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第11話 女王の涙《ティアーズ》、呪縛《バグ》からの解放

 さっきまで黒いアバターが立っていた場所には、もう何もない。静寂が戻った闘技場の中央には、巨大なゲーム筐体きょうたいのようなオブジェが、依然として禍々まがまがしいオーラを放っている。

 あれが、氷川 玲奈さんをむしばむ《|マインドワーム《・・・・・》》の本体が潜む場所……。


 正直、身体はもうボロボロだ。アバターを維持しているだけで、精神力がどんどん削られていくのが分かる。でも、ここで引き返すわけにはいかない。玲奈さんの、あの苦しそうな心の叫びを聞いてしまったからには。


「……行こう」


 隣に再び現れた自身のアバターにうなずきかけ、覚悟を決めて中央の筐体へと歩を進めた。


 筐体に近づくと、その表面がぐにゃりと歪み、まるで暗い口を開けるようにして、僕とアバターを内部へといざなった。


 一瞬の浮遊感の後、僕たちが立っていたのは、さらに異様な空間だった。

 そこは、無数のトロフィーやメダル、ランキングボードが歪んだ形で宙に浮遊し、明滅を繰り返す場所だった。

 どれもこれも、『1位』『最強』『女王』といった言葉ばかりが強調されている。

 だが、その輝きはどこかむなしく冷たい。そして、空間の隅には、敗北した対戦相手のものだろうか、無残に壊れたアバターの残骸ざんがいのようなものがいくつも転がっていた。

 勝利への渇望と、敗北への極端な恐怖……玲奈さんの強迫観念が、そのまま形になったような世界だ。


 そして、その歪んだ空間の中心に、「それ」はいた。


 赤黒いケーブルがとぐろを巻き、その中心にはバグったモニターのように無数の目がギラギラと光っている。狼谷君の時よりも明らかに巨大で、狡猾こうかつそうな気配を漂わせている。これが、玲奈さんの心に寄生したマインドワーム……!


「グルォォォ……!」


 マインドワームは、僕の姿を認めると、威嚇いかくするように唸り声を上げ、無数のケーブル触手を蛇のように伸ばしてきた。先端からは、玲奈さんが得意とする格闘ゲームの必殺技を模倣したような、鋭いエネルギー波が放たれる!


「くっ!」


 アバターを操作し、それを間一髪で回避する。同時に、脳内に直接、不快な声が響いてきた。


《お前も負け犬……才能のないゴミ……》

《勝てなければ、生きている価値もない……!》


 精神攻撃……! これは、玲奈さんが普段から自分自身に浴びせていた言葉なのかもしれない。胸が締め付けられるように痛む。


《悠人、しっかり! あいつ、ココロの隙間に直接攻撃してきてる!》


 ノアの声に励まされ、僕はなんとか意識を保つ。


「負けるもんか……! 玲奈さんを、こんな奴から解放するんだ!」


 スマホを構え、アバターに反撃を指示した。光弾を連射し、光の剣で触手を切り裂く。さっきの中ボス戦で掴んだ感覚を頼りに、アバターとの連携を深めていく。


 マインドワームは手強い。玲奈さんの戦闘データを吸収しているのか、動きは的確で、弱点をたくみに突いてくる。だが、僕ももう、ただやられるだけじゃない。


《負けたく、ない……》


 戦闘の最中、また玲奈さんの心の声が聞こえた。でも、それはさっきまでとは少し違って、弱々しいけれど、確かな抵抗の意志が感じられた。僕の言葉が、届いた……?


 その瞬間、マインドワームの動きが、ほんの僅かに鈍った。


 今だ! この好機を逃さなかった。


「ノア、最大出力でいく!」


《了解! エネルギーチャージ、開始!》


 僕の意志に応え、アバターの全身が眩い光に包まれる。スマホの画面には、急速にエネルギーゲージが溜まっていくのが表示された。全ての精神力を、この一撃に込める!


 マインドワームも危険を察知したのか、全ての触手を束ね、極太の破壊光線のようなものを放とうとしていた。


 だが、それよりも早く!


「いっけええぇぇぇっ!!」


 僕の叫びと共に、アバターはチャージした全エネルギーを、浄化の光の奔流ほんりゅうとして解き放った。

 それは、単なる破壊の力じゃない。玲奈さんを縛り付けていた、歪んだ勝利への渇望、敗北への恐怖……その呪縛そのものを断ち切るような、強い祈りが込められていた。


 光は、マインドワームの核を正確に貫いた。


 「ギ……ヂ……ア……ア……」


 マインドワームは、苦悶くもんの声を上げながら、その醜悪な身体に亀裂が走っていく。

 そして、内部から浄化されるように、光の粒子となって霧散し始めた。歪んだトロフィーやランキングボードも、次々と砕け散っていく。

 後に残ったのは、まるで呪いが解けた後のような、静かで、穏やかな光に満ちた空間だった。暗く冷たかった世界に、温かな朝日が差し込んできたみたいだ。


 どこからか、微かに、すすり泣くような声が聞こえた気がした。


《…………ありが、とう……》


 僕は、その場に崩れ落ちるように膝をついた。もう、指一本動かす力も残っていない。アバターも、役目を終えたように、満足げに頷くと、光の粒子となって僕の中へとかえっていった。


《お疲れさま、悠人。今回も、よく頑張ったね》


 ノアの優しい声が、疲れた心にみる。


《これで、彼女を縛ってた悪いムシは消えたはずだよ。あとは……うん、きっと大丈夫》


 そうだといいな……。氷川さんが、少しでも楽になれていますように。

 僕の意識は、安堵あんど感と共に、心地よい暗闇へとゆっくりと沈んでいった。



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