思わず、美也子は宗弥をからかいたくなった。
「なんでこっち見ないの?私って、そんなにブスなの?」
たしかに、成績は落ちこぼれだったけれど、顔立ちは悪くなかった。
幼い頃から大事に育てられ、日焼けすらしたことがない。
白く透き通った肌に、大きな瞳。まるでお人形のようだとよく言われた。
もし、あの時あんなふうに圭介に裏切られなければ、こんなに落ちぶれることもなかった。
宗弥はゆっくりと視線を戻し、「そんなことはない」と言った。
その声はいつも通り淡々としていたけれど、よく見ると、耳がほんのり赤くなっていた。
美也子は思わず笑みをこぼす。
「そうだ、宗弥って、勉強すごくできるよね?」
突然の質問に、宗弥は少し戸惑ったように、「それなりに」と返す。
「じゃあ、いい家庭教師とか知ってる?紹介してくれないかな?」
圭介に頼るなんて、もうこりごりだ。
二度と前世みたいに、お父さんが守ってくれるからと、何も考えずに生きていくつもりはない。
今のうちに、ちゃんと勉強しておかなくちゃ。
宗弥の周りには、きっと優秀な人材がたくさんいる。彼の紹介する人なら、信頼できそうだ。
「家庭教師……?葛城圭介がいるって聞いてたけど……」
彼も噂で聞いていたのだ。彼女の家で、クラスメイトの圭介が家庭教師として一緒に住んでいると。
「クビにした」
美也子はあっさりと言った。
圭介は、彼女を見下していた上、まともに教える気すらもなかった。
お金だけは受け取って、何の役にも立たなかった。
宗弥は少し驚いた顔をした。
けれど、真剣な美也子の様子を見ると、冗談ではないとすぐに気づいた。
彼は静かにグラスを持ち上げ、水を一口飲む。そして、少し緊張を隠すように、淡々と言った。
「ごめん、家庭教師はいない、自分で勉強してる。もし、迷惑でなければ、僕が毎日教えに来る」
とは言え、彼女が同意するわけがないと思った。
なぜなら、彼女はいつも自分のことなんて、見向きもしなかったのだ。
今日、こうして一緒に食事をするだけでも、夢みたいなこと。
ところが…
「本当に!?」
美也子はぱっと目を輝かせた。
予想外の反応に、宗弥は一瞬ぽかんとしたが、すぐにうなずいた。
「うん。君がよければ、いつでも」
「もちろんいいよ。でも、宗弥の勉強の邪魔にならないのかな?」
「大丈夫。そんなことはない」
表情にはあまり出ていなかったけれど、彼の目は優しくてあたたかかった。
実のところ、宗弥は高校の授業なんてとっくに終わらせていて、しかも名門大学への推薦も決まっていた。
けれど、それを言えば、美也子が気にしてしまうと思って、口には出さなかった。
「ありがとう!私、本当に成績が悪いから、嫌にならないで」
圭介も成績は良かったが、いつもイライラしていた。同じ問題でも一度教えて理解できなければ、すぐに怒鳴られた。
もともとは平均くらいの成績だったはずなのに、圭介に教えられれば教えられるほど自信を失い、成績はどんどん下がっていった。
「そんなことない。じゃあ、これからは学校が終わったあと、君の家に来るね」
二人は食事を続けていたが、宗弥は相変わらず静かだった。それを見て、美也子は料理を取り、彼の皿にそっと乗せた。
「遠慮しないで、ここは自分の家だと思って」
ちょうどその時、恵理を送って帰ってきた圭介が入ってきた。
すでに父親が解雇されたことを知り、帰る前に散々怒鳴られていた圭介。目に入ったのは、すでに料理に手をつけた食卓と、食事をしている美也子の姿。
彼の表情が一瞬で険しくなる。
「美也子!」
彼女は淡々と彼を一瞥し、無言で食べ続けた。
圭介は本当は、父のことを聞くつもりで彼女を探しに来たのだった。だが、テーブルの向こうにいる人に気づき、さらに顔をしかめた。
「何でそいつがここにいるんだ?」
かつての美也子は、彼に気に入られたい一心で、他の男子と距離を置いていた。
宗弥が家に来たときも、目も合わせずにすぐ追い返していた。
