美也子が着替えを終えて階段を降りてくると、さっそく庭で宗弥と答え合わせをした。
意外にも、正解している問題が多くて、美也子の気分は上々だった。
ついに成績発表の日。
担任の先生が教室に入ってきて、いつものように圭介と恵理を褒めた。今回もこの二人が学年1と2の座を占めていた。
けど、今日はそれだけでは終わらなかった。
「それと、もう一人。今回、特別に褒めたい生徒がいます。それが…如月美也子さん!」
「……!」
美也子は、その名前を聞いた瞬間、びくっと体を起こした。
隣の圭介は、ちらりとこちらを見たが、その目はどこか冷たく、嘲るような光を含んでいた。
「如月さんは今回、本当によく頑張りました。今までずっと下位にいたが、なんと今回学年で上位100位に入りました。このまま努力を続ければ、受験でもきっと良い結果が出せるでしょう」
「上位100!?」
クラス中がざわめいた。目を丸くして驚いているのは、生徒たちだけじゃなかった。
圭介も、一瞬だけ言葉を失っていた。
彼の中では、たとえ順位が100位くらい上がったとしても上出来だと思っていた。まさか、100位以内に入るなんて、思ってもみなかった。
美也子自身も正直信じられなかった。ここまで上がるなんて、想像さえできなかった。
きっと、前世で散々痛い目を見た分、今はもう遊びたいなんて気持ちもどこかに消えてしまっていて。
授業中は常に真剣、放課後は宗弥と一緒に勉強する。
宗弥の教え方は、とても分かりやすくて、難しい問題も彼に説明してもらうと不思議とスッと理解できた。
――努力すれば、ちゃんと結果はついてくるんだ。
「先生、それ…何かの間違いじゃないですか?だって美也子って、ずっと最下位の方だったのに……」
「間違えてません」
先生はきっぱり言って、美也子に向かって優しく微笑んだ。
今まで、クラスの足を引っ張ってると感じていた存在が、こんなにも成長したなんて。
そんな先生の言葉に、美也子の胸の奥がじんわりとあたたかくなった。
隣で黙っている圭介に向き直り、ちょっと勝ち誇った顔で言った。
「どう? 私のことバカだって言ってたよね?15キロ…忘れてないでね!」
「…っ」
圭介は、ぎゅっと唇を引き結んで、何も言わなかった。
彼の中で、ずっと
どうして、こんなに急に成績を伸ばしたんだ?
まさか、本当に宗弥が教えたおかげ?
放課後。
圭介は、賭けに負けた通り、15キロ走る羽目になった。
美也子は家にも帰らず、わざわざ彼の走る姿を見届けに残った。ベンチに座って、汗だくで走る圭介の様子を眺めながら、「最高!」と心中で叫んだ。
そんな美也子を、少し離れた場所から恵理が見ていた。その目は、どこか冷たくなっていた。
田中萌が小声で、恵理に囁く。
「たかが100位以内に入ったぐらいで、何偉そうに。まるで一位でも取ったみたいじゃん。圭介は一位なのに、自慢してないのよ!うちの恵理だって二位だというのに!」
恵理は淡々と視線を圭介に移した。
「賭けをしたら。それに、圭介は負けを認めない人ではない」
「ほんとそれ」
田中萌は鼻を鳴らして続けた。
「彼女がたとえ勉強ができるだって無駄だ!結局、帰ったらあのお金持ちのオヤジの相手にするでしょ?想像するだけで、キモいっていうか、かわいそうになってくる」
恵理はすっと言った。
「他人の悪口はやめましょう」
「恵理ってほんと、優しすぎ~」
田中萌は恵理の腕にぴったりとくっついた。
圭介が15キロ走り終えたとき、空はすっかり暗くなりかけていた。
汗まみれで戻ってきた彼を、美也子が待っていた。
「…満足した?」
「お疲れさま。また賭けしてくれるなら、いつでも歓迎だよ」
美也子はニッコリ笑って立ち上がり、軽やかな足取りで校門へと向かった。
その背中を圭介は黙って見送った。
足取りが楽しそうで。スキップみたいに軽く跳ねて、まるでいいことがあったかのように。
以前の美也子は、彼にすべてを捧げ、尽くし続けた。それが今じゃ……圭介の存在なんて、まるでどうでもいいみたいに、
一度も振り返ることすらしなかった。
そして頭をよぎるのは、宗弥の顔。
まさか、宗弥と付き合うつもりなのか?
