中村勇樹が出て行った後、美也子は少し意外そうに宗弥を見つめた。
「どうして助けてくれたの?」
彼女には確信があったから、思ったことを口にした。でも宗弥の立場からすれば、彼は何も知らないはずだった。
宗弥はその言葉を聞いて、こう答えた。
「君が口にしたから、助けないはずがない」
「私が適当に言ってるかもしれないって、思わないの?」
「それがどうしたの?」
宗弥は言った。
「たとえ冗談だったとしても構わない。彼に確認させて行くだけのこと」
彼がその言葉にした時の様子はとても落ち着いていたけど、美也子はその姿を見て、胸の奥がじんわりと温かくなった。
誰かに信じてもらえる。その感覚が、彼女にはたまらなく嬉しかった。
彼女がHIVを患っていると診断された時、誰一人として彼女の無実を信じなかった。
「遊び人間の結末だ」
みんなそう言った。
本当にそうだったら、まだ納得もできたかもしれない。
皆に罵られ、嫌われ、自分自身のことすら嫌いになった。
でも今になって思う。信じてもらえなかったのではなく、罠を仕掛けた人たちは、誰よりも知っていたのだ。彼女が無実だったかを!
美也子と宗弥は、食事をゆっくりと楽しんだ。
食べ終わってもすぐには席を立たず、デザートを追加で注文した。彼女は宿題も持ってきていて、その場で宿題を終わらせる。宗弥もついでに問題を教えてくれる。
二人はそのまま、夜になるまで個室に残っていた。
誕生日パーティーが終わった後、帰ろうとした参加者全員が引き止められた。
圭介が会計を済ませていなかったのだ。
圭介は美也子に電話をかけた。最初の一回目、彼女は出なかった。
隣にいた宗弥が、美也子を見て尋ねる。
「出ないの?」
「誰からかわかってるから」
そう言って、美也子は無視を続けた。
圭介からさらに二回目で、美也子は電話に出た。
「美也子、お前…どういうつもりだ?」
電話の向こうの圭介の声は、怒りで満ちていた。
彼が怒れば怒るほど、美也子の気分は良くなる。
もう彼と関わるつもりはなかったけれど、前世の恨みは、しっかり返しておきたい。
じゃないと、いつまでも悪夢を見るきがする。
彼女は口元を吊り上げ、言った。
「どうしたの?そんなに怒って?」
「今すぐ支払いを済ませろ!余計な問題を起こすな。」
圭介としては、誕生日会が終わって、彼がその場を離れたら、美也子とは完全に終わりにするつもりだった。
でも…
まさか、彼女がこんな仕掛けをしてくるとは思わなかった。
今、彼には支払うお金がない。
参加者全員が足止めを食らっていて、彼の支払いを待っている。
美也子は言った。
「おかしいね。今日誕生日なのはあんただし、私は何も注文してないのに、どうして私が支払わなきゃいけないの?みんなで割り勘にしたらどう?あんなに仲良くしてるクラスメイトたちなんだよ、普段からよく奢ってるじゃない」
美也子はこれまで毎月、圭介に数十万円の小遣いを渡していた。圭介も、それを堂々と受け取っていた。自分が補習をしてあげた報酬だと信じ、当然のように思っていた。
彼はそのお金を惜しまず、友達にしょっちゅう食事を奢っていた。だから皆は、圭介のことをお金持ちと思って、彼に近づこうとした。
でも、そのお金はすべて美也子からだった。
圭介は言った。
「美也子…お前、どうしてそこまで意地悪するんだ?一体どうすればお金を払いに来る?」
美也子はさらりと答えた。
「人に頼みごとをするなら、それなりの態度を示さないといけないでしょう?そう思わない?」
電話の向こうで、圭介が不満そうに息を吐く音が聞こえた。以前のように美也子が無条件で尽くしてくれないから怒った。
美也子は口元に笑みを浮かべた。
「嫌なの?ならいいわ、切るね…」
「お願いだ!」
