「……あのさ、今日、体育祭の準備でさ、男子と一緒に作業することになったんだけど」
茉莉奈がふと慧に話しかけると、彼の眉がほんの少しだけピクっと動いたのが見えた。
「そうなんだ」
声は低く、無機質で、けれどいつもより少しだけ硬い。
「なんか、機嫌悪い?」
茉莉奈は不安げに首をかしげた。
慧はしばらく黙ったままだったが、ふっと視線をそらして言った。
「別に」
「……ほんとに?」
「……」
無言のまましばらく歩くふたり。雨上がりの風が、濡れた校庭の匂いを運んできた。
茉莉奈は心の中で、ドキドキが止まらない。
「……もしかして、やきもち?」
茉莉奈が小さな声で聞くと、慧はハッとしたように顔を上げた。
「……っ!」
「あっ、ご、ごめん。余計なこと言った?」
「……うるさい」
でも、その声は怒っているのに、どこか照れている。
茉莉奈は嬉しくなって、小さく笑った。
「そっか。やきもち、か。なんか、かわいい」
「……バカ」
慧は慌てて顔を背けたけど、茉莉奈は手をつなぎなおした。
「ねえ、私も嫉妬するから、安心して」
「なんだそれ」
「だって、先輩だけのものにしたいもん」
「俺もだよ」
ふたりの手がぎゅっと絡まった。
そのとき、後ろから声が聞こえた。
「あのさ、天野先輩。ちょっといい?」
振り返ると、体育祭委員の男子がひとり、慌ててやってきた。
「手伝ってほしいことがあってさ、テントの設営を――」
慧は一瞬ためらいながらも、返事をした。
「わかった。行こう」
茉莉奈の手を離して、彼は男子と一緒に歩き出した。
茉莉奈は寂しさと少しの不安で胸がざわついた。
「先輩……」
しかしその時、ふいに背後から強く手を握られた。
「離すな」
慧の声はいつもよりずっと低くて、真剣だった。
「大丈夫。すぐ戻る」
「……わかった」
ふたりは見つめ合い、ほんの一瞬だけ時間が止まった気がした。
準備が終わるまで、茉莉奈は教室の後輩、柏木彩乃と過ごすことになった。
「先輩、めっちゃ照れてましたね~」
彩乃が茶化す。
「もう、やめてよ!」
「でもかわいかったっスよ。あのツンデレっぷり、最高でした~」
「ツンデレじゃないし!」
彩乃はにこにこ笑いながら、体育祭のポスター作りを手伝ってくれた。
「先輩って、ほんとに素直じゃないけど、ちゃんと好きって伝わってるんだなぁ」
「そ、そうかな……」
茉莉奈の心は温かくなった。
やがて慧が戻ってきて、ふたりは校庭の端で合流した。
「終わったよ」
慧は少し汗ばんだ顔で微笑んだ。
「おつかれさま」
茉莉奈はさりげなく彼の腕に触れる。
「さっきはごめんね、なんか拗ねちゃって」
「いや……俺も悪かった。大事な人を不安にさせるなんてな」
「えへへ、素直だ」
「バカ」
慧が笑って、肩をポンと叩いた。
その瞬間、ぽつりぽつりと雨が降り出した。
「傘、持ってきてないよね?」
茉莉奈は慧を見つめる。
「……もう、いい」
慧は何も言わず、茉莉奈の手を取って校舎の屋根の下へ走った。
雨の匂いと、ふたりの息づかい。
甘くて、切なくて、でも温かい。
この先もきっと、ふたりで乗り越えていける――そう思った。