はっ、と息を吸い込んで、僕は勢いよく身体を起こした。
ぜぇ、ぜぇ、と自分の荒い呼吸だけがやけに大きく聞こえる。心臓がドクドクと早鐘を打っていて、全身には汗がびっしょり。全力疾走でもした後のような、ひどい疲労感が残っていた。
あれは……夢……?
辺りを見回す。そこは、あの異様な精神ネットワーク空間ではなく、見慣れた……いや、まだ数日しか経っていないけど、僕のアパートの、安っぽいフローリングの上だった。
どうやら、あの後、気を失うように眠ってしまっていたらしい。窓の外は、もうとっぷりと日が暮れている。
身体に怪我はない。でも、あの戦いの感覚、アバターを動かした時の全能感にも似た高揚と、精神が削られていくような消耗感は、やけにリアルに覚えている。
ポケットを探ると、スマートフォンがあった。
画面は……普通だ。あの\
やっぱり、夢だったんだろうか……? そう思いかけた、その時。
《おっはよー。……って、もう夜か。お帰り、悠人》
頭の中に、あの能天気そうな少女の声が響いた。ノアだ。
「うわっ!? ……やっぱり、夢じゃなかったのか……」
思わず声が出てしまった。独り言のはずなのに、ノアには聞こえているらしい。
《あったりまえじゃん。ちゃんと現実に戻ってこれたみたいで、安心したよ》
「戻ってこれたって……あの後、僕は……」
《キミ、あのマインドワームを倒した後ぶっ倒れたからさ。ボクが気を利かせて、ちゃんと帰り道までナビしてあげたんだよ? 感謝してよねー》
……恩に着るべきなのかもしれないけど、なんだか
翌日、重たい身体を引きずって学校へ向かった。気になっていたのは、
教室の窓から隣のクラスをこっそり覗いてみた。すると、自分の席に座っている狼谷君の姿が見えた。顔色が悪く、少しやつれたようにも見えるけど、昨日までの凶暴な雰囲気は完全に消えている。ただ、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
「狼谷、今日来てんだな」
後ろから、桐生 大輝の声。
「なんか、昨日のこと、全然覚えてないんだってさ。気づいたら病院のベッドだったとか……。まあ、とりあえず大事なくてよかったけど」
覚えていない……か。それが彼にとって良いことなのか悪いことなのか……。
クラスメイトたちは少し遠巻きに彼を見ているようだった。一度壊れた信頼は、そう簡単には戻らないのかもしれない。
昼休み、僕は思い切って水瀬 一葉さんに話しかけてみた。
「あの、水瀬さん。昨日の、駅前の……」
「……見てたの?」
彼女は僕の言葉を
「う、うん……まあ、たまたま……」
「そう……。最近、ああいうことが多いから。気をつけた方がいい」
それだけ言うと、彼女はまた自分の世界に戻ってしまった。彼女は何か知っているのだろうか……?
放課後は一人で河川敷の土手を歩いていた。
《ねえねえ、悠人》
不意に、ノアの声がした。
「……なんだよ」
《昨日の戦い、どうだった? 初めてのアバター体験は》
「どうだったって……最悪だよ。あんな怖い思い、もう二度とごめんだ」
《ふーん? でも、あのままだったら、健吾君、もっと大変なことになってたかもよ? キミが助けたようなもんじゃん》
「僕が、助けた……?」
そう言われると、少しだけ胸がちくりとした。確かに僕は彼を助けたいと思った。そして、結果的にマインドワームは消えた。
《ま、そういうこと。キミにはさ、特別な力があるんだよ。そのスマホのアプリ……『|魂繋《コネクター》』だっけ? それを使って、人のココロの中……《|精神ネットワーク《・・・・・》》にアクセスして、アバターを起動する力がね》
「なんで、僕なんだ……?」
《うーん、なんでだろ? キミの《|魂《ソウル》》が、なんか面白そうだったから? ボクを退屈させないでくれそう、みたいな?》
ノアは、はぐらかすようにおどけてみせる。その真意は全く読めない。
《それにね、ああいう事件、|鷲久市《ここ》で起きてるの、あれだけじゃないんだよ?》
「え……?」
《そう。|マインドワーム《・・・・・》に寄生されて、ココロを壊されかけてる人、他にもいっぱいいるみたい》
ノアの言葉に、僕は息を呑んだ。狼谷君だけじゃなかったのか……。
僕の手の中にはアバターを起動する力がある。それを使えば、もしかしたら他の誰かも救えるのかもしれない。でも、またあの怖い思いをするのは……。
関わりたくない。普通の静かな高校生活を送りたい。
でも……困っている人がいるのを知って見過ごせるのか? 僕にしかできないことがあるとしたら……?
この力を……使う……?
心の中に小さな、だけど確かな問いかけの声が響いた。それは、ノアの声じゃない。僕自身の、心の声。
夕陽に照らされた川面を眺めながら、この答えを出せずにいた。