正直、身体は鉛みたいに重かった。
初めてアバターとかいう力を使ってみて、精神的な疲れがどっと押し寄せている感じだ。
目の前の、どこまでも続きそうな暗い通路を見ていると、このままぺたんと座り込んでしまいたくなる。
でも……。
《行くんでしょ?》
ノアの声が僕の考えを見透かしたように響く。その声には、有無を言わせないような響きがあった。
《このままじゃ、あのコ……えっと、狼谷健吾君だっけ? 彼、|本当《マジ》で廃人になっちゃうかもよ?》
「……分かってる」
そうだ。僕がここで諦めたら、彼は……。僕だって、前の学校で……いや、今は関係ない。とにかく、彼を助けなきゃいけない。理由は、それだけで十分だ。
僕はよろよろと立ち上がり、隣に静かに佇む自身のアバターを見上げた。青白い光を放つ僕の心の形。
「行こう」
僕がそう言うと、アバターはこくりと頷いたように見えた。
僕とアバターは、ノアの声に導かれるように、歪んだ通路の奥へと足を踏み入れた。壁や床を構成するデジタルパターンは、さっきよりも禍々しい色合いを帯び、空間には低いうめき声のようなノイズが響いている。
《ここは健吾君の|精神領域《マインドエリア》……彼のココロの中そのものだよ》
ノアが解説してくれる。
《だから、見えるものや聞こえるものは、彼の記憶や感情が形になったものってわけ。ほら、あれとか》
ノアが示す先を見ると、壁の一部がスクリーンみたいになって、SNSの画面が映し出されていた。『キモい』『ウザい』『消えろ』……そんな悪意に満ちたコメントが、滝のように流れ続けている。健吾君が、これに苦しんでいたのか……。
通路を進むにつれて、そういった彼の負の感情……嫉妬や劣等感、承認欲求なんかが、よりグロテスクな形で現れるようになってきた。行く手を阻むように、さっき倒したような「心の影」も次々と現れる。
「くっ……!」
スマホを構えアバターに指示を出す。イメージするのは敵を打ち払う強い光。アバターは僕の意志に応え、掌から光弾を放って「影」たちを消し飛ばしていく。何度か戦ううちに、少しずつだけど、アバターの動かし方や力の込め具合が分かってきた気がする。
でも、その度に、じわじわと精神力が削られていくような感覚もあった。この力、無限に使えるわけじゃないみたいだ。
しばらく進むと、ひときわ大きな扉のようなものが僕たちの前に立ちはだかった。扉には無数の顔のようなものが張り付いていて、口々に健吾君への
《うわー、これは酷いね。彼の|自己肯定感《じしん》を食い物にしてる壁、って感じかな》
「どうすれば……」
《壊しちゃえばいいんじゃない? キミの力で》
ノアはあっけらかんと言う。僕は頷き、アバターに指示を送った。アバターは光の剣のようなものを右手に形成し、力強く扉に斬りかかる。甲高い悲鳴のような音と共に扉はガラスのように砕け散った。
扉の向こうは、少し開けた広間になっていた。そして、その中央に……「それ」はいた。
赤黒く脈打つ巨大な肉塊のような……いや、無数のケーブルやコードが絡み合ってできた、コンピューターウイルスが具現化したような……とにかく、言葉にするのもおぞましい、異形の存在。
それが、この精神領域全体の歪みの中心、悪意の発生源であることは、疑いようもなかった。
《ビンゴ。あれが、彼のココロに寄生してる悪いムシ……《|マインドワーム《・・・・・》》だね》
ノアの声が、少しだけ緊張を帯びる。
マインドワーム……。あれが、健吾君をあんな風に変えてしまった元凶。
マインドワームは、無数のケーブルの触手を
空気がビリビリと震える。これまでの「心の影」たちとは比較にならないほどのプレッシャーだ。
ゴクリと唾を飲み込む。怖い。正直、今すぐにでも逃げ出したい。
でも……ここで逃げたら、きっと僕は一生後悔する。手の中のスマホを強く握りしめた。アバターも、僕の決意を感じ取ったのか、静かに戦闘態勢をとる。
「……行くぞ!」
僕の掛け声と共に、アバターが光の翼を広げマインドワームに向かって駆け出した。