圭介の沈黙に美也子は薄く微笑んだ。
「どうしたの?もしかして、私が少し拗ねて黙っていれば、また昔みたいに自分から戻ってきて、私を慰めてくれるとでも思ってる?」
彼の気持ちなんて、手に取るように分かる。天国から地獄に突き落とされる感覚は、前世で嫌というほど味わった。
今まで何不自由なく暮らしてきた圭介が、今はアルバイトで食いつないでいる。落差は大きいはずだ。前世の自分は、都内の団地でいつまでも圭介が助けに来てくれると夢見ていた。
ただ自分が潔白だと証明して、迎えに来てくれると信じて。
でも、実際に待っていたのは圭介と恵理の結婚式。彼の本性を思い知らされた瞬間だった。
「必要ない!」
圭介は唇を固く結び、顎のラインが引き締まる。
美也子の笑みはさらに冷たくなり、どこか哀れむような色さえ浮かべた。
「まだ私が戻るかもって期待してるなら、さっさと諦めなよ。本当に態度を変えてほしいなら、私に頭下げてみたら?あなたがみじめに頼んだら、可哀想に思ってお小遣いくらいあげるかもよ?」
彼に希望を持たせるつもりはない。ただ、あの偽善者の仮面を剥がしたいだけ。前世であれだけ酷い目に遭ったのに、今世で簡単に許すわけがない。
「絶対に嫌だ!」
圭介はまるで尻尾を踏まれた猫のように顔を背け、全身から冷たい空気を放つ。
美也子は肩をすくめて気にもしなかった。チャイムが鳴り、彼女はまっすぐ職員室へ向かった。
職員室では、教頭と学年主任たちが揃って待ち構えていた。新しく用意された試験用紙が彼女の手に渡され、その場で解答。すぐに採点も行われた。
結果は言うまでもない。
担任の先生が成績表を見つめ、複雑な面持ちで口を開いた。
「美也子、本当にカンニングなんてしていなかった。ただ……今までの成績とあまりにも違いすぎて。」
「昔は勉強に集中していなかっただけです。最近、家庭教師を変えたので、そのおかげです。」
美也子は落ち着いて答える。人生をやり直している彼女には、学校という公平な場所の大切さが誰よりも分かっていた。大人社会の厳しさはもう十分知っている。
教室に戻ると、担任と教頭が直接結果を発表し、美也子の潔白が証明された。山本萌の顔は一瞬で青ざめた。
「そんなはずない……どうして……?」
担任の先生は厳しい表情で言った。
「今回の件は、クラスの雰囲気に深刻な問題があることを示しています。努力して成績が伸びた人を励ますべきなのに、根拠のない噂や中傷が飛び交うなんて。皆さん、しっかり反省してください!」
美也子は鋭い視線で山本萌を見据える。
「退学の手続き、いつやる?」
「わ、私…」
山本は動揺し、言葉がうまく出てこない。
「やっぱりやめるつもり?」
美也子は皮肉を込めて眉を上げる。
「口だけなら何とでも言えるよね。できないことなら、最初から言わないことね。」
「美也子!」
恵理が間に入り、柔らかな声でたしなめる。
「同じクラスメイトなんだから、そこまで追い詰めなくてもいいでしょ?山本萌も美也子のことを心配して、ちょっと間違えただけで、悪気はなかったの。今回だけは許してあげてくれない?」
その言葉は水面に投げた小石のように、すぐに周囲から同調の声が上がる。
「そうだよ、退学なんて重すぎる!」
「恵理の言う通り、山本萌は悪意なんてなかったんだよ!」
「恵理はいつも美也子のことを考えてくれてる!」
「正義の味方」や「理解者」を気取るクラスメイトたちを見て、美也子は静かに微笑んだ。
「恵理、そんなに彼女のことが大事なら、あなたが代わりに退学したらどう?」
「な、何を…」
恵理は言葉に詰まり、涙ぐみながら顔を伏せた。
「美也子、それはやりすぎだよ!恵理には関係ないだろ!」
「恵理は誰にでも優しいんだから!」
美也子は冷ややかに周囲を見回す。
「平等?じゃあ、もし私がカンニングをしたと証明されて退学になっていたら、恵理は同じように善意で私をかばってくれたの?」
「もちろんよ!」
恵理は涙声で即答する。
「私はずっと美也子のことを応援してきたんだから……」
「もういい!」
美也子は彼女の芝居にうんざりして遮り、再び山本萌に向き直る。
「退学したくないなら、二十キロ校庭を走りなさい。それでこの件は水に流す。走れないなら、さっさと消えて。」
二十キロ?!
山本萌は顔色を失い、絶望した。
「さすがに厳しすぎない?」
誰かがつぶやく。
「私を陥れたことに比べれば、これでも十分甘いわ。」
美也子は動じない。小さな悪事でも、きちんと罰しなければ、誰も彼女を軽く見ることをやめない。噂を流す代償は払わせるべきだ。
「……やる!」
山本萌は歯を食いしばって答えた。
「走るだけじゃダメよ。」
美也子はさらに言い加える。
「走りながら『私、美也子にカンニングの濡れ衣を着せました。美也子はカンニングなんてしていません!』って全校に聞こえるように叫び続けて。」
「そ、そんな……」
山本萌は震え、屈辱に耐えている。
「やりすぎだと思う?」
美也子は眉を上げた。
「でも、根拠もなく人の評判を傷つけるほうが、よっぽどひどいわよ。」
放課後、校庭
山本萌は重い足取りで償いのランニングを始める。体力もないのに叫び続け、息が上がってすぐにボロボロになった。
美也子は観覧席の階段に座り、その様子を冷たく見守り一周たりとも見逃さない。
そんな中、恵理がしなやかに走り寄ってきて、眉をひそめながら悲しそうに言った。
「美也子、山本萌はちゃんと自分の非を認めてるし、もう限界みたいよ……圭介みたいに体力あるわけじゃないんだから、二十キロじゃ倒れちゃうよ。今回だけは許してあげて。」
美也子は山本から視線を外し、逆光の中で恵理を冷たく見つめた。その顔には、心配するような素振りの裏に、見下す偽善が滲んでいる。
思い出すのは、死ぬ直前に恵理からかかってきた悪意に満ちた電話。「ほんとバカだね」と嘲笑う声……恵理はずっと、圭介のやったことを知っていた。
それなのに今さら、私がやりすぎだと言うの?
「恵理」
美也子の声は氷のように冷たかった。
「その善人ぶった顔、いつまで演じるつもり?私も他のバカたちみたいに、あんたの言うことを信じると思ってるの?本当に山本萌が大事なら、あんたが代わりに走れば?偽善はもううんざりよ。」