恵理は圭介をちらりと見て言った。
「美也子は行かないなら、私たちだけで行こうよ。あとで彼女の分も持って行ってあげよう。」
「結構です」
美也子は恵理の申し出を断った。
恵理は、少なくともみんなの前では
他の人たちが自分を笑っている中でも、彼女だけは態度を変えずにいてくれた。
でも、美也子は、彼女に借りを作りたくなかった。
静かに荷物を片づけて立ち上がると、二人と一緒に行かず、ひとりで階下へ向かった。
恵理は圭介の隣で首をかしげる。
「彼女、どうしたの?圭介に冷たくない?なにか怒らせるようなことでもした?」
「…っ」
圭介もわからなかった。
今まではどんなに冷たくしても、犬のようにしっぽを振って寄ってきたくせに。それが昨日から、まるで別人みたいにそっけない。
本当に意味がわからない!
すると恵理がふと思い出したように言った。
「そういえば、今週末は圭介の誕生日パーティーじゃない?美也子も呼ぶの?」
ちょうど今週末は圭介の誕生日。
去年はローヤルホテルで行った。
準備も予約も、ぜんぶ美也子がやった。クラスメートを招待して、何百万円もかかった。
みんな圭介の誕生日に出席できたことを誇らしげに話していた。
もちろん、今年も同じように…
数日前までは、美也子が「全部準備した」と言っていた。
昨日、クビを言われなかったら、何とも思わなかった。
しかし…
あんなこと言って、今日も冷たい態度を見せ、思わず圭介は考えてしまう。
まさか、本当に彼の誕生日をキャンセルするつもりなのか?
遠ざかる美也子の背中を見ながら、圭介は内心で自分に言い聞かせた。
――いや、心配ない。
美也子が彼の誕生日を無視するわけがない。あの態度だって、きっとサプライズを作るためだと。
そう思うと、少し安心して恵理に言った。
「絶対来るさ」
「そうだよね!」
恵理も納得したようにうなずいた。
「圭介の誕生日にいなかったことなんて、一度もなかったもん」
午後、圭介は恵理と一緒に学園祭の出し物の準備があり、美也子は彼を待たずに、そのまま一人で帰宅した。
家に戻ると、宗弥はすでに真白と一緒に玄関まで出迎えて。
彼の姿を見た瞬間、美也子はふっと笑顔になった。
前世の記憶があるせいかもしれない。だからこそ、こうして彼と顔を合わせられる時間が、とても貴重に思えて仕方がない。
その笑顔を見て、宗弥は一瞬驚いたように目を瞬かせた。
わがままで冷たい態度ばかり取っていた彼女が、この数日、妙に人懐こい。
彼にとっては、まだ少し慣れない変化だった。
「こんなに早く来てくれてたんだね」
「うん」
「じゃあ、書斎に行こう!」
そう言って、美也子は宗弥を連れて階段を上がる。
ちょうど今日の授業中でわからなかったところがたくさんあって、質問したかった。
書斎に入り、二人は向かい合って座る。彼女の隣の席、普段は圭介が座っていた場所だった。
けれど圭介は、そこに座っていても、ろくに教えてくれたことはない。
むしろ「お前のせいで俺の勉強が進まない」と怒られた記憶のほうが鮮明だった。
宗弥は横に座ると、バッグからプリントを二枚取り出した。まずは彼女のいまのレベルを把握するためだ。
美也子は真剣な表情で問題に取り組み、やがてプリントを渡す。
宗弥はそれを黙って読み、しばらく静かにペンを走らせた。
そんな彼に、美也子は少し恥ずかしそうに言った。
「ごめんなさい。私、本当に頭悪くて……」
「君のせいではない」
宗弥はそう言って首を振る。
「ただ、勉強の仕方が合ってなかっただけ。基礎から一緒にやってみよう。いいかな?」
「うん、お願いします」
