咲は、週末のフォトサークルに欠かさず参加するようになっていた。
最初は、新しい環境と人々に馴染めるか不安だったが、鈴木 一真という存在が咲の心を軽くしてくれた。
彼は、年齢がいくつか下ということもあり、気負うことなく自然体で接することができた。
サークルの活動は実践的だった。講師からカメラの基本的な使い方や構図について学び、その後は、メンバーそれぞれが自由に街に出て、テーマに沿った写真を撮影する。
咲は、夢中になってシャッターを切っていた。ファインダー越しの世界は、日常の風景を、いつもとは少し違った特別なものに見せてくれる。
「咲さんの写真、やっぱりいいですね。なんか、優しい感じがします」
撮影会が終わって皆で写真を見せ合っている時、一真が咲の写真を見て言った。
「そうかな……。一真くんの写真こそ、いつも発想が面白いよ。私には、とても思いつかない」
咲は少し照れながら答えた。彼のイラストにも通じる、ユニークな視点と色彩感覚が彼の写真には表れていた。
「いやいや、僕なんてまだまだです。咲さんみたいに、もっと感情が伝わる写真が撮れるようになりたいなあ」
一真はそう言って自分のカメラの設定をいじり始めた。
二人は写真という共通の話題を通して自然と多くの時間を共有するようになった。
サークルの後、一緒にカフェに寄って写真談義に花を咲かせることもあった。一真のイラストレーターとしての夢や、日々の苦労についても、屈託なく咲に話してくれた。
咲は彼のひたむきな姿に純粋な応援の気持ちを抱いていた。彼の夢が、いつか叶うといいな、と心から願っていた。図書館で見つけたイラストレーターの画集を貸してあげたり、公募展の情報を教えたりすると、一真は子供のようにはしゃいで喜んだ。
「うわー! ありがとうございます、咲さん! これ、すごく見たかったんです!」「こんなコンテストがあるなんて、知らなかった! よーし、僕も応募してみます!」
そんな日々が続くうちに、一真のイラストレーターとしての活動に少しずつ変化が現れ始めた。
彼が、咲に勧められて応募した、小さなデザインコンペで、思いがけず賞を獲得したのだ。
「咲さん! やりました! 僕、賞、取りました!」
一真は、電話口で信じられないといった様子で興奮気味に報告してきた。
「本当!? すごいじゃない、一真くん! 本当におめでとう!」
咲は自分のことのように喜び彼を祝福した。彼の努力が認められたのだ。
それをきっかけに、一真のもとには少しずつ仕事の依頼が舞い込むようになった。ウェブサイトのカットイラスト、地方のフリーペーパーの表紙絵……。まだ大きな仕事ではないけれど、彼にとっては、夢への確かな一歩だった。
一真は、以前にも増して精力的に作品制作に取り組むようになった。
彼の描くイラストは、以前よりも、さらに生き生きとして力強さを増しているように咲には見えた。
咲は、そんな彼の姿を温かい気持ちで見守っていた。
彼の才能が、花開いていく過程を、すぐそばで見られることが、嬉しかった。
(……良かった。一真くん、頑張ってるな)
咲は、素直に、そう思った。彼の成功は、彼自身の努力と才能の賜物だ。そう、心から信じていた。
しかし、心の片隅で、ほんのわずかな、小さな
(……健介くんも、翔太くんも、最初は、こうだったなぁ。成功を一緒に喜んだっけ……そして、いつの間にか、距離ができたんだったな……ううん、考えすぎだ。一真くんは、違う。彼は、あんな人たちとは違うはず)
咲の頭に浮かんだ嫌な記憶を必死に振り払った。過去の経験が、ただ、自分を臆病にさせているだけだ。そう、自分に言い聞かせた。
一方、親友の志帆は、咲が新しいサークルで年下の男性と親しくなり、その男性が最近、少しずつ注目され始めていることを、咲との電話やメッセージのやり取りで知っていた。
(……一真くん、だっけ? イラストレーター志望の……。咲、最近、よく彼の話をするな……。それに、彼、コンペで賞を取ったとか……)
志帆はスマホの画面を見つめた。
(まだ付き合ってもいないのに彼の運勢を上げるなんて……咲って、やっぱり、「
志帆はクスっと笑った。
その後も一真の勢いは、さらに増していく。
SNSで彼のイラストが「バズった」ことをきっかけに、ついに大手出版社から声がかかり、人気作家の小説の挿絵を担当するという、大きな仕事が決まったのだ。
「咲さん! 聞いてください! 僕、ついに……ついに、やりました! あの、
一真は、電話口で、興奮を隠しきれない様子で、咲に報告した。
「すごい! 本当にすごいよ、一真くん! まるで夢みたい!」
咲も、心から祝福した。彼の努力が、ついに大きな実を結んだのだ。
「これも、全部、咲さんのおかげです! 咲さんが、いつも僕を励ましてくれて、色々なことを教えてくれたから……! 本当に、感謝してます!」
一真は、何度も感謝の言葉を繰り返した。その声は純粋な喜びに満ちていた。
咲は、彼の言葉を素直に喜んだ。彼の役に立てたことが嬉しかったのだ。
……でも。
電話を切った後、咲の心に残ったのは喜びだけではなかった。一真の、以前とは違う自信に満ち溢れた声。その声の響きが、なぜか、咲の胸に、冷たい不安の影を落としていた。
(……「君のおかげだ」)
健介くんも、翔太くんも、最初はそう言ってくれた。そして、彼らは、変わってしまった。
(一真くんは、違う。違うはずだ……)
咲は、必死に、そう自分に言い聞かせた。でも、心の中に刺さった小さな棘の痛みは消えることはなかった。