう何も残っていない。


美也子は、いつも二人分を買っていた。自分の分と、圭介の分。

圭介は優等生で、時間のすべてを勉強に費やしていた。

彼とは違い、彼女は勉強してもしなくても同じ。


当時の彼女は、そう信じていた。

毎日のように彼のために昼食を買い、毎日のように尽くしていた。


気づけば学校中の誰もが、彼女のことを「葛城圭介の犬」と囁くようになった。


その後、圭介は恵理と急接近し始めた。

美也子が毎日二人分買っても、それでは足りなくなった。

なぜなら、圭介は自分の分を恵理にあげるようになったからだ。美也子は当然のように、自分の分を圭介に譲っていた。だから、学校ではおなかすいたまま過ごすことが多かった。




美也子は今日も食堂に並び、二人分のランチを買った。

その様子を見た近くの女子生徒が、嘲るようにクスリと笑った。


「忠犬がまた葛城圭介のために昼飯買ってるの?でも圭介君は高級車を乗るぐらいの御曹司だよ? 好きなのは恵理みたいな優秀な女の子だけ。あんたみたいな安ぽっい女、眼中にないって」


「へぇ、私って安ぽっい女なの?」


美也子は首を傾げ、興味ありげに聞いた。


「だって、あんたは使用人の娘じゃん?毎日御曹司と一緒に通学してるからって、まさか結婚できるとでも思ってるわけ? 夢から醒めたら?どうせあんたみたいなバカは、将来も下僕のように掃除して、洗濯して、子供の面倒をみるだからね!」


その言葉には、露骨な蔑みがにじんでいた。


「圭介がそう言ってたの?私が使用人の娘だって?」


本当は違う。

彼女の父は、神前県で最も成功した実業家。

圭介の父親こそ、美也子の家の運転手。


圭介のことが好きだから、彼が同じ車で通学することを特別に許していたのだ。

なのに今や、彼が御曹司と呼ばれ、彼女が使用人の娘と扱いされている。


その問いかけに、女子生徒は呆れたように目を剥いて言った。


「他に何があるっていうの?さっさと御曹司にお弁当を渡しなさい。冷めたら失礼でしょ?」


そう言って、また笑い出す。前後に並んでいた生徒たちも、クスクスと笑っていた。


美也子のような尽くす女を、圭介みたいな高嶺の花の彼女になりたいことを、みんな、彼女の身の程知らずに笑っていた。


食堂を出た美也子は、教室には戻らなかった。

代わりに、校舎の中庭にあるベンチに腰を下ろした、手にした二人分の弁当を、黙々と一人で食べ始めた。


最後にちゃんとした食事をしたのは、いつのことだっただろうか。


病気になってからというもの、お金がなくて、まともな食事すらできなかった。

いつも八百屋の閉店間際に出て、捨てられた野菜を拾い集めてしのいでいた。

肉はさらに夢のような贅沢のものだった。


食堂の唐揚げは、味がしっかりしていて美味しいけど、量が少ないのが難点だった。

今日はその貴重な唐揚げを、二人前すべて平らげた。

ようやく、飢えの感覚が少しだけ和らいだ気がした。




教室に戻ったときには、すでに午後一時間目のチャイムが鳴り終わっていた。


彼女を見た圭介が、怒りの表情で声を上げる。


「今さら何してんだ。薬は?」


「なんの薬?」


美也子は冷たい目で彼を見返した。


以前のような、圭介に向ける愛情を一切感じさせない瞳だった。

かつての彼女は、圭介を心の底から愛していた。

たとえ彼が振り向かなくても…

人生を一度やり直し、再び与えられた時間の中で、ようやく悟った。

ただの幻だったと。


人は、他人の善意をありがたく受け取るとは限らない。

むしろ、「自分が優れているから当然」と思い込む者もいる。

他人の犠牲が、当然のように扱われるのだ。


「恵理のために買ってこいって言ったよな。体調が悪いって、聞こえてなかったのか? たったそれだけのこともできないのかよ」


圭介の叱責に、美也子は冷たく答えた。


「彼女は私と何の関係があるというの?どうして私が薬を買わなきゃいけないの?」


彼女の視線は、机にうつ伏せて青ざめた顔の恵理に向けられる。

生理で辛いからって、なんで彼女が圭介の代わりに世話を焼く必要がある?

この先、子供産んだら、産後の世話まで押し付けられるつもり?


恵理の家はお金持ちというわけでもない。だが、圭介と付き合うようになってからは、美也子が彼に渡した物やお金は、すべて恵理と共有されていた。

周囲は皆、恵理のことをご令嬢だと噂していた。


二人は美也子のクレジットカードで生活していたのだ。

彼女のお金を使って、さらに下僕のように彼女を扱った。


「いい加減にしろよ、美也子。そんな態度取って、次は俺、マジで無視するからな!謝っても、許さない!」


美也子は圭介をじっと見つめ、彼の傲慢な言葉に、笑ってしまいそうになった。


「私が、何をしたっていうの?何がよ。私が間違ったとも言うの?」


彼女の堂々とした物言いに、教室の空気が一瞬で変わった。


どういう事?

美也子…あの尽くす女が変わった?


圭介も一瞬、言葉を失って彼女を見つめる。

だがすぐに、浮かんできたのは、いつも自分に頭を下げてきた美也子の姿だった。

彼は苦々しい表情を浮かべ、警告した。


「だったら。今日学校終わった後、俺たちと一緒に帰るな」


いつも彼の機嫌が悪くなれば、美也子は必ず追いかけてきて、謝って来る。

どうせ後で泣いて謝ってくるに決まってる。

今回、たとえ美也子が謝りに来ても、彼は絶対彼女のことを許さない!

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