圭介は携帯を握りしめながら、歯を食いしばった。
彼らはホテルのスタッフに止められていて、ホテルから出ることができない。
美也子は通話を切り、席から立ち上がった。
「ちょっと行ってくるね」
そう言って宗弥に告げると、彼女は「翡翠の間」へ向かった。
圭介の誕生日パーティーに来ていたクラスメイトたちは、まだその場に残されていた。全員、圭介が支払いを済ませるのを待っている。だが誰も離れることができず。気まずいなか、圭介も居心地悪そうに立ち尽くしていた。
美也子が現れると、マネージャーが近づいてきて、丁寧に声をかけた。
「如月様」
美也子はぐるりと周囲を見渡した。男の子までかっこいいヘアスタイルをしてきた。午後、あれだけ彼女を見下していた連中だが、今ではその傲慢さもすっかり鳴りを潜めている。
払えずに閉じ込められてるなんて、これほど恥ずかしいことはないから。
美也子は笑顔で言った。
「どうしたの、みんな?今日は圭介の誕生日パーティーじゃなかったの? なんだか盛り上がってないみたいだね?」
わざと圭介の方をじろじろと見た。彼の顔色は誰よりも悪かった。
恵理はその隣に立っていたが、状況がよくわかっていない様子だった。
マネージャーが説明した。
「こちらの葛城様がお会計をされておらず、ご退席をお止めしているだけです」
美也子は涼しげな顔で答えた。
「そういうことだったんですね。そんな大げさにすることないのに。みんな、私のクラスメイトなんですから、私が払います」
そう言って、彼女はカードを差し出し、マネージャーはそれを受け取って、会計へ向かった。
周囲の視線が美也子に向き、一気に複雑な表情へと変わっていった。
圭介の誕生日なのに、支払いをしたのは美也子?
どういうこと?
圭介は自分で払えないのか?
圭介は自分の顔が熱くなるのを感じた。
美也子があっさり来てくれるのがおかしいと思った!
なるほど、自分を恥ずかしい目に遭わせるのが、目的だったのか?
みんなに、葛城圭介がお金なんてない、ただの貧乏人だと知らしめるために!?
かつては支払いも、彼女が静かに済ませてくれていたのに。
なのに今は、わざとみんなの前でカードを出して見せつける。
この女…
本当に頭がおかしくなったのか!?
マネージャーはすぐ戻ってきて、カードとレシートを美也子に手渡した。
「如月様、決済が完了しました。こちらがレシートです」
美也子はそのレシートをちらりと確認し、わざとらしく金額を口にした。
「500万円かあ。圭介くん、お誕生日おめでとう!今年の誕生日は、私が払ってあげたよ。でも、次はない。さすがに、彼女の分までずっとお支払う気はないからね」
そう言って、恵理の方に目を向けた。
恵理はその場に立ち尽くし、顔面は青ざめていた。
どういうこと?
圭介のお金って……全部、美也子からだったの?
彼って、御曹司じゃなかったの?
あまりの衝撃に、その場の空気は一瞬にして凍りついた。
田中萌が前に出て、美也子に向かって叫んだ。
「美也子、冗談でしょ!?圭介のお金を預かってるからって、自分のものみたいに言うな!あんたはただ使用人の娘でしょ?カードを預かってただけで、何を偉そうにしてるの」
美也子は田中萌を見て、くすりと笑った。
「へえ、田中さんの家って、お金の管理は使用人にさせてるんだ?」
そう言ってから、少し間を置いて、はっきりと告げた。
「それじゃあ、はっきり言わせてもらうけど。私、圭介の家の使用人の娘なんかじゃない。彼の父親は、私の家の運転手だったの。あの日、校門前で私を置いて、圭介と恵理を車に乗せて行ったでしょ?その件で、もう解雇されてるわ。信じられないなら圭介に聞いてみれば?」
美也子は圭介の方へ見た。
「ねえ、圭介くん。あなたから言ったらどう?」