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第35話 七夕の笹、心に灯る想い

 七月に入り、鷲久市わしくしの商店街には色とりどりの七夕飾りが揺れ始めた。

 もうすぐ夏休みだというのに、僕たちの周りには、まだ梅雨つゆの湿気と共に、見えない脅威の気配が漂っている気がする。

 結城先輩の動向は依然として掴めず、マインド・イーターの影もちらついたまま。僕たち「アーク」は、警戒を続けながらも、今は雌伏しふくの時、といったところだろうか。


 そんなある日の放課後。僕は、神社の境内で笹の葉に飾り付けをしている水瀬 一葉さんの姿を見つけた。

 もうすぐ行われる夏越なごしはらえと、七夕祭りの準備らしい。一人で黙々と作業する彼女の横顔は、どこかはかなげで、目が離せなくなる。


「……手伝おうか?」


 僕が声をかけると、彼女は驚いたように顔を上げ、そしてふわりと微笑んだ。最近、僕に対しては、こういう柔らかい表情を見せてくれることが増えた気がする。


「ありがとう、来栖君。助かるわ」


 僕たちは、並んで笹に短冊や折り鶴を飾り付け始めた。風が笹の葉を揺らす音と、神社の静かな空気だけが流れる、穏やかな時間。


「……この神社はね、昔から、この土地を守ってきた場所なの」


 作業をしながら、一葉さんがぽつりぽつりと話し始めた。


「私の家系は、代々、巫女みことして、目に見えない『よくないもの』……瘴気しょうきとか、人の負の念とか……そういうものから、この街をまもってきたって、祖母おばあちゃんから聞いているわ」


 彼女の持つ、特別な感受性の話。以前も少しだけ聞いたけれど、その使命は、彼女が思っていた以上に重いものなのかもしれない。


「最近、特に……街全体の空気が、重く、よどんでいるのを感じるの。廃工場の一件だけじゃない。もっと大きな……悪い『気配』が……」


 彼女は、不安そうに眉を寄せた。その繊細な心が、マインド・イーターの活動や、結城先輩の周りの異変を、人一倍強く感じ取ってしまっているんだろう。


「……一人で、ずっと怖かった。私にしか感じられないのかもしれないって……でも」


 彼女は、僕の方を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、不安と、それ以上の強い光が宿っている。


「今は、悠人君たちがいる。……一人じゃないって思えるから、怖くない」

「水瀬さん……」

「あなたたちが隣にいてくれるだけで……すごく、心強いの」


 その言葉は、僕の胸を温かくした。僕だって同じだ。彼女が、大輝が、莉緒さんがいてくれるから、戦える。


「僕の方こそ、水瀬さんには助けられてばかりだよ。君の力と知識がなかったら、解決できなかった事件もたくさんある」

「そんな……」

「本当だよ。だから……これからも、頼りにしてる。僕らも、水瀬さんの力になるから。一人で抱え込まないでほしい」


 僕は、彼女の小さな手を……いや、代わりに笹の枝をそっと握った。彼女は驚いたように僕の手(と笹)を見つめ、そして、頬をほんのりと赤く染めた。


「……悠人君は……優しいんですね」


 小さな声で、彼女が呟く。その声も、表情も、なんだかすごく……可愛くて、僕の方が照れてしまう。


「そ、そうかな……」

「ええ。それに……強い。……あなたのそのこころの光が……私にとっては……」


 彼女は、そこまで言うと、はっとしたように口をつぐみ、さらに顔を赤くしてうつむいてしまった。え、今のって……どういう……?

 僕の心臓が、ドキドキと早鐘を打ち始める。彼女も、もしかして、僕のことを……?


 その時だった。

 ざわざわ……。境内の木々が、風もないのに不自然に揺れた。そして、一葉さんが、顔を上げて鋭い視線を校舎の方角へ向けたのだ。


「……この気配……まさか……結城、会長……?」


 彼女の表情が、一瞬でけわしくなる。僕の頭の中でも、ノアの声が警告を発した。


《悠人、今、学校の方から、すごく強い『歪み』の反応があった! しかも、これは……マインドワームじゃない……! この前の、結城 誠から感じたのと同じ……!》


 結城先輩に、何かあったのか!? それとも、彼が何かを……!?


「水瀬さん、行こう!」

「はい!」


 僕たちは、飾り付けの途中だった笹を放り出し、学校へと駆け出した。穏やかな時間は終わり、再び、非日常の渦へと引き戻されようとしていた。僕と一葉さんの間に芽生えかけた、特別な感情の行方も、今はまだ、分からないまま――。



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