美也子は振り返ると、宗弥がまだその場に立っているのを見て、少し申し訳なさそうに言った。
「ごめんね。続けようか?」
「先に戻った方がいい?あまり気分が良くなさそうだけど」
宗弥は彼女を見つめながらそう言った。
「そんなことないよ」
美也子は軽い調子で返す。
「私は元気だよ」
彼女はただ、前世での愚かな自分を思い出していただけで、圭介のことを悲しんでいたわけではない。むしろ今の圭介の様子を見て、心の中でほっとしていた。もう彼とは距離を置けるし、この人生では病気にもならず、同じ過ちも繰り返さないだろう。
「じゃあ、先に行くね」
宗弥は出口の方へ歩き出した。
美也子は無意識のうちに一歩踏み出し、彼の手首を掴んだ。
宗弥は立ち止まり、振り返って「どうかした?」と尋ねた。
自分でもこの行動に少し驚いたが、美也子は宗弥の気持ちの変化に気付いていた。
どうやら圭介が現れて、あのような言葉を聞くたびに、宗弥は自然と距離を置こうとするのだ。
かつて彼女が圭介に夢中だったことは誰もが知っており、宗弥も彼女は圭介以外に目を向けないと思っていたのだろう。
実際、以前はその通りだった。もし前世の苦い経験がなければ、きっと今も目が覚めなかったかもしれない。
宗弥の視線を受け止めながら美也子は手を離し素直に言った。
「土曜日、空いてる?ロイヤルホテルで食事したいんだけど、一緒にどう?」
ロイヤルホテルの料理は一流だ。前世で何も楽しめなかった分、今はとにかく人生を満喫したい。以前なら圭介しか誘わなかったが、今は宗弥を誘いたいと思った。宗弥は父が決めた婚約者であり、変なことをしなければ卒業後は彼と結婚する可能性が高い。
昔は父の干渉を鬱陶しく感じていたが、よく考えてみれば、宗弥は圭介に劣らず見た目が良く、背も高いし家柄も申し分ない。彼が自分を選んでくれたことは、むしろ自分の方がお得なのかもしれない。
「彼とは一緒じゃないの?」
宗弥は圭介のことを指して聞いた。
美也子は逆に問い返す。
「じゃあ、私がこれまで通り彼の後ばかり追いかけて、あなたを避けていた方が良かった?」
「そんなわけないだろ」
宗弥はすぐに否定した。
「じゃあ、決まりね。土曜日、楽しみにしてる」
美也子は口元に微かな笑みを浮かべた。
土曜日の午後、美也子は少し遅れてロイヤルホテルに到着した。
入り口には華やかな服装の顔なじみが集まっている。
恵理の友人である山本萌が彼女を見つけ、思わず皮肉を込めて言った。
「美也子、よくも来れたわね?」
「なんで来ちゃいけないの?」
美也子は眉をひそめた。
このホテルは如月家がよく利用する場所で、オーナーとも父が親しい。彼女はトップクラスのVIPで、出入りは自由なのだ。
山本萌は鼻で笑った。
「葛城は学校でもあなたを無視してるのに、今日誕生日なのに、よくそんな顔して来れるわね」
圭介の誕生日――美也子はようやく思い出した。最近は勉強に集中していて、すっかり忘れていた。前世では圭介の十八歳の誕生日に、彼のために星見ホテルで盛大なパーティーを開いた。その席で、圭介と恵理の関係を知ってしまったのだ。
問い詰めても、返ってきたのは「俺と恵理はお互い好きなんだ。何が悪い?美也子、お前もう俺のことに口出ししないでくれ!」という冷たい言葉だった。その後も冷戦が続き、結局彼女が折れて謝る羽目になった。
あの日の誕生日を境に、彼らはますます堂々とし、ついには彼女が父の会社を手放すという愚かな決断までさせられたのだった。
賑わう様子を眺めながら、美也子は山本萌の嫌味を気にも留めなかった。
今日の圭介の飲食代は全て彼女が手配していた。今となっては彼と手を切ったのに、まだ堂々とここに来ているのか、と内心呆れていた。どんな顔で会計するつもりなのか、見ものだった。
周囲の視線を無視して、美也子はエレベーターへと向かった。宗弥との席はもう予約してある。彼はもう来ているだろうか。
エレベーターの扉が開くと、廊下で圭介が恵理と話しているのが見えた。圭介はすぐに彼女を見つけ、内心で得意げに思った――やっぱり来たな、と。
彼は早足で近づき、いつもの優越感を漂わせて言った。
「来ないって言ってたのに。ふん、君が来ても、前にしたことを許すつもりはないからな。美也子、まだ怒ってるんだぞ」
彼はよく「怒っている」という言葉で彼女を操ろうとした。
「何か用?」
美也子は冷ややかな微笑みを浮かべて返す。
「僕の誕生日会に来たんじゃないのか?」
「なんであなたの誕生日を祝わないといけないの?招待もされてないし。こんなにたくさんの人が祝ってくれてるなら、私一人くらいいなくても困らないでしょ」
美也子はきっぱり言った。
「どういうつもりだよ?」
圭介は苛立ちを隠せない。わざわざ自分の誕生日に水を差すつもりなのかと。
その時、レストランのマネージャーが美也子に気付き、すぐに丁寧に近づいてきた。
「如月様、お待ちしておりました」
「宗弥はもう来てる?」
美也子が尋ねる。
「九条様はすでにお越しです」
「案内して」
「かしこまりました」
マネージャーが案内しようとしたところ、圭介が追いかけてきて、怒りを抑えた声で言った。
「美也子、まだふざけてるのか?」
彼女が宗弥を誘っていたことに、思わず苛立ちが募る。
美也子は足を止めて、冷ややかに圭介を見た。
「ふざけてなんかない。ふざけてるのはそっちでしょ?私のことを鬱陶しいって言ってたくせに、自分の望み通りにしたら、今度は何?向こうに彼女が待ってるよ」
そして恵理の方を一瞥した。
恵理はこれまで圭介が美也子にこんなに積極的に接する姿を見たことがなかった。
しかし美也子には分かっていた。圭介の執着は未練ではなく、彼女の持つ金銭的なものだけだった。彼は彼女を嫌いながらも、彼女が与える全てを当然のように享受してきたのだ。
今、美也子が手を引いたことで、彼は焦り始めていた。準備した誕生日会を台無しにされるわけにはいかないのだ。
圭介は歯を食いしばり、渋々と言った。
「もし俺と恵理のことが原因なら……彼女とは距離を置くから、それでいいだろ?もういい加減にしてくれよ」