圭介は美也子の言葉を聞いて顔をこわばらせ、それ以上何も言わずに決めつけるように言った。
「そういうことなら、もう車に乗るな。自分で歩いて帰れ」
彼は何も恥ずかしいと思っていなかった。そして、彼の父親に向かって言う。
「行こう」
運転席にいた圭介の父親は、美也子を一度見てから、自分の息子をちらりと見て、彼女が圭介に尽くした記憶が頭に浮かんだ。
今は怒ってても、どうせ数日で元に戻るだろ。美也子は文句を言うはずがないと思っていた。だから、そのまま彼女のことを無視して車を走らせた。
美也子は校門前に取り残された。
まさか、こんな茶番をやるとは思わなかった!
親子そろって、どこまで図々しいの!?
その様子を見ていた周りの生徒たちは、堪えきれず笑い出した。
「よくやった!あんなワガママ女にはそれくらいでちょうどいいよ!」
美也子はあまりの怒りに、逆に笑ってしまった。
そして、ポケットから携帯を取り出す。
この携帯はもともと圭介のもの。
彼が自分で買った、毎月400円の携帯だった。
彼を喜ばせるため、美也子は自分の誕生日に父からもらったiPhoneを圭介に渡し、代わりにこの安ぽっい携帯を使っていた。
そのときは、彼の自尊心を守ってあげたいなんて本気で思っていた。
しかし、今その携帯を見ていると、滑稽しか感じない。
それでも彼女は、その携帯でお父さんに電話をかけた。
しばらくして、さっき走り去ったばかりの高級車が再び校門に戻ってきた。
車が止まり、圭介の父親が降りてくる。美也子の姿を見ると、彼は気まずそうな顔をしながら口を開いた。
「…お嬢様」
その表情からは、もう叱られたのが見て取れた。
美也子は淡々と言う。
「やるじゃない、葛城さん」
圭介の父親は車内にいる二人をちらりと見る。圭介が恵理を支えて、ゆっくり車から降りてきた。
恵理はこの展開に驚き、青ざめた顔で美也子を見た。
「美也子…私のことが気に入らないのは分かるけど、だからって圭介に当たるなんて!彼、あなたにはいつも優しかったでしょ?」
圭介は恵理の前に立って、彼女を止めた。
「これ以上話しても無駄だ!」
今回ばかりは、本気で怒っていた。
二人が車から降りたのを確認してから、美也子はようやく乗り込んだ。
車が離れる直前、彼女は窓を下げ、圭介に向かってにっこりと笑いながら言った。
「さようなら!」
学校を離れてしばらく走った頃、運転席側のミラー越しに圭介の父親が美也子を一瞥した。
まさかここまで徹底的にやるとは思わなかったらしく、つい口を開いた。
「お嬢様、喧嘩なんて誰にでもあることですから、そんなに怒らないでください。そのうち圭介に謝らせます。でも、いまあの子は車で帰らないので、たぶんバスに乗って帰るしかないでしょうね。家に着くのは何時になることやら……」
「バスぐらい、みんな乗ってるでしょ? 圭介だけが特別なの?」
美也子は淡々と答えた。
「それより、あなた。誰があなたに給料を払っているか、もう忘れたわけじゃないでしょうね?私のことが気に入らないなら、辞めたらどうですか?まさか、指図しようとするとは」
彼の息子が好きというだけで、彼女を軽んじてもいいわけ?
もしお父さんに連絡しなければ、きっと彼は本気で自分を置き去りにしていた!
圭介の父親はその言葉に怯え、それ以上何も言わず、黙って運転を続けた。
家に着くと、理子さんが迎えに出てきた。
「お嬢様?お一人で戻られたんですか?葛城坊ちゃんは……?」
「これから、うちに葛城坊ちゃんなんていない」
その言葉に、理子さんは目を見開いた。
いつの間にお嬢様が正気に戻ったの?
