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第11話

圭介はじっと美也子を見つめ、目の奥に強い悔しさを滲ませていた。


貧しい家庭に育ったとはいえ、ここまで徹底的に辱められたことは、これまでなかった。

今や、全員が自分の失態を見て笑っている。


だが、今の圭介には一言も反論することができなかった。


下手に何か言えば、美也子は本当にあの金を取り消し、自分をここに足止めしかねない。


結局、彼は美也子を無視し、険しい顔のまま踵を返して瑠璃の間を飛び出していった。


恵理もいたたまれない空気に耐えきれず、歯を食いしばって後を追うしかなかった。


彼女の心はますます混乱していた。


今日、得意げになって同級生たちに圭介との交際をほのめかしたばかりだったのに、圭介が本当の財閥の御曹司だと信じて疑わず、そんな彼と付き合うことを誇りにすら思っていた。


まさか、彼がただの運転手の息子だったなんて……


この三年間、彼が必死で築き上げてきた財閥御曹司のイメージはいったい何だったのか。

まるで、滑稽な冗談だ!


二人がすごすごと部屋を後にするのを見届けると、美也子は場に残った同級生たちに静かに言った。


「もう遅いし、今日はこれでお開きにしましょう。帰り道、気を付けてね。」


皆は顔を見合わせ、複雑な表情を浮かべながらも、次々と会場を後にした。


全員が去ったのを確認してから、美也子も瑠璃の間を出た。

スタッフが丁寧にエレベーターまで彼女を見送り、ちょうど宗弥が廊下からやってきた。


「まだ帰っていなかったの?」


美也子が足を止める。


宗弥が近づく。


「もう終わった?」


「うん。」


美也子はうなずく。


二人はそのままエレベーターに乗り込んだ。


美也子は壁にもたれ無言のまま。


皆の前で自分の立場をはっきりさせ、圭介の顔を潰したものの、それだけでは前世で味わった苦しみを埋め合わせるには到底足りなかった。


宗弥は彼女の沈んだ横顔を見つめながら、余計なことは言わずにいた。


エレベーターが一階に着くと、ロイヤルホテルのオーナーの田中さんが待っていた。


美也子の姿を見つけるなり、彼は駆け寄ってきて安堵と感謝をあらわにした。


「本当にありがとうございました!あなたが教えてくれなかったら、ホテルは大変なことになっていました。 さっき自分で全部隈なく点検したところ、思っていた以上に危ない箇所が多かったんです。

全部、あのいとこがいい加減なことをしていたせいです。もう、すぐに辞めさせました!」


「お役に立ててよかったです」


美也子は少しほっとした。


田中はどうしても疑問に思い、尋ねてきた。


「美也子さん、どうしてうちのホテルの消防に問題があるってわかったんですか?」


高校生がそうしたことに気づくのは、不思議に思えてならなかった。


「昨夜、そんな夢を見たんです」


美也子は一瞬戸惑ったが理由をつけごまかそうとした。


田中は一瞬きょとんとしたがすぐに笑った。


「まあ、どんな理由でも、私はこのご恩を忘れません!」


彼はアシスタントに合図し、きれいな紙袋を二つ差し出す。


「ほんの気持ちです。どうか受け取ってください。今後、何かお役に立てることがあれば、いつでも遠慮なく言ってください。」


田中はその恩をしっかり胸に刻んだ。





田中は二人をホテルの玄関まで見送り、宗弥の家の車がちょうど到着していた。


車の中、美也子は窓の外に流れる夜景を眺めていた。


この時間、道行く人は少なく、車の流れは続いている。


少し渋滞気味のため、車内はより一層静かだった。

いつもなら宗弥のそばでおしゃべりが止まらない美也子も、今夜は珍しく黙り込んでいた。


宗弥も静かにしていた。


彼は今夜の出来事を思い返す。


美也子はホテルの消防の問題を的確に指摘し、圭介の誕生日パーティーにも出ず、ずっと自分のそばにいた。

そして最後には、圭介が必死で築いてきた虚像を自ら暴き、彼を窮地に追い込んだ。


これで、美也子は圭介と完全に決別するつもりなのだろうか?

