「……なんであんな無口な人に、心臓が撃ち抜かれなきゃいけないのよ……!」
春の風が吹き抜ける放課後の体育館。
隅っこでひとり膝に手をついて、私はゼーゼーと息を吐いていた。
新学期が始まって、まだ間もない四月。
クラス替えもあって友達づくりが一番の課題なはずなのに――
私は今、「スポーツチャンバラ部」通称「剣王会」の体験練習に参加している。
体育の授業でもこんなに動かないよ……マジで……。
それでも、目を上げればその光景は――息を呑むほど美しい。
剣を交える部員たちの姿。
エアーソフト剣が風を切る音。
軽やかでいて鋭く、遊びのはずなのにどこか凛とした空気。
まるで舞のよう。
一瞬ごとの選択が、剣の軌道にそのまま刻まれていく。
「……スポチャン、ってこんなに綺麗だったんだ……」
私はこの場所を、ただの「面白い部活」としてしか見ていなかった。
でも――彼を見た瞬間、全部変わった。
体育館の中央、黒いジャージに身を包んだひとりの男子。
背は高く、やや長めの前髪の奥から鋭い視線が覗いている。
感情の読めないその目が、ただ静かに前を見据えているだけなのに、なぜだろう。
目が離せなかった。
彼の名前は、藤井
剣王会の2年生。
無口で、人見知りで、毒舌。
まるで会話の壁でできた要塞みたいな人だって、噂では聞いていた。
……でも。
その剣筋だけは、まっすぐで、迷いがなくて、見ているこっちの胸を打つ。
初めて見た日――その一撃を見た瞬間、心臓が鳴った。
理由なんてなかった。ただ、惹かれた。
「……藤井先輩がいるなら、ここに入ってみたい」
そんな、よく分からない衝動に突き動かされて、私は今ここにいる。
◆
「……茉莉奈、膝浮いてる。踏み込み、甘い」
低く、乾いた声が響いた。
びくっとして振り返ると、いつの間にか私の背後に藤井先輩が立っていた。
その無表情のまま、ふいっと目を逸らす仕草に――不意に心臓が跳ねる。
「す、すみません……!」
声が上ずるのを必死で誤魔化しながら、フォームを直そうとした、その時。
「……次、俺と」
「へ……えええええっ!? せ、先輩とですか!?」
さっきからずっと先輩の動きを観察していた。いや、凝視してたと言ってもいい。
そんな雲の上の人と、いきなり一本勝負なんて……無理すぎる。
「ま、まだ一本も取れたことないんです私! すっごい下手で、先輩みたいな人となんて――」
「……うるさい。声、大きい。苦手」
\ズキュゥゥゥゥン!!!/
またしても、心に一撃。
「わ、わかりましたっ……お願いしますっ……!!」
体育館中央で構える藤井先輩の背中は、ただ静かなのに、どうしようもなく「来い」と誘ってくる。
(ちょ、ちょっと待って……本気でかっこよすぎるんだけど!?)
顔が火照ってるのを全力で無視して、私は剣を持ち直した。
「構えて……始めっ!」
莉乃先輩――剣王会の主将で、上級生たちの憧れの存在――が、審判を務めてくれていた。
静かな号令と同時に、私は勢いよく飛び出した。
……けど。
「――っ!」
シュッという風のような音とともに、私の腕に柔らかく当たる感触。
「一本!」
莉乃先輩の声が体育館に響く。
全然分からなかった。
動いてなかったのに、いつの間にか間合いを詰めてて、剣は私の動きの先を読んでいた。
「……かっこよすぎて、しぬ……」
崩れそうになる足を、必死で立て直す。
そのとき――
「……もう一本」
再び構える藤井先輩の横顔に、一瞬だけ何かがよぎった気がした。
でもそれが何だったのかは、分からない。ただ、見とれていた。
(ああ……やっぱり私、もう――)
否定しようとしてた気持ちが、ぐらぐらと揺れる。
まだ尊敬かもしれない。でも、それだけじゃもう説明がつかない。
彼の動きに、剣に、言葉に、心がどんどん引っ張られていく。
◆
練習が終わる頃、私はもう汗だくで、体は棒のようだった。
夕焼けに染まる空を見上げながら、ぐったりとした足取りで体育館を出る。
そのとき。
「……下手だけど、まっすぐ来るの、嫌いじゃない」
その声に振り返ると、藤井先輩が壁にもたれて立っていた。
制服のバッグを肩にかけて――そこに、小さなチャームが揺れていた。
ふわふわのシルエットに、まんまるの目。
「……それ、モコモン……ですか?」
「……あ?」
「可愛いですよね! もっこもこで、いつも寝てばっかりで……癒し系!」
「……俺は、カゲモン派」
「えっ!? あの陰キャモン!? いつも地面掘ってるあの子!?」
「……静かで、落ち着く」
「たしかに……。でもちょっと不気味ですよ、あれ……」
「……うるさい。黙ってるほうが、かわいい」
\ドゴォォォォン!!!/(心臓爆発)
藤井先輩は、顔を背けるようにしてスタスタと歩き去っていった。
でも――その耳が、ほんのり赤く染まっていたのを、私は見逃さなかった。
(……ずるい。あんな不器用な言葉で、こっちだけ撃ち抜いて……)
こっちはまだ恋愛レベル1なのに。
でも、たぶん。
この気持ちは、もう始まってしまったんだ。
憧れじゃない。
尊敬だけでもない。
これは、きっと――
「恋の入り口」で、立ち尽くす私の物語。
まだぎこちない。だけど、まっすぐすぎる青春が、いま、動き出した。