それは、メスト様の特訓が始まって半年が経った頃だった。
「あの、これは?」
泊まりに来たメスト様と2人分の朝食を準備しようとした時、どこからともなくメスト様が、見覚えのある茶色の紙袋をテーブルに置いた。
「あぁ、これはシトリンからだ。何でも、『いつも、メストの特訓に付き合ってくれているお礼』だと」
「えっ?」
どうして、シトリン様から?
突然の贈り物に内心困惑していると、苦笑したメスト様が私の横を通って棚から白い皿を2枚取り出した。
「俺も、カミルには特訓があるたびに感謝してるのだが......どうやら、シトリンの目には俺がカミルに感謝していないように見えたらしい」
「そうでしょうか?」
泊まりに来るたびに、仕事を手伝っていただいているのだけれど......
「あぁ、そうじゃなきゃ、わざわざ俺に買った物を渡すようなことをしない」
悪態をつきながらもどこか照れ臭そうな顔をするメスト様は、テーブルにもっていた皿を置くと、茶色の紙袋から中身を取り出した。
「ドーナツですか?」
「あぁ、随分前からある老舗のドーナツ屋のドーナツなのだが......カミル、知ってるか?」
「えっ、ええっ......使用人として貴族の屋敷で働いていた頃、仕えていたお嬢様の好物でしたから」
「あぁ、そう言えばカミルは貴族の屋敷に仕えていたんだったな」
ドーナツを皿に置いたメスト様は、納得したような顔で頷いた。
そんな彼から目を逸らした私は、そのままドーナツに目を向けた。
それにしても、懐かしいわ。
小さい頃、お父様やお母様と一緒にお出かけした時に、よく買ってもらっていたわね。
『お父様! このお店のドーナツが食べたいです!』
『おぉ、そうか! それなら、家族分買って帰ろうか!』
『わ〜い! やったぁ!!』
あの頃は、家族が離れ離れになるなんて思いも寄らなかったわ。
「カミル? どうした、急に黙って」
「いえ、何でもありません」
そうよ、今は懐かしい思い出に浸っている場合じゃない。
淡々と返事をした私に対し、メスト様が不思議そうに首を傾げた。
「そうか? 俺には一瞬、懐かしさのあまり珍しく嬉しそうな顔をしていたように見えたが?」
「っ!? ただの気のせいです」
「そうかぁ〜? 俺には、そんな風に見えたのだが......」
ニヤニヤと笑みを浮かべるメスト様に、小さく咳払いをした私は、メスト様に視線を戻した。
「とりあえず、今日の朝食はこれで良いのでしょうか? とは言っても、いつもに比べれば全然足りないとは思うが」
「あっ、あぁ......確かに、いつもに比べたら全然足りないな」
空腹を知らせる音が鳴ったメスト様が、気まずそうに頬をかくと、私は小さく溜息をついた。
「でしたら、昨日うちに作り置きしたシチューを出しましょう。それでしたら、いつもと同じ量になるかと」
「おぉ! それじゃあ、頼んでも良いか? 片付けは俺がするから」
「分かりました」
嬉しそうな顔をするメスト様を一瞥すると、頬の熱を冷ますために冷蔵庫を開けた。
そして、テーブルの上にあるドーナツを思い出し、小さく笑みを零した。