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1-2

 生徒会には多くの役割がある。学校をより良くするための改革を推進し、先生と生徒の架け橋となり、行事の運営に携わる。特に春は体育祭の時期。僕は書類の束を手に、その日も放課後の生徒会室へと向かっていた。


「春季行事予定表が十五部、各委員会名簿が二十四部、あとは……」


 頭の中で印刷すべき書類を整理しながら廊下を歩いていると、突然、後ろから誰かが勢いよくぶつかってきた。手元から書類が宙を舞い、廊下一面に散乱する。


「あっ! ごめん! 俺、すごい急いでて……」


 振り返ると、そこにはバレー部のエース、鳴海礼央の姿があった。彼の表情には焦りの色が滲んでいる。いつも見せている太陽のような笑顔とは違う表情が、なぜか新鮮に映った。


 彼はすぐにしゃがみ込み、散らばった書類を拾い始めた。その仕草に不思議な優しさを感じる。


「急いでいるのなら、別にいいですよ。大したことないので」


 僕は仮面に貼り付けた笑顔で言ったが、礼央は首を振った。


「いや、ダメだって。俺がぶつかったんだから」


 彼は真剣な眼差しで僕を見上げた。


「生徒会長、怪我とかない? ほら、俺、結構ガタイがいいだろ? 痛くなかった?」


 彼の無邪気な笑顔と率直な言葉に、僕は一瞬言葉を失った。こんなに気軽に話しかけてくる人がいるなんて。


 僕に話しかける生徒は、いつも少し遠慮がちだ。それは生徒会長という立場のせいなのか、それとも僕自身が無意識に壁を作っているからなのか――。


 礼央の姿を見つめていると、彼の横顔が夕陽に照らされ、まるで太陽そのもののように輝いて見えた。


 最後の一枚の書類に手を伸ばした時、礼央も同時にそれに手を伸ばした。指先が触れる。僕は思わず手を引っ込めた。それが恥ずかしくて、俯いてしまう。


「はい、これで最後だよな?」


 礼央が最後の書類を差し出す。僕はそれを受け取り、微かに頭を下げた。


「手伝ってくれてありがとう。それでは」


 立ち去ろうとする僕の袖を、礼央が掴んだ。


「……え?」


 予想外の行動に、僕は驚いて振り返った。


「ねぇ、生徒会長。名前、なんだっけ?」


 その質問に、僕は目を見開いた。北翔学園で僕の名前を知らない人がいるなんて……。


「僕は三年十組の志水凪です」


 僕が答えると、礼央は笑顔で右手を差し出してきた。


「俺は、一組の鳴海礼央。みんな礼央って呼んでるから、凪も俺のこと、礼央って呼んで」


 礼央は何の躊躇いもなく、僕の名前を「凪」と呼んだ。学校では生徒会長か、志水君、後輩からは志水先輩としか呼ばれたことがない。その親しみのある呼び方が、どこか温かく感じられた。


 ――まさか、下の名前で呼ばれるなんて……。


 僕は口元を緩め、戸惑いながらも礼央が差し出した手を握った。


「よろしくお願いします。礼央」


 僕が「礼央」と呼ぶと、彼は満面の笑みを浮かべ、力強く手を握り返してきた。その手のひらから伝わる温もりが、僕の胸の奥まで染み込んでくるようだった。


「それにしても、凪って生徒会長だから近寄りがたい存在かと思ってたけど……意外と可愛いんだな」


「……そういうこと、軽々しく言うのは、どうかと思いますけど……」


 思わず声が上ずってしまう。頬が熱くなるのを感じた。


「ハハっ! ごめんごめん。つい本音が出た」


 あっけらかんと笑う礼央を見つめながら、僕は心の中で小さく呟いた。


 ――なんて不思議な人なんだろう。


「あ、俺、部活に行かなきゃいけないんだった。今日はぶつかってごめんな! またな!」


 彼は手を振り、風のように走り去って行った。本来なら「廊下は走らないように!」と注意するところだが、彼と握手した手のひらが妙に熱を持っていて、その言葉が喉に引っかかったままだった。


「不思議な魅力のある人だったな……」


 僕は手のひらを見つめ、そこに残る彼の温もりを静かに握りしめた。春の柔らかな光が廊下に差し込み、僕の影を長く伸ばしていた。


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