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2-17 繭の中で



 無明むみょうが目を覚ますと、薄暗く狭い空間に横たわっていた。なにかに包まれているかのようにあたたかく、どくどくと一定の感覚で鳴る音がなんだか落ち着く。


 白い糸で編まれた繭のようなものが周りに見える。柔らかい感触で意外と心地よかった。横たわっているはずなのに、まるで空中に浮いているよう。もしかしたら村人たちのように、繭ごと糸で吊るされているのかもしれない。あの鬼蜘蛛が獲物を逃がさないようにするために作り出したものだろうか。


「ん? ······あれ?」


 頭の上で呼吸が感じられた。よく自分の身体を見てみると、自分のものではない片腕が腰に回されており、もう片方は包むように肩をしっかりと掴まれていた。呼吸のする方を向けば、やはり思っていた通りの眉目秀麗な顔があった。


「公子様、公子様? 大丈夫?」


 見上げたまま小声で訊ねるがまったく反応がない。身じろいでみるが、意識がないというのにまったく力がゆるむ気配がない。無意識の中でも自分を守ろうとしているのだと思うと、なんとも言えない感情になる。


 もぞもぞと両腕を白笶びゃくやの脇のあたりに滑り込ませ、彼の背中にそっと触れる。だんだん思い出してきたのだ。あの時、鬼蜘蛛の鋭い脚がなにをしたか。背中から手を這わせて、探るように肩の方へと伸ばす。そしてある場所に触れた時、ぬるりという独特な感覚が無明むみょうの指先を濡らした。


(········やっぱり、俺を庇って)


 これは間違いなく血だ。白笶びゃくやは負傷してもなお、強い力で無明むみょうを拘束するかのように抱きしめているのだ。傷はけして浅くないはずなのに、それでもこの力の強さ。実は思っているよりもそんなに深刻ではない、とか?


 だとしてもこのまま放置していれば化膿する可能性もあるし、ましてや鬼蜘蛛の邪気が身体に回ったら大変なことになる。


「公子様、俺はもう大丈夫だから、そろそろこの腕をほどいて欲しいな〜? なんて····、」


 へらへらとお願いしてみたが、当然聞いてもらえるわけもなく、瞼は固く閉じたままだった。


「公子様の方が大丈夫じゃなさそうだよ····? 身体、すごくあつい。あ、ちょっと待ってね?」


 血で濡れた手で触れるのは申し訳ないと思ったのでなんとか少しだけ上の方へ身体をずらし、顔を近づけてそのまま自分の右の頬をくっつけた。


(やっぱり······傷のせいで熱が出てるのかも)


 よし、と軽く頷き、無明むみょうは全身に力を入れ、白笶びゃくやの右肩を上にしたまま両手を背中に回してぎゅっと抱きしめる。そして自由の利く足ですぐ横の繭の壁を蹴って反動をつけると繭の弾力が助けになって、横たわっていたふたりの身体が浮き、白笶びゃくや無明むみょうを抱いたまま、繭に背を預けるような格好になった。


 無明むみょうは背中に腕を回したまま、衣の右袖から器用に竹筒を取り出してその蓋を抜く。傾けてなんとか手を洗うと、こびり付いていた血が洗われた。竹筒をもったまま両手を上の方へ持っていき、濡れるのも気にせず右肩の傷口を洗う。


「痛い? 我慢してね。あの湖の水だから、きっと霊泉に近い効果があると思う」


 言って、竹筒を振りまだ水が残っているのを確認すると、背中に回していた腕を戻して口に含んだ。


(嫌かもしれないけど、身体の中の邪気を浄化するなら······この方法が一番手っ取り早いはず)


 竹筒を横に置き、繭に白笶びゃくやの背中をもたれかかせるようにして少し身体を斜めにすると、息がかかるくらい顔が近づく。首に腕を回してさらに顔を寄せた後、躊躇うことなく唇を重ねた。


 口の端から水が零れたが気にせずに残りを口移しで流し込む。竹筒の水がなくなるまで繰り返し続け、五回目を終えた時だった。


 げほげほと白笶びゃくやが咳き込み、同時に黒い煙のような邪気が身体から出て行くのを確認した。それを見て無明むみょうは疲れた表情を浮かべながらも、安堵したのか柔らかく微笑む。


「········よかった。これで、」


 白笶びゃくやの左肩に額を預け、ゆっくりと瞼が閉じていく。重なる胸の鼓動が先ほどよりも大きく感じたが、霊力を注ぎすぎたせいかそれとも夜も更けたせいか。


 無明むみょうはそのまま疲れ果てて眠ってしまうのだった。




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