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第12話  雪解けの兆し、隣の女王《クイーン》

 次に目を覚ましたのは自室のベッドの上だった。

 窓の外からは、柔らかな朝の日差しが差し込んでいる。どうやら、あれから一晩、泥のように眠りこんでいたらしい。身体の節々が軋きしむような、ひどい疲労感が残っている。

 精神ネットワークとやらにアクセスするのは、想像以上にエネルギーを消耗するみたいだ。


《おはよー、悠人。よく眠れた?》


 頭の中に、ノアの呑気のんきな声が響く。


「……まあまあ、かな。それより、氷川さんは……?」


《んふふ、気になる?》


 ノアは楽しそうに笑う。


《大丈夫、ちゃんと|現実《こっち》に戻ってるよ。あとは……まあ、キミが直接確かめてみれば?》


 そう言って、ノアはすっと気配を消した。……相変わらず、マイペースなやつだ。


 少し重たい身体を引きずって鷲久北高校へと向かった。

 教室に入ると、自分の席に着く前に、ちらりと氷川 玲奈さんの席を確認する。

 ……いた。いつものように、窓の外を眺めている。見た感じは、普段と変わらないように見えるけど……。


 休み時間、それとなく彼女の様子を観察してみた。以前のような、ピリピリとした近寄りがたいオーラは少し和らいでいるような気がする。

 表情も心なしか柔らかい……いや、単にぼーっとしているだけかもしれないけど。少なくとも、以前のようにスマホの画面を鬼のような形相でにらみつけている、ということはなかった。


「そういや、玲奈さー」


 昼休み、学食で桐生 大輝が唐揚げを頬張りながら言った。


「最近、ゲーセンでの態度、なんか丸くなったって評判だぜ? 前みたいに対戦相手煽ったりしなくなったって」

「へえ……そうなんだ」


 やっぱり何か変化があったんだ。僕のやったことが無駄じゃなかった……そう思うと、少しだけ胸が熱くなった。


 放課後。意を決して行動することにした。氷川さんに話しかけてみよう、と。でも、教室でいきなり話しかける勇気はない。帰り道……一人になったところを狙うしかないか。

 幸運にも、帰り道で一人、ゆっくりと歩いている彼女の姿を見つけた。僕は早足で追いつき、深呼吸を一つしてから、声をかけた。


「あ、あの……氷川さん」


 彼女は、びくりと肩を震わせて振り返った。その瞳が、驚きと……ほんの少しの警戒心で僕を見ている。


「……来栖くるす君? 何か用?」


 声が、思ったより普通で少し拍子抜けした。もっと冷たく突き放されるかと思っていたから。


「いや、その……大した用じゃないんだけど……」


 どう切り出せばいい? まさか、「キミの心の中に入って、悪いムシ退治しといたよ!」なんて言えるわけがない。


「……この前の、ゲームセンター」


 言葉を選びながら続けた。


「たまたま、見かけたんだ。すごく……苦しそうに見えたから。大丈夫かなって、ちょっと気になって……」


 彼女の表情が、サッと曇った。やっぱり、あの時の記憶、完全には消えてないのかもしれない。


「……別に。あなたに関係ない」


 ぷい、と顔を背ける玲奈さん。ああ、やっぱりダメか……。そう思った時だった。


「……ただ、ちょっと……ムキになってた、だけだから」


 蚊の鳴くような、小さな声。でも、それは確かに、彼女の本音の一部のような気がした。


「そっか……。でも、あんまり無理しないでほしいな。ゲームって、本当は楽しいもののはずだろ?」


 そう言うと、彼女は驚いたように僕の顔を見た。そして、ふっと、ほんの一瞬だけ、その表情が和らいだ……ように見えた。


「……余計なお世話」


 彼女はそう呟くと、早足で僕の前から去っていってしまった。

 ……まあ、こんなものか。でも、完全な拒絶じゃなかった。少しだけ、彼女の心の壁に触れることができたのかもしれない。


「……もし、何かあったら。話くらいなら、聞くよ」


 もう聞こえていないかもしれないけど、彼女の背中に向かって呟いた。これが、僕と彼女の……何か新しい関係の、始まりになればいいな、なんて。


 一人、帰り道を歩きながら達成感と、それ以上の疲労感を感じていた。

 氷川さんの変化は嬉しい。でも、ノアの言う通り、苦しんでいる人は他にもいるんだ。

 僕一人じゃ限界がある。アバターの力を使うのだって、こんなに疲れるんだ。それに、情報収集だって……。


 やっぱり……仲間が、必要、だよな……


 やるべきことは、まだまだ山積みみたいだ。僕は空を見上げ、ひとつ大きく息をついた。



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