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第13話「競演の夜――紗綾、初恋の打ち明けどころで」

秋の文化祭準備が佳境を迎え、剣王会も模擬店「チャンバラカフェ」を出すことになった。木彫りの看板に「カフェ・チャンバラ」とペイントし、竹刀型マドラーやスポチャン飴を用意して、部室は甘い香りに包まれる。私は、先輩と並んでホットココアを注ぐ係だ。


「茉莉奈、カップはこっちから運んでくれ」

「はいっ、先輩!」


緊張しつつも、その細やかな心遣いに胸がときめく。そばを通る度に、先輩のジャージ姿とは対照的な、私服のクセがちらりと見えたりして、思わず笑いが込み上げるが、ここはプロとして動かねば!


──そのとき、入り口から抑えきれない足音が近づいた。


「藤井先輩!」

清楚な制服に身を包んだ紗綾が、呼吸を整えながらこちらを見上げた。いつものクールな表情ではなく、頬が紅潮し、瞳が大きく揺れている。


「先輩、ちょっといいですか?」

その声は震えていて、まるでスポチャンの試合前と同じくらい真剣だった。


「何だ?」

藤井先輩はレジ台の向こうから、けれんみなく促す。だが、まさか紗綾からの告白だとは思わず、眉間に皺が浮かんだ。


 ──部員たちがざわつく中、紗綾は深呼吸して言葉を紡いだ。


「私……藤井先輩のことが、ずっと、好きでした。初めて先輩に会ったときから、ずっと……大好きで……」


一瞬、店内の音がすべて消えたように静まり返る。ホットココアのミルクを注ぎながら、私は思わず手を止めた。先輩の表情はいつもの無表情だが、瞳だけが揺れている。


「……紗綾、おまえ、何言ってんだ?」

先輩の声は低く、抑えているようにも、戸惑っているようにも聞こえる。


「はじめは、あの合宿での連携プレーに惹かれて……部室で優しく教えてもらって……そのたびに胸が苦しくて。ずっと頑張ってきたけれど、もう抑えきれなくて……」


紗綾の告白は、真剣だった。体育祭のライバル戦以来、先輩への想いを胸に秘めた彼女は、これが自分の心の区切りだという覚悟だったに違いない。部員たちの視線がふたりに集中する。


 ──沈黙のあと、先輩がゆっくりと言った。


「……悪いが、俺は、茉莉奈といる方が心地いいんだ」


言い終わるまで、紗綾の唇が震えていた。目に光る涙をこらえながら、自分を見つめる先輩のその言葉は、紗綾の胸に深く突き刺さった。


「そ、そんな……私のこと、何とも思っていなかったんですか?」


「思ってた時期もあった。お前が純粋に剣を愛してるのは認めるし、一緒に戦うのは楽しかった。でも……俺の本当に大切な人は、ほかにいる」


先輩の指が、さりげなく私の姿を指し示しているように見えた。紗綾は一瞬、部室の壁に視線を落とし、背筋を伸ばした。


「分かりました。ありがとうございました……」

そう言うと、紗綾はすっと頭を下げ、そのまま静かに部室を出て行った。足取りは重く、それでいて凛としていた。


──その背中を見送る間、私は自分の胸がぎゅうっと締めつけられるのを感じた。一歩も動けず、ただ先輩の横顔を見つめるだけだった。


「茉莉奈、お前、大丈夫か?」

先輩の声に我に返り、私は慌てて首を振った。


「だ、だいじょうぶ……です!」


「……よかった」

先輩は深いため息をひとつつき、部室の照明を少しだけ明るくした。


「さて、仕事に戻れ。お客さんが来るぞ」

でも、その声にはいつもの毒舌さはなく、どこか優しさが滲んでいた。


放課後。その日の閉店後、部室の片づけを終えた私と先輩は、いつもの体育館裏へ二人で歩いた。ココアの甘い残り香が舞う中、先輩がぽつりと漏らした。


「……紗綾、おまえのこと、ある程度は覚悟してたんだ」

「覚悟って……?」

「お前が嬉しそうに応援してくれるのは嬉しい。でも、いつか俺の気持ちを知られて、傷つくんじゃないかって。だから、俺は先に言っておきたかったんだ」


先輩の瞳に、ほんの一瞬だけ影が見えた。私にだけ見える、彼の不安と優しさ。


「先輩……紗綾、きっとすごく傷ついただろうなって思って……」

「悪いことしたか?」

「いいえ……だけど、私、もう――」


私は勇気を振り絞って、先輩を真っ直ぐ見つめた。


「私、先輩のこと、これからも応援したいです。本当に好きになったら、ちゃんと伝えます。だから、今は、そのときまで……先輩のこと、大切に見守らせてください」


先輩の表情が少しだけ柔らかくなる。唇の端を上げて、くすっと笑った。


「……お前って、本当に真っ直ぐだな」

「はいっ、天然ですから!」

私が照れ隠しに言うと、先輩はまた笑った。体育館裏の夜風に、ふたりの吐息がかき消される。


「分かった。お前がそう言うなら、俺も全力でお前を守る」

「はい!」

そして先輩は、私の手の甲にそっと触れた。冷たいはずの指先が、胸の奥まで温かく響いた。


まだ、私の告白は先の話――。

だけど、これからも続く甘酸っぱい青春の物語は、確かな一歩を刻んでいる。

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