それなのに、彼女の表情にはどこか寂しさが浮かんでいる。 なぜだろう……


実際、美也子の落ち込んだ気分は長くは続かなかった。


一瞬の虚脱のあと、転生して得た冷静さが勝った。


まだ、すべてはやり直せる。

同じ過ちを繰り返さなければ、未来は自分の手の中にある。


張り詰めていた気持ちがふと緩むと、ここ数日間、必死で勉強してきた疲れが一気に押し寄せてきて、まぶたが重くなり、眠気に抗えなくなる。


やがて、頭が自然と傾き、そっと宗弥の肩に寄りかかった。呼吸は穏やかになり、すぐに寝入ってしまった。


宗弥は、そのままじっと動かずにいた。


車は静かに如月家へと向かう。


到着する頃には、宗弥の右腕はすっかりしびれていたが、少しも動かそうとしなかった。


運転手はすでに車外で待っている。


宗弥はふと肩に眠る美也子の静かな寝顔を見下ろし、起こすべきかどうか迷った。


車が止まったときの小さな揺れで美也子は目を覚ました。


ぼんやりと目を開け、窓の外に見慣れた邸宅が見えたことで、ようやく自分が宗弥の肩に寄りかかっていたことに気づいた。

慌てて体を起こし、少し首をさすりながら言った。


「もう着いたの?」


「うん。」


宗弥が答える。


「どうして起こしてくれなかったの?」


「よく眠っていたから。」


宗弥はいつも通り淡々と返したが、よく見ると耳がほんのり赤くなっていた。


美也子はその照れた様子を見て、彼の普段の無口さを思い出し、思わず微笑んだ。


「宗弥。」


「ん?」


彼は美也子を見つめる。

「私のこと、怖いの?」


「……」


宗弥は否定した。


「そんなことはない。」



「でも、どうしていつも私の目を見てくれないの?一緒にいると、なんだか居心地悪そうに見えるけど。」


宗弥は少し咳払いし、目線をそらした。


「……ただ、人とこんなに近くにいるのに慣れていないだけ。」


彼女だけは、こんなに距離を近く感じさせる存在だった。


美也子の目がさらに楽しそうに細められ、少し意地悪な口調になった。


「じゃあ、どうして私を離さなかったの?」


「……」


自分が彼女に振り回されていないことを証明するかのように、宗弥は今まで胸の内にあった疑問を口にした。


「圭介とは……どうしてあんなことになったの?前は彼のこと、本当に好きだったよね?」


圭介の名前が出ると、美也子の微笑みは消え、静かな私道を見つめた。


「ただ、もう好きじゃなくなっただけ。……それだけ。じゃあ、私、行くね。」


美也子は車のドアを開けて外に出る。

ちょうど如月家の門が内側から開き、父・如月達也の姿が現れた。


「お父さん!」


父の姿を見つけるなり、美也子の瞳はぱっと明るくなった。


「お帰りなさい!」


如月達也は普段仕事で忙しく、美也子は家で一人過ごすことが多かった。

家には家政婦が何人もいたが、本当に彼女を束縛できる者はいない。


父は美也子を誰よりも甘やかし、彼女の幸せだけを願っていた。


その無条件の愛こそが、前世の美也子にとって一番幸せな日々だった。


ただ、その頃は、父が「圭介にこだわるな」と言っても、耳を貸そうとしなかった。


今、再び父と向き合い、美也子の胸には温かさと、こらえきれない寂しさが押し寄せてくる。


数歩駆け寄り、父の胸に飛び込むと、涙がこぼれ落ちた。


「お父さん……」


如月達也は、娘の帰りが遅くなったことで少し叱るつもりだったが、泣きながら抱きついてくる美也子に、すっかり気が動転してしまった。


優しく背中を撫でながら、心配そうに声をかける。


「大丈夫だよ、パパはここにいる。どうした?誰かにいじめられたのか?圭介か?父子ともにクビにしたって聞いたけど……」


美也子は父にしっかりと抱きつき、温もりに顔を埋めて小さく答えた。


「ううん、なんでもないの。ただ、お父さんに会いたかっただけ……」


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