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第11話

圭介は彼女を睨みつけ、その目には悔しさが滲んでいた。どれだけ貧乏でも、生まれてからこんな屈辱を味わったことはなかった。


今、周囲の全員が自分の失態を笑っている。


それでも今の彼は何も言えない。なにしろ、美也子がその気になれば、お金を支払わず、自分をここに置き去りにするだろう。


彼は何も言わずに背を向け、その場を出ていった。恵理もその様子を見て、あとに続いた。場の空気はあまりにも悪かったから、恵理も残るわけにはいかなかった。


とくに今日は調子に乗って、同級生たちに圭介との交際を自慢してしまっていた。彼が御曹司だと思っていたからこそ、堂々と交際を公表し、必ず皆から羨ましがられると信じていた。


なのにまさか、彼が運転手の息子だったなんて!?

なら、どうしてお金持ちのふりをしてたの?


二人が離れたのを確認すると、美也子は残った皆に視線を向けた。


「用事が済んだし、みんなここで解散していいわよ。もう遅いから、帰り道は気をつけて」


生徒たちは次々と翡翠の間から出て、その背中を見送ってから、美也子もようやくここを出た。マネージャーは彼女に付き添い、エレベーター前まで送っていった。


ちょうどそこへ宗弥も姿を現した。


美也子は立ち止まり、彼を見た。


「まだ帰ってなかったの?」


「用事は済んだ?」


「うん。」


美也子はうなずいた。


二人は一緒にエレベーターに乗った。

美也子は黙ったまま、静かだった。

さきほど、皆の前で自分の正体をはっきりさせることはできたが、心の中は別に晴れやかではなかった。

これまでに受けた苦しみや痛みに比べれば、今の圭介へのささやかな仕返しなど、到底心の中の闇を晴らせない。


宗弥も彼女が黙っているのを見て、余計なことは言わなかった。

やがてロビーに着くと、中村勇樹がそこに立ち、美也子の姿を見つけるなり、彼はすぐに駆け寄ってきた。


「美也子ちゃん」


今回、彼の目当ては宗弥ではなく、美也子だった。


美也子は礼儀正しく挨拶した。

「中村おじさん」


中村勇樹は彼女の手を取り

「美也子ちゃん、本当にありがとう!君がいなければ、うちのホテルは大変なことになっていましたよ!さっき自分で消防点検に行ってみたら、たくさん問題が見つかって…全部、いとこがちゃんとやっていなかったせいなだ。もう家に帰らせて、反省させている!」


それを聞いて、美也子は安心した。

「感謝は至れません」


中村勇樹は興味深そうに尋ねた。

「でも、美也子ちゃんはどうして、うちのホテルにこんな問題があるって分かったんだい?」


「……っ」

この質問には、さすがの彼女も少し困った。

仕方なく、適当に理由をつけた。

「昨日、夢で見たんです」


その答えに中村勇樹は吹き出すように笑った。

「そうか……まあ、それ以上は聞かないから、安心しろ。そうだ、お二人にちょっとしたプレゼントを用意した」


そう言いながら、側にいたスタッフに合図を送ると、綺麗な布に包まれた物が運ばれてきた。


「ささやかなものですが、感謝の気持ちです。今後、何かあったら、遠慮なく私を頼ってください!」

この恩は決して忘れない。




中村勇樹が彼らをホテルの外まで見送ると、すでに九条家の車が待っていた。

美也子は車を乗り、窓の外をぼんやりと眺めた。


この時間帯、道を歩く人は少なくなっていたが、車はまだ多く、少し渋滞していた。宗弥と一緒にいるときはいつも話が尽きなかった彼女が、今夜は珍しく静かだった。


宗弥も無理に話しかけようとはしなかった。

ただ、彼女がロイヤルホテルの消防用設備の不備を事前に、指摘できたことを思い出した。ホテルのオーナーより詳しいなんて、普通はあり得ない。


翡翠の間での出来事も耳にしていた。

今日は葛城圭介の誕生日だったにもかかわらず、彼女はずっと彼と一緒にいた。しかも、最後には圭介に大きな恥をかかせた。

彼女は、圭介との関係を本当に終わらせるつもりなのだろうか。

では、この表情の曇りは、また何故だろう?