宗弥はその後、黙々と丁寧に解説を始めた。彼は視線をほとんど問題に落としたまま、真面目に教えてくれる。彼の解き方は驚くほどわかりやすかった。
これまで何度読んでも理解できなかった内容が、宗弥の説明を聞くとすっと頭に入ってきた。
しばらくして、宗弥は喉が渇いたのか、ペンを止めて顔を上げ。すると、美也子がじっと自分の顔を見つめていることに気づいた。
宗弥は少し視線を逸らし、喉を鳴らしてから問いかける。
「…なにか、わからないところでも?」
「ううん、そうじゃなくて。なんかね、宗弥ってすごく丁寧に教えてくれるのに、返信めっちゃ塩対応じゃない?『うん』しか返ってこないし。もしかしてさ、私と圭介のことで…嫌われてるとか…」
宗弥は首を振って否定した。
「そんなことはない。昨日、家に親が来てて、ちょっとバタバタしてた。メッセージ見たときはもう朝で。今後何かあったら、直接電話してくれていいから」
「そっか」
ふたりが勉強に集中していた時、美也子の携帯が鳴った。
かけたのは圭介。
「美也子、どういうつもりだ?」
その怒ったような口調に、美也子は眉をひそめた。
「今度は何?私、また何かした?」
「お前、使用人に俺の荷物を外に放り出させたのか?」
横にいる宗弥を一瞥し、彼に隠すつもりもなく、そのまま返した。
「昨日言ったでしょ?あんたはクビだって。だから、もうこの家にいる理由なんてないじゃない。今授業中だから、邪魔しないで」
そう言って、あっさりと通話を切った。
圭介は家の前に立ち尽くし、自分の荷物がまとめられて外に出されているのを見て、思わず目を疑った。
美也子、本当に彼を追い出すつもりなのか?
何故なんだ?
一方その頃、美也子は携帯を置いて言った。
「続けましょう」
宗弥は静かに頷く。
だが次の瞬間、書斎のドアが勢いよく開かれた。怒りを浮かべた顔で、圭介が中に入ってきた。
彼の視線は、美也子と宗弥の間を鋭く往復する。その目に宿る軽蔑の色を、美也子は見逃さなかった。
美也子は立ち上がり、冷たく問いかけた。
「何しに来たの?」
彼女のことなんて嫌いなんでしょ?
眼中にないんでしょ?
だったら、なんで今さらここに現れるの?
圭介は彼女に詰め寄り、怒りをぶつける。
「こんな形で俺を侮辱して、楽しいか?」
宗弥は無意識のうちに、美也子の前に立ってかばうような体勢を取った。
「侮辱?」
美也子は呆れたように首を傾げる。
「何か勘違いしてない?私があんたをどう侮辱したっていうの?」
「圭介、本当に人を侮辱してきたのは、あんたの方じゃないの?」
「生活費も全部私が出してるのに、あんたは毎日恵理とべったり。私はまるで召使いみたいに、あんたたちの後ろをついてまわってた。それで冷たい態度まで取られて……あれが侮辱じゃなくて、何だっていうの?」
今まで与えたものを返してもらってるだけで、侮辱になるの?
圭介は唇をきつく結び、美也子を睨みつけた。
「他の男を連れてきて、俺にプレッシャーをかけたって無駄だ。俺はお前なんか好きにならないし、付き合うつもりもない。はっきり言ってやるよ。俺は恵理が好きなんだ。俺たちはもう付き合ってる。お前のことなんて、眼中にないんだよ」
そう吐き捨てると、圭介は振り返ってドアをパンと閉めて出て行った。
美也子は窓を開け、下を覗く。彼は自分の荷物を持って、そのまま出ていった。
驚くほど、あっさりと。
圭介はいつも、自分の前ではプライドの塊のような男だった。
たとえ生活が苦しくても、彼は決してお金に媚びなかった。
それが、昔の美也子には魅力的に見えていた。今では、それがただ滑稽にしか思う。
窓に寄せる彼女の姿を見て、宗弥が静かに声をかけた。
「如月さん」