全寮制の北天王寺学園では、夕食後にクラブ活動をする生徒も多い。
だけど私――茉莉奈は、この日はたまたま部活がなかった。というか、まだ仮入部中だったので自由時間だった。
(さーて、今日は部屋でお菓子タイムでもするか〜)
廊下をスキップ気味に歩いていると、視界の端に、ちらっと人影が見えた。
「……?」
少し開いた談話室のドアから、ひとり座ってる男子生徒の姿。
薄暗い室内、手にはスマホ。無表情で画面をじっと見つめている。
(あれって……藤井先輩?)
見たことある。
この間、剣王会の見学に行ったとき、端っこで黙って素振りしてた先輩だ。
同じクラスの子から聞いた情報によると──
「藤井先輩、超コミュ障で有名なんだよ」
「ていうかマジで話しかけない方がいいって!」
「話しかけたら5秒で毒舌飛んでくるらしいよ?」
……うん。あまりいい評判じゃなかった。
でも、私は思ったのだ。
「話しかけない方がいい」とか、よくわかんない偏見じゃないかって。
それに――彼のスマホの画面が、ふと見えたから。
(あれ……ボケモン……!?)
ピンク色のゆるい生き物が、のそのそ歩いていた。
「す、すみませんっ!」
勢いよくドアを開けてしまった。
藤井先輩はびくっとして、スマホを慌てて伏せた。
「……な、なに?」
「それって、ボケモンの“ボケパフ”じゃないですか!? 今のイベント限定バージョンの!」
「……見てたの?」
「はい! 私もやってるんです! “ボケっとモンスターズGO”!」
ボケモン。正式名称「ボケっとモンスターズGO」。
緩すぎるキャラクターデザインと、じわじわハマる育成バトルが人気のアプリゲームだ。
とにかく、戦うより「のんびり育てて愛でる」のが醍醐味。
茉莉奈は毎日“朝の給餌タイム”を欠かさない重課金者(お年玉は全部ボケモンにつぎ込んだ)。
「……信じらんない。女子でやってる人いたんだ」
「逆にいないんですか!? あのぽやぽや感、最高じゃないですか。ボケパフの寝顔とか、も〜〜〜〜尊いっ!」
茉莉奈はテンションMAXで語る。藤井先輩は少しずつ目をそらしながらも、口の端が微妙に上がっていた。
「……まあ、否定はしないけど」
(あ、今ちょっと笑った……!)
気づけば、ふたりで“推しボケモン”の話をしていた。
好きな進化系の話、イベント限定のぬいぐるみ、公式の謎キャンペーン(「ごはんを食べさせすぎると進化する」とか)。
そして藤井先輩が、ふいにぽつりと言った。
「……“ボケパフ”って、実は進化すると“パフリーナ”になるんだよな。誰にも言ってないけど、それが……俺の癒し」
「えっ……っ、それ、わかりますっ……!」
茉莉奈は感動していた。
学校ではクールで無口な“毒舌先輩”が、今この瞬間、“ボケパフ”の話になると頬を染めながら語ってくれている。
(ちょっと、すごいギャップ……)
こんな姿、他の人は絶対知らない。
だからこそ、特別な瞬間みたいで、胸の奥が少しだけ、きゅっとなった。
「……あの、もしよかったら」
茉莉奈は、自分でもびっくりするくらい自然に、そう言っていた。
「今度、いっしょに“育成合宿”しませんか? 寮のWi-Fiつかえば、たぶん通信バトルもできるし!」
藤井先輩は、少し黙ってから――
「……別に、いいけど」
と、顔をそむけて言った。耳が、赤い。
その日の夜、茉莉奈はベッドに飛び込んで、布団をかぶってじたばたした。
「ふ、藤井先輩、かわいい……ッ!!」
恋に落ちるって、こういうことなんだと思った。
今まで“かっこいい”に憧れたことはあっても、“かわいい”にドキドキしたのは初めてだった。
──数日後。
剣王会の部活中、藤井先輩は以前より茉莉奈に話しかけてくれるようになった。
話しかけるときは、だいたい「今朝のログイン、忘れてただろ」「ボケスープ飲ませすぎ」みたいなボケモン絡みだけど、それがうれしかった。
「藤井先輩って、ほんとは優しいんですね」
「……うるさい」
「顔が真っ赤ですよ?」
「……お前の天然は、毒だな」
ツン、としてるのに、どこか照れてる藤井先輩。
その姿が、もう……ボケパフ級にかわいいんですけど!!
こうして、ふたりの距離は、ボケモンを介してゆっくり縮まっていった。
恋の始まりは、いつも意外なところからやってくる。
たとえば――
ぽやぽや動くモンスターの画面越しに、ちょっとずつ心が通い合うみたいに。