圭介と恵理はバスに乗り込んだ。圭介が口を開く。
「今日はここで。」
家庭教師の収入がなくなり、新たなバイトを探さなければならなかった。
父親の借金は底なしで、これまで稼いだお金もかなり奪われていた。今は自分で生活を支えるしかない。
恵理は理解して静かに頷いた。
「うん。」
その頃、如月達也は自ら運転して美也子を最新のスマートフォンを買いに連れて行き、夕食もご馳走した。そして今夜はさらに大切な用事――宗弥の叔父、斎藤康弘との顔合わせが控えていた。
斎藤康弘は神前県で仕事をしており、如月達也とは長年の友人だ。正式な両家の顔合わせは、達也がずっと望んでいたものの、美也子が圭介に夢中だったため、なかなか実現しなかった。しかし、娘の気持ちが変わり、ようやくこの日が来たことに、達也はとても満足していた。
料亭のテーブルでは、如月達也と斎藤康弘が和やかに談笑している。美也子は宗弥の隣に座り、そっと圭介との賭け――模試で百位アップ――について話した。
宗弥は淡々と「うん」とだけ返す。
美也子は彼の反応を測りかねて、不安そうに聞く。
「やっぱり私、無茶しすぎ?難しすぎるかな?」
「そんなことない。」
宗弥は美也子を見て、落ち着いた声で答えた。
「じゃあ、私、いけると思う?」
美也子はさらに聞く。
「最近、あなたに教えてもらってること、ちゃんと分かる気がして。」
「大丈夫。勉強は任せて。君は決して馬鹿じゃない。やり方が間違っていただけだよ。」
馬鹿という言葉には、圭介の過去の中傷を打ち消す意味が込められていた。
宗弥は何も言わなかったが、その言葉をしっかり覚えていたのだ。
美也子はその言葉にほっとして、笑みを浮かべた。
「そう言ってもらえると安心する。この間はよろしくね。」
「もちろん。」
2人が静かに話していると、いつの間にかテーブルの会話が止んでいた。美也子が顔を上げると、父と斎藤叔父が微笑みながらこちらを見ていた。
美也子は少し恥ずかしそうに言う。
「お父さん、何を見てるの?」
「いや、何でもないよ。2人でゆっくり話してなさい。」
達也は笑って手を振ったが、内心では「うちの娘、あの子に連れて行かれるんじゃないか……」と複雑な気持ちだった。
夕食が終わると、達也と斎藤康弘はさらに話し合いがあるとのことで、美也子と宗弥は先に店を出た。
まだ時間が早かったので、2人は静かな喫茶店に入った。美也子はアイスクリームが食べたくなり、カウンターに注文に行った。
席に戻ると、宗弥の隣に座り、すぐに問題集を取り出した。賭けのことが頭から離れず、気が緩められなかった。
「ご注文の品です。」
店員が飲み物やお菓子をテーブルに置いた。
美也子が顔を上げると、制服姿のその店員が圭介であることに気づき、思わず固まった。
「なんでここにいるの?」
思わず声が出る。
圭介は一瞬で表情を曇らせ、冷たい声で言った。
「それはこっちのセリフだ。俺がここでバイトしてるの知ってて、わざと来たんだろ?」
彼は美也子が自分を追い詰めるためにわざわざ来たと思い込んでいる。簡単に自分を諦めるはずがない、何か仕掛けてきたと。
「考えすぎだよ。」
美也子は淡々と返した。本当に偶然だった。
圭介は宗弥を一瞥し、あからさまな嫌悪感を示して、何も言わずに去っていった。まるで自分が客であるかのような、偉そうな態度だった。
美也子は呆れて、彼のどこからあの優越感が湧いてくるのか不思議でならなかった。アイスクリームを宗弥に差し出すと、宗弥は「君が食べな」と断った。
彼は美也子の鞄を手に取り、「行こう」と言った。
圭介と出くわしたことで気分が悪くなったのだ。美也子も頷き、宗弥と店を後にした。
その後の半月間、美也子は必死に勉強に励んだ。宗弥は毎日時間通りに如月家に来て、厳しく指導してくれた。美也子は自分の成長を実感していた。
だが、圭介はそんな美也子を見ると、わざと嫌味を言わずにはいられなかった。
「美也子、今ならまだ降参できるぞ。結果が出てから恥かいても遅いぞ。」
わざと聞こえるように言ってくる。
美也子は眉をひそめ、うるさいと思い、すぐにイヤホンをつけて彼の声を遮断した。
模試がついに終わった。美也子は手ごたえを感じ、足取りも軽やかに家に帰った。
結果はまだ出ていないが、今回は自信があった。
宗弥はすでに庭でお茶を飲んで待っていて、傍らにはさらに太った真白が寝そべっている。
美也子は真白の頭を撫で、宗弥に声をかけた。
「今日は早いね?」
「いつも通りだよ」
「ちょっと不思議だったんだけど、学校で他に何か活動してないの?圭介や恵理はいつも忙しそうにしてるのに。」
宗弥は湯呑みを置く。
「時間は割と自由なんだ。学校もあまり厳しくないし。」
「生徒会とかも入ってないの?」
「普通は参加しない。」
「どうして?」
「面白くないから。」
宗弥は淡々と答えた。
それに、宗弥が普通の活動に参加すると、他の生徒とレベルが違いすぎて、やる気を削いでしまうことも先生たちは分かっている。
美也子はふと思い出した。
「でも、いろんなコンテストには出てたよね。圭介が、宗弥が出るコンテストは絶対優勝できないから、参加するたびに嫌になるって言ってた。」
宗弥は湯呑みを手に取り、静かに一口飲んだ。
圭介が出る大会には、確かにあまり欠かさず参加している。
美也子は目を輝かせた。
「来週末、白峰高校と私たち桜丘高校でバスケの練習試合があるって聞いたけど、宗弥も出るの?バスケできるの?」
期待のこもった目で見つめる美也子に、宗弥は静かにうなずいた。
「やった!」
美也子は飛び上がった。
「ちょっと待ってて、着替えてくるね。今日の模試で分からなかった問題、あとで見てもらってもいい?」
美也子が軽やかな足取りで家に入っていくのを見ながら、宗弥は携帯を取り出した。バスケ部の鈴木陽太から2日前に届いたメッセージを開く。
「宗弥先輩、来週桜丘とのバスケ練習試合、助っ人お願いできますか?みんな先輩を待ってます!」
宗弥は「行く」とだけ返信した。
すぐに返ってきた陽太のメッセージからは、興奮が伝わってくる。
「本当ですか?!宗弥先輩が出てくれるんですか?!やった!どうして今回はOKしてくれたんですか?」
宗弥は携帯を閉じて、美也子が消えた玄関を見つめ、わずかに口元を緩めた。