風薫る五月の午後、花壇に咲くパンジーが揺れる中で、私は体育祭のプログラムを手にしていた。
「次は全学年対抗障害物競争――ペアで手をつないだままゴールを目指せ」
目を見開いた私の手元が震れる。ペアはくじ引き。先輩と組めるかどうかは、運次第……!
「茉莉奈!」
背後から不破くんの声が飛んできた。彼は既に手錠をぶら下げている。
「おい、これ! お前と隣り合わせにならねえよう、この手錠引いてきた!」
うわっ、なんて本気……! でも、何故かその真剣な眼差しに胸がキュンと痛んだ。
──一方、藤井先輩はどこにいるんだろう?
「先輩と一緒に走りたい……」
心の奥で囁く声に、思わず顔が熱くなる。
運命のくじ引き大会。校庭中央に集められた紅白のくじ袋を、私たちは順番に引く。
「茉莉奈、頑張れよ」
不破くんがひそかに背中を押してくれた。ありがとう、でも……先輩の声が聞きたい!
袋の中から引いた白い紙には――“2番”の文字。となりの先輩席を見ると、そこには藤井先輩が立っていた。彼もまた“2番”を手にしていた。
「……おまえ、また俺かよ」
ぶっきらぼうに言うけれど、瞳の奥が揺れているのが見えた気がした。
一方、不破くんは“3番”で新しく転入してきた紗綾さんとペア。彼女はくすりと笑いながら不破くんに手錠を掛けた。
「さあ、不破くん。私たちも頑張りましょうね」
紗綾さんはクールだけど、目の端に優しさがあった。
スタートラインに並ぶ。ゴールには体育祭名物のお菓子ショップ券がぶら下がり、歓声が上がる。
「位置について……よーい、ドン!」
ピストル音とともに、一斉に走り出す。私は藤井先輩と手錠で繋がれたまま、ぎこちなく前に踏み出す。
「走りにくいんだけど……」
「我慢しろ」
低い声が耳元で響く。ドキドキが止まらない。
最初の障害は、低いネットくぐり。屈むと先輩の胸元が目の前に――
(近い、近いよ先輩!)
でも、ネットをくぐり抜けると同時に、先輩が手をきゅっと握り直してくれた。意外と頼りになる。
次は、跳び箱ジャンプ。2人で一緒にジャンプしないと進めない。
「3、2、1……!」
息を合わせて勢いよく飛んだ瞬間、先輩の体温が腕に伝わった。
「せ、先輩……!」
「差支えないなら、心も一緒に飛んでくれ」
甘い言葉に、思わず息が止まる。
続いて、泥水プールゾーン。びしょ濡れ必至の巨大プールに落ちて、網越え。
「覚悟しろよ」
先輩はクールに言いながら、私を背負い上げた。
「え……お姫様抱っこ!?」
周囲の歓声と笑い声が響く中、私はびしょ濡れで先輩の胸に顔を埋めた。
(あったかい……)
プールを越えたあと、次はバランスビーム。つるつるの板の上を手錠で繋がれたまま進まなければならない。
「……離すなよ」
先輩の手のひらが、ぎゅっと私の手を握り締める。
「離さない」
思わずそう答え、二人でゆっくりと進んだ。
最後の障害は、トンネルくぐり。狭い暗闇に二人で潜るとき、息がぶつかり合うほど近づいた。
「おまえ、顔赤いぞ」
先輩の吐息が耳にかかり、鼓動が加速する。
「だって……」
暗闇で言葉を探すけれど、トンネルが終わる直前に、先輩が軽く唇を触れた。
「……頑張ったな」
そのキスは一瞬で、甘く切なかった。
ついにゴール! お菓子ショップ券を手にした私たちに、観客席から大きな拍手が降り注ぐ。
「……勝ったな」
先輩はふっと口元を緩めた。
「うん。先輩のおかげです」
私も笑い返し、手錠を外すのを忘れて、そのまま抱きついた。
そのとき、不破くんと紗綾さんのペアもゴール。
「茉莉奈、よかったな!」
「ありがとう、不破くん」
紗綾さんは不破くんに優しい微笑みを向け、ふたりも祝福し合う。
夕暮れの校庭で、私と先輩は並んで歩いた。手錠はもうない。
「今日……ありがとう」
真っ直ぐな気持ちを伝えると、先輩は少し照れて顔をそむけた。
「……調子に乗るなよ」
でも、その声には確かな優しさが含まれていた。
屋台のチョコバナナを分け合いながら、先輩がぽつりと言った。
「おまえといると、俺……頑張れる」
胸がぎゅっと熱くなる。
「私も、先輩といると心強いです」
優しい視線が交差し、夕焼けが二人を包んだ。
甘酸っぱい障害物競争は終わっても、心の中の恋の障壁はまだまだ続く。
でも、確かな一歩を踏み出した今、私は思う。
「これからも、先輩と一緒に。どんな障害だって――乗り越えてみせる!」