だが今、彼女は宗弥を席に着かせ、一緒に食事をしている。
「彼は私の客人よ。なにか文句でも?」
美也子が冷静にそう返すと、圭介は怒気を抑えきれずに言った。
「わざと呼んだんだろ?俺を怒らせるために!」
彼女が自分の一番嫌いな相手を招いたことが、気に入らなかった。試合でも、宗弥がいれば圭介に勝ち目はなかった。
宗弥は黙ってそれを聞いていた。
美也子は圭介をまっすぐ見て言った。
「考えすぎよ、圭介。あなた、そこまで重要ではないから」
前世の彼女にとって、圭介はすべてだった。全てを捧げて、信じて、尽くした。
でも今になって、彼女の目には、もはや嫌悪しか残っていない。
「他の男といると怒らせると思ってるのなら、目を覚ました方がいい!むしろ、誰かが引き取ってくれるなら助かるくらいなんだ!」
そう言い放ち、圭介は黙ったまま階段を上がり、自室へと引き上げていった。
美也子は黙っていたが、ふと視線を上げると、宗弥がじっと彼女を見ていた。
その瞳はどこか複雑そうで、少しだけ陰りを帯びていた。
「全部でたらめだから、信じないで」
宗弥はこのことで怒ったりしないようね?
少し不安になって言い添えると、宗弥は小さく「うん」と頷いた。
食後、美也子は宗弥を玄関まで送って行った。
「気をつけて帰ってね」
「うん」
彼はそれだけを言って、特に何も付け足さずに去っていった。
相変わらず口数が少ない。
美也子が家に戻ると、圭介が階段を降りてきた。
すでに制服は脱いでいて、白い半袖のシャツだけを着ている。あれだけひどいことをしてきたのに、顔が整っている関係か、凛々しくに見えた。
かつての美也子は、まさにその見た目に惹かれ騙されてしまったのだった。
「なんで、お父さんをクビにした?」
圭介は真っ直ぐに美也子を見つめて言った。
さっきまでは、宗弥がいた手前、口にはしなかった。
如月家の運転手の息子だと知られるのが、何より恥ずかしかったのだ。
「運転手を一人クビにするのに、あなたに説明する必要なんてある?」
「それは俺のオヤジだ!今日のことは全部、俺が言ったんだ。父さんは関係ない!文句があるなら俺に言え! 俺をクビにすればいい!」
「君をクビにする?」
美也子は一瞬、驚いたように目を見開いた。
「いいよ!」
「何言ってるの?」
圭介は目を丸くして、美也子を見た。
「前から、私のことバカにしてたでしょ?それなら、もう終わりにしよう。あんたはうちから出て来なさい。家庭教師なら、他を探すわ。あなたに教わってから、成績どんどん下がってる。正直、その給料に見合ってないのよ」
わがままを言っているだけだと思った、まさか…
彼をクビにする?
家庭教師をやめさせる?
「お前の成績が悪いのは、俺のせいじゃない!同じ問題、俺が恵理に教えたらすぐ理解するんだぞ!それを俺のせいに?お前がバカで物覚えが悪いが原因なんだ。そんなの、誰が教えたって同じだ!」
「それならそれで構わない。あなたと一切関係ない」
美也子は淡々と答えた。
「とにかく、うちから出ていって」
圭介は眉をひそめ、低い声で言った。
「…美也子。お前はまだ学生だ。もっと勉強に集中しろ。頭の中は俺との恋愛のことでいっぱいなんだから、そりゃ成績も落ちる」
「何言ってんの?」
圭介は鼻で笑った。
「今回の件もさ、どうせ俺と恵理が仲良くしてるのが気に入らなかったんだろ?俺が、お前と付き合いたくないから、ムキになって。だけど俺は、ちゃんと大学に受かるのが目標だ!お前と違って、家の金だけで一生食っていけるわけじゃない。だから、お前と付き合うはずがない!」
美也子は、まるで別人のようになった圭介を見つめた。言葉が出ないほど、呆れと衝撃が込み上げてくる。
数秒の沈黙のあと。
「は?誰があんたと付き合いたいって言ったの?あんた…どこからその自信が湧いてきたの?」
彼に惚れてさいいなければ、彼は何物でもない!