「三人とも、こちらへ」
白冰が手招きして無明たちを呼ぶ。三人は連なって呼ばれた方へと駆ける。
「なにかわかりましたか?」
竜虎は集まっている白群一行に訊ねる。碧水の地で起こった怪異のため、率先してなにかするということはないが、事態は把握しておくべきと考える。しかしこの数百年、村ひとつが丸ごと怪異に呑み込まれるなど聞いたことがなかった。
「この村の怪異は、おそらく私たちが去ってから二、三日後に起こった可能性が高い。正確に言えば、君たちが晦冥崗で遭遇した怪異と同じ頃に起こったと思われる。なにか繋がりがあるのかもね」
「その根拠は? なんでそんなことがわかるの?」
無明は不思議に思って白冰に訊ねる。
「この村全体を覆うように陣が敷かれていた痕跡があったよ。糸で括られていた村人たちの亡骸を調べたが、精気を少しずつ抜かれて殺されていたことがわかった。しかも何日もかけてゆっくりとね。それから、村人たちの他に白群の術士たちの亡骸も数体あった。異変を知って訪れたが逆にやられてしまったのだろう。こちらは亡骸の状態が新しかった」
「鬼蜘蛛は狩場と巣が別々で、狩場で精気を吸って、巣で肉体を喰らう。今は巣に帰っているのだろう。夜になる前に一度ここを離れた方がいい」
白冰と宗主はお互い頷いて確認する。幸いまだ夕刻。あと半刻は余裕がある。準備もなく妖獣とやり合うのは分が悪い。
「どうしたんだい? なにか気になることでも?」
「······白冰様たちにも聞こえないの?」
無明は怪訝そうに眉を顰める。さっきよりずっと煩い音が耳の奥で鳴っている。右耳を手で塞いでみるが、それは鳴り止まなかった。
「大丈夫か? お前にだけ聞こえてるなんて、何か特別な音なのかも?」
不協和音のような違和感しかないその音は、無明には苦痛でしかなかった。音程はなく、一定の音が長く鳴ったり短く鳴ったりするのだが、それがとてつもなく不快な音なのだ。
「もしかして········これって、」
それに気付いた時、突然大きな黒い影が地面に映った。危ない! と竜虎が無明の腕と清婉の襟首を掴んで後ろに飛び、上から降ってきた影から間一髪で逃れる。
それぞれその影を囲むように他の者たちも同じく後ろに飛んで、それから逃れる。細長い脚が左右四本ずつあり、腹部が大きく膨れ、胸部が固い殻で覆われたそれは、まさに巨大な蜘蛛であった。一本の脚だけでも大人二人分くらいの長さがあり、両方合わせれば道幅を塞いでしまうほどだ。
「これが、鬼蜘蛛········?」
紫色の大きな眼と、漆黒の躰。口からは何かの液体が流れており、牙のようにも見える上顎と触肢が鬼のように見えた。
初めて目にする妖獣に、竜虎は無意識に後ずさりしたい気持ちになるが、動いてはいけないという本能に従いなんとか堪える。視線だけ無明に送るが、肝心の無明はどこか調子が悪そうだった。
(とういうか、こういう時にいつも傍にいるはずの白笶公子が、なんであんな遠くに? そういえば、湖を離れた後から口も利いていないみたいだったし。なにかあったのか?)
白笶は自分たちと正反対の所におり、視線を移すと眼が合った。おそらく無明を気にしているのだろう。
「清婉、頼むから大声を出すなよ? 一番に狙われるからな」
「は、はいっなにも見ません、聞きませんっ」
ふたりを盾にしてその身を隠し、腰を屈めて眼をぐっと閉じる。はあと嘆息し、竜虎は改めて鬼蜘蛛に視線を戻す。あちらも獲物を選別しているのか、紫色の眼の真ん中にある黒い部分が左右上下にギョロギョロと忙しく動いていた。
「なあ、本当に平気か? 顔色が悪いぞ?」
「······うん、平気。音が止んだみたい」
腕を掴んだまま、離せずにいた。大体こういう場合に真っ先に狙われるのは無明なのだ。しかも今は調子が悪そうだし、位置も悪い。三人がいるのはちょうど鬼蜘蛛の顔の左側だった。
「なあ、白笶公子となにかあったのか?」
「俺を甘やかさないでって言った」
無明はぷくっと頬を膨らませて、もごもごと口ごもりながら言った。
うわぁ······と竜虎は心の中で呆れた声を上げる。確かにあれは甘やかしすぎだったと思うが、善意でやっていることだけは解る。その前になにか言ったか言われたか、他にも理由はありそうだった。
「竜虎、清婉をお願い」
「は? お、おいっ!」
無明が竜虎の腕を振り切って、無謀にも鬼蜘蛛の正面に飛び出て行ってしまったのだ。