今まで、美也子は圭介にとても甘かった。そのせいで、葛城親子がまるで主人みたいに振る舞っていた。
何度も何度も、理子さんは口を出しかけたが、結局言えなかった。なぜなら、美也子が嫌がるから。けれど、今日彼女の言葉に、理子さんは感動した。
美也子は理子さんを見つめた。
理子さんは家の使用人の中でもっとも自分に優しくしてくれた人。それなのに、圭介のことばかり気に入らないせいで、かえって彼女を遠ざけるようになってしまった。
後に圭介が家の実権を握るようになってから、理子さんは真っ先に家から追い出された。
それを思い出すと、今目の前にいる彼女の姿に、自然と目頭が熱くなった。
「先に上がるね」
そう言って階段に向かおうとしたとき、理子さんが言った。
「九条宗弥様がいらしてますが、お帰りいただくように伝えておきます」
宗弥はよく家に来ていた。けれど彼は、お父さんが美也子の婚約者として選んだ相手。
圭介が好きだったあのときの美也子にとって、宗弥の存在は鬱陶しくてたまらなかった。
顔を見ることさえ嫌で、訪ねてきても挨拶もせず、すぐに帰らせていた。だから、まともに顔を合わせたことは、ほとんどなかった。
それなのに、最後。
病院に運んでくれたのは、宗弥の人だった。
彼はずっと忘れずにいた、彼女は彼の婚約者であることを。
美也子は理子さんの腕をそっと止めた。
「彼、どこにいるの?今すぐ会いにいくわ」
「裏庭です。真白と遊んでいます」
美也子が裏庭に行くと、宗弥が真白に餌をあげているのが見えた。
この犬は、もともと美也子が飼いたいと言って連れてきた。だが、圭介が犬は嫌いと言ったため、それ以来彼女は真白に近づかなくなった。まさか、宗弥がこんなにも真白と仲良くしているとは思わなかった。
彼は今通っている学校の青い制服を着ている。ごく普通の制服のはずなのに、彼が着ると、不思議と品があって目を引く。
亡くなる直前に人づてに聞いた。あれほどハイスペックな人なのに、ずっと独身のままだったって。美也子の目に、ふと涙が浮かぶ。
宗弥は真白に餌をやり終えると、ふと顔を上げてこちらを見た。
いつ来たのか気づかなかったらしく、一歩こちらに歩み寄ろうとするが、すぐに足を止めた。
「如月さん」
宗弥は整った顔立ちをしているが、性格は穏やかで落ち着いている。同い年のはずなのに、彼の佇まいはすでに二十代の大人のようだった。
それもおかしくもない…
彼女が亡くなった時、彼はすでに軍事指揮官になっていた。
成績もずっと上位にいる。そんな宗弥の存在は、圭介が一番気に入らない相手だった。
圭介はいつも、「もし俺が宗弥みたの生まれだったら、負けるわけがない」と、そう言っていた。
宗弥の成績を見るたび、圭介は苛立ちを隠せなかった。だから美也子も、いつの間にか宗弥を敵のように思っていた。
今思えば彼と向き合う機会がなかったから、自分に嫌がらせするようなこともするはずもない。
感情をやっと押し込めて、美也子は宗弥を見つめながら言った。
「何か用事でも?」
宗弥は静かに答える。
「君の様子を見に来た」
美也子が何も返さないのを見て、宗弥は少し下を向き、気を遣うように言った。
「嫌なら、すぐ帰る」
彼は本当に、彼女に会えるなんて思っていなかった。
真白に会いに来ただけで、彼女が会いに来るとは…
それだけで十分。
宗弥が立ち去ろうとしたその時、美也子が口を開いた。
「夕飯、一緒に食べていく?」
宗弥は驚いて、思わず彼女を見つめた。
「いいの?」
夕日が美也子を包み、彼女の表情をやわらかく照らしていた。
「もちろん」
圭介はまだ帰っていない。恵理を送って行くため、時間がかかっているはずだ。
以前の美也子なら、圭介が帰ってくるまで食事しなかった。
それを知って、理子さんは驚きながら、思わず聞いた。
「葛城圭介をお待ちにならないのですか?」
「待つ必要あるの?」
家の使用人たちは、彼女が圭介に尽くしているのを当たり前のように見ていたから、急にやめられて逆に戸惑っているようだ。
理子さんはそれ以上問いかけていない。
「わかりました。すぐに準備いたします」
「そうだ」
美也子は続けた。
「運転手の葛城さんには、明日から来なくていいって伝えておいて」
「えっ?」
理子さんは一瞬驚いたが、すぐに察し、深く頷いた。
「承知いたしました」
圭介の父親を解雇したあと、美也子はダイニングにきた。
宗弥は斜め向かいに座り、ちらちらと彼女のことを見ていたが、彼女が座っていたのを見て、すぐ視線をそらした。
美也子はビックリした。
まさか、こんの頃の宗弥がこんなにも純情とは。