「……この人、無口なくせに、心には爆音鳴らしてくるんですけど!?」
これは、まだ「好き」とすら言えない私が、
それでも、誰かを追いかけようと決めた、そんな一日のできごと。
◆
「新入部員、紹介しまーす! 一年の春野茉莉奈ちゃん!」
ドン、と背中を押されて、私はぎこちなく一歩前に出た。
今日から正式に、剣王会の一員になった。
部室に集まる先輩たちが一斉に拍手してくれるのが、妙にこそばゆい。
中でもひときわ爽やかに笑うのが、主将の莉乃先輩だ。
「ふふっ、期待してるよ、茉莉奈ちゃん! 私たち、剣の道にゴールはないからね!」
名言みたいなことを、さらっと言うこの人は、もはや剣王会の太陽。
みんなにとっての憧れ。
でも。
私の憧れは、ちょっと違う場所にある。
その視線の先――
黙って椅子に座り、黙って着替えているあの人。
藤井慧(ふじい・けい)先輩。
部活中以外はほぼ無口。しかも話しかけても「うるさい」って言われる確率が8割超え。
……なのに、こっちの心拍数は会話ゼロでもMAXなんですけど!?
(だってだって、無言で剣を差し出されたりしたら、もう、それ……反則じゃない?)
(「ほら、取れ」っていうあの目! 冷たいのに優しいの、ずるすぎるでしょ!?)
入部を決めた理由も、この人がいたから。
剣を握る後ろ姿に、一目惚れしたから。
でも――
「……おい、茉莉奈。妄想してるヒマあったら、準備して」
「ひぃっ!? 聞こえてました!? 今の独り言……!」
「……うるさい。あと、声でかい」
「はいぃぃぃ……!」
先輩が黙って差し出した
でもその指先がちょっとだけ私の手に触れた瞬間――
\ドクン……/
心臓が、跳ねた。
(あーーーもうっ……何この人。静かに刺してくるタイプの恋の殺人鬼……!)
でも、不思議と、怖くはない。
むしろちょっとだけ、嬉しい。
◆
練習が始まってからの私は、案の定、先輩たちのスピードに全くついていけなかった。
「動きが大きすぎるよ、茉莉奈ちゃん! 小さく速く! はい、そこステップ!」
「ひぃぃっ、手が……足が……体がばらばらになりそうですぅぅぅ……!」
体育館の端っこで、私はゼーゼー息を吐きながら、床にへたりこんでいた。
「……フォーム、変わった」
声がした。見上げると、またしても藤井先輩。
「え? あっ、あの、悪くなったってことですか……?」
「……前より、“構え”に迷いがなくなった。悪くない」
(ほめた!? 今、めっちゃ間接的にほめた!?)
「で、でも先輩みたいな速さ、全然できないです……私、運動神経マイナスなんで……」
「……いいよ、別に。速さなんてあとからついてくる」
「え……?」
「“迷わない剣”は、強い。……それ、俺が最初に負けた理由」
ふと、藤井先輩の瞳が、遠くを見た。
(……え? 負けたこと、あるんだ)
「……誰に、負けたんですか?」
「……莉乃」
「主将……!」
藤井先輩が、誰かを“負けた”って認めるの、初めて聞いた。
「……まっすぐで、うるさい人。だから、負けた。でも……その時から、見てる」
「……先輩も、憧れてたんですね」
「……」
「でも、今は……」
その続きを、言えなかった。
代わりに、先輩がぽつりとつぶやく。
「……俺も、誰かにそう言ってもらえる剣、持てたらいいと思う」
「――っ!」
(やば……今、絶対ズキュン案件……)
「わ、私……私も、目指します!」
「……は?」
「藤井先輩に“いい剣だ”って言われるような、そんな剣、持てるようになりたいって……!」
先輩が、驚いたように私を見た。
そのあと、ほんの一瞬――唇の端が、上がった気がした。
ほんの、すこしだけ。
◆
その日の帰り道。
夕焼けに照らされる坂道を、私は自転車を押して歩いていた。
ふと、後ろから同じく自転車を押す気配。
振り返ると、やっぱり藤井先輩。
「……一緒に、帰るんですか?」
「……別に。たまたま」
「えへへ、そっかぁ」
その“たまたま”が、嬉しいんですけど?
「……」
「……」
沈黙が、しばらく続く。
でも、この沈黙は、嫌じゃない。
「ねぇ、藤井先輩。私、弱いけど……頑張ります。だから、見ててください」
「……」
「で、できれば……もっとたくさん、話しかけてくれると、嬉しいかも……なんて」
「……やだ」
「えっ!? 即答!?」
「……でも、見てる。練習も、試合も。……たぶん、今日も夢に出るくらい見た」
「そ、それってどんな――っ!」
「……じゃあ」
藤井先輩はそれだけ言って、自転車に乗って先に坂を下っていった。
(い、今のって……なに……?)
胸の中が、熱い。
春の夕風が、頬をなでていく。
その風に乗って、心臓がまた跳ねた。
“静かな先輩”が、こんなにうるさいなんて。
――これ、ぜったい、恋です。