美也子の憂鬱は長くは続かなかった。

なぜなら彼女は知っている。彼女は生まれ変わったからと。前世のような過ちを繰り返さなければ、まだやり直せることはたくさんある。

その思いが、やがて彼女に眠気を呼び寄せた。

最近は真面目に学校に通い、体力を使うことが多く、常に眠気と戦っている状態で、今夜も自然とまぶたが重くなり、ついには宗弥の肩にもたれたまま、眠ってしまった。


如月家に到着したときには、宗弥の腕はすでに痺れていた。けれど、美也子を起こさないよう、そのまま保ち続けていた。


「坊ちゃま、到着しました」


運転手が車を降り、外で待っている中、宗弥はまだ彼女を起こさなかった。眠る彼女の繊細な横顔を見つめながら、そっと迷っていた。


その頃、美也子は車が停まったこと感じ、窓の外を見て、すでに自宅に着いたことに気づいた。

彼女は頭を上げ、宗弥の顔を見て、彼はきちんとした姿勢で座ったまま、こちらを一度も見てこなかった。


首のあたりを揉みながら、美也子は体を起こした

「もう着いたんだ」


「うん。」


「どうして起こしてくれなかったの?」


「よく眠ってたから」


いつも無表情で淡々とそう答えているが、よく見ると、耳のあたりは少し赤くなっている。

単純なのは知っていたけど、ここまでとは思わなかった。


「宗弥」


名前を呼ぶと、彼は彼女の方を見た。


「あなた、私のこと怖いの?」


「……」


「そんなことはない」


「なら、どうしてこっちを見ないの?一緒にいるときも、なんか避けてる感じがしたよ」


宗弥は軽く咳払いして。

「他人とこんなに近づけるのが、慣れてないだけ」


彼女が初めてだ。


その言葉に、美也子はくすっと笑った。

「じゃあ、なんで私と距離をとらなかったの?」


「……」


宗弥は答えず、まるでその言葉に抗うように、話題を変えた。

「どうして圭介別れたの?彼のことが大好きだったでではないのか?」


突然の質問に、美也子は一瞬きょとんとし、誰もいない道を見つめながら答えた。

「もう、好きじゃなくなっただけ。別に、なんでもないの。またね!」


そう言って、彼女は車を降りた同時に、如月家の玄関の扉が開いた。

美也子のお父さん・如月達也もそこにいた。


「お父さん!お帰りなさい!」


美也子の目がぱっと明るくなった。

如月達也は仕事が忙しいため、美也子一人家にいることが多かった。家には使用人が多くいたが、彼女を説教できる者は少ない。

それに、父である如月達也も、娘を甘やかしているため、厳しく接することはあまりなかった。


――美也子が幸せであればいい。


お父さんに愛されていたあの頃は、まさに何の心配もない日々だった。

前世では、お父さんが圭介ばかりしないでと、何度も忠告してくれたのに、その言葉を彼女はまったく耳に入れなかった。

だからこそ、今、お父さんと再会したこの瞬間、美也子は幸せに満ちている。


お父さんの前に立ったとたん、長く抑えていた寂しさやつらさが一気に溢れ出して、そのまま腕に飛び込み、ぽろぽろと涙をこぼした。


「お父さん……」


人は、もっとも信頼している相手の前でだけ、本当の弱さを見せられるのかもしれない。


如月達也は娘がこんな遅い時間に帰ってきたことに、最初は少し厳しい表情で、説教しようとした。だが、突然娘が泣きながら飛び込んできたことで、すぐ慌てだした。


「お父さんはここにいるよ!」


達也は優しく娘の頭を撫でながら、焦ったように言った。

「どうした?誰かにいじめたのか?あの圭介の小僧か?解雇したって話も聞いたぞ!」


美也子はお父さんにしがみついたままつぶやいた。


「ううん……なんでもない。ただ、お父さんに会いたかっただけ!」

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