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第10話「その私服で来る!? デートは突然に、コップは無残に。」

 放課後、春の風が吹き抜ける剣王会の部室で、私はついに決心していた。


「せ、先輩っ!」


 剣道具の片づけをしていた藤井先輩が、ぴくっと肩を震わせる。私の声に驚いたのか、それとも私が珍しく真剣な顔をしていたせいか。いや、たぶん両方。


「……なに」


 いつも通りの低いトーン。けれど、耳が少し赤いのは私だけが知っている。


「こ、今度の土曜日、空いてますかっ?」


「……なんで」


「い、いえ、その……あのっ!」


 言えない。好きです、なんて。まだ無理。でも、せめて……せめて――


「どこか、一緒に行きませんか! たまには、部活じゃなくて!」


 言った。やった。ああもう、心臓が口から出そう!


 先輩は、一瞬だけぽかんと目を見開いた。それから、口の端だけで小さく笑った。


「……別にいいけど」


「やったぁぁああ!」


 勢いよくガッツポーズを決めた私に、藤井先輩は小さくため息をついた。でも、頬がちょっぴり赤いから、これは……たぶん、脈アリ、だよね?

部室が暑いだけかな?


 そして土曜日。


 駅前で待ち合わせた私は、目を疑った。


「……っ!?」


 そこには、衝撃的なコーディネートで立っている藤井先輩がいた。


 グレーのハイネックに、蛍光グリーンのチェックシャツ(前開き)、下はなぜかカーゴパンツ。そして、アニメキャラのロゴ入りリュック。


 うん、これは……初デートで着てくる服じゃないよ、先輩。


「な、なんか……イメージと違って、ちょっと……かわいい……ですね?」


 精いっぱいのフォローだったけど、藤井先輩は「うるさい」とそっぽを向いた。その耳は、また赤い。


 目的地は、私の希望で「おいしいラーメン屋さん」。でも――


「……ここ?」


 連れてこられたのは、商店街の裏路地にある、年季入りすぎて看板の文字が剥がれかけてるラーメン屋だった。


 しかも、中にいるのは明らかに40代以上のサラリーマンと作業服のおじさんたちばかり。


「……ここ、通ってた店」


 たぶん、私が「おいしい店」としか言わなかったせいだ。悪いのは、私。


「い、いいですね……この昭和感! レトロってやつです!」


 藤井先輩の顔が明らかにほっと緩んだ気がして、私もほっとした。


 だが、事件はこの後すぐ起こった。


「ご注文は?」


「……しょうゆラーメン」


「私は、味噌で!」


 店内はガラガラではないけど静かで、テレビからは野球中継の声がぼそぼそと流れている。


 沈黙に耐えかねて、私は水を飲もうとした。


 ……その瞬間。


 カシャッ!


 隣で、乾いた音が響いた。


「ひっ……!」


 振り向くと、藤井先輩が水のコップを床に落とし、割ってしまっていた。


 店内が、凍りつく。


 みんなの視線が藤井先輩に集まる。おじさんたちの視線が、地味に痛い。


「…………!」

藤井先輩が無言で立ち尽くした。

先輩、無言なのやめて。


 先輩があたふたとしゃがもうとしたとき。


 店員さん――恐らく店長――がカウンターから顔を出して言った。


「お兄さん、危ないので触らないでくださいね〜」

 めっちゃ冷静……!!

 その妙に優しいトーンに、先輩が固まった。


 私は――もう、耐えられなかった。


 「ぷっ……あっははははっ!」


 笑ってしまった。ごめんなさい。でも無理だった。涙出るくらい笑った。


「……なにわらってんだ」


「だって……だって、藤井先輩、こんなにテンパってるの初めてで……かわいすぎる!」


 店内がざわついた。おじさんたちが、「付き合ってんのか」「若いっていいなあ」とか言ってる。


 藤井先輩の顔は、真っ赤だった。


「……バカ」


 毒舌なのに、声が震えてるのは反則だ。


 帰り道、駅のホームで、私はぽつりとつぶやいた。


「今日、すごく楽しかったです」


 藤井先輩は、照れ隠しのようにそっぽを向いたまま、ボソリとつぶやいた。


「……おまえのせいで、人生で一番恥ずかしかった」


 でも、その顔は……少し、笑っていた。



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