あのふたり、家柄も釣り合って、もし本当に付き合ったら、何の問題もない。
でも、そう考えた瞬間、圭介の胸に、どうしようもない違和感が湧き上がってきた。
まるで、自分のものを奪われたような……そんな、妙な感情。
「圭介?」
恵理が声をかけてきた。
美也子の方をじっと見つめていた彼に、恵理はペットボトルを差し出した。
「疲れたでしょ? お水、どうぞ」
「ありがとう」
圭介はそれを受け取り、恵理の前では、いつも礼儀正しく接していた。
「お疲れさま。でも、ほんと不思議だよね。あの美也子が、どうして急に成績伸びたのかな?」
「カンニングじゃない?」
と、田中萌が口を挟んだ。
「ちょっと怪しいと思ってるんだよね。だって、前は圭介が毎日教えてても、ぜんぜん伸びなかったのに、今になっていきなり急上昇なんてありえないでしょ」
「そういうことは軽々しく言っちゃダメよ。証拠もないのにそんなこと言って、責任とれる?」
「明日先生に言ってみる!」
学校を出た美也子は、そのまま車で自宅に戻った。
この嬉しいお知らせを、誰よりも宗弥に一番に伝えたかった。圭介に勝てたのは、自分ひとりの力じゃない。宗弥がずっと支えてくれていたから!
けれど…
「今日、宗弥様はいらしてませんよ」
理子さんがそう言った。
「そう…」
思わず声のテンションが下がった。
ちょっと残念だった。
着替えを済ませてダイニングへ向かい、ひとりで食事をとる。
最近お父さんも不在で、屋敷には美也子ひとりだけ。
ふと気になって、宗弥に電話をかけてみた。
その頃、宗弥は自宅のプールでひと泳ぎしていた。
「お坊ちゃま、お電話です」
執事がプールサイドに立ち、静かに声をかける。
だが、水音で聞こえなかったせいか、宗弥は反応を見せない。
「如月美也子様からです」
その一言で、宗弥はすぐに水面から顔を出し、プールから上がってきた。
執事が素早くバスタオルを広げ、濡れた体を覆ってやる。
タオルで髪をぬぐいながら、宗弥はスマホを受け取る。
無表情だった顔に、ほんのり柔らかい光が差した。
「もしもし」
「いま忙しいの?お邪魔しちゃったかな?」
「さっきプールに入ってた」
「今日、来なかったって聞いたから、ちょっと気になって電話したの」
「少し用事があって」
「ふふ、実はね! 今回のテスト、めっちゃ成績上がって、なんと学年で100位以内に入ったの!圭介は15キロ走ったんだよ!? あの信じれない顔を見て、もうほんと最高だった!」
宗弥は濡れた髪をタオルで拭きながら、ベンチに腰を下ろした。電話越しの彼女の明るい声に、耳を傾ける。
楽しそうに喋るその声が、やけに遠くてまぶしく感じた。
「ねえ、聞いてる?」
「うん。ちゃんと聞いてるよ。おめでとう」
「電話、本当に邪魔じゃなかったの?」
「ちょうど今時間あるから」
「宗弥毎日教えに来てくれてたでしょ?大変だったと思うし、ちょっと二、三日休んだら?自分でも勉強してみるから、わからないことがあったらLINEするね」
「うん」
「…宗弥」
美也子の声が、ふと優しくなった。
「なんか、元気ないっていうか……ちょっとだけいつもと違う気がするけど。なにかあった? わたしにできることある?」
その一言に、宗弥はふっと息を止めた。
どう答えたらいい、実は毎日君の家に来て会いに行きたい!?