その日、寮の自室に戻った僕は、机の上に今日の体育祭準備委員会の資料を整然と並べた。資料の文字を追いながらも、心はどこか別の場所をさまよっていた。
礼央の言葉が繰り返し頭に浮かんでくる。
『無理して笑っている人って、俺、すぐ分かるんだよね』
窓の外を見つめながら、僕は自問自答を繰り返した。本当に僕はそんなにわかりやすく無理をしているのだろうか。小さい頃から、笑顔を張り付けることには慣れているはずなのに。
気分を変えようと本棚から一冊の本を取り出し、机に戻って開いた。文字を追おうとするが、内容は一つも頭に入ってこない。礼央の言葉と、彼の眩しい笑顔が、何度も何度も脳裏に浮かんでは消えていく。
そのとき、机の端に置いたスマートフォンが震えた。画面には母からのメッセージ。週末の会議についての連絡だった。
僕はそのメッセージを開くことなく、画面を伏せた。代わりに、もう一度礼央の言葉を思い出す。
「無理して笑っている人は、すぐ分かるから」
僕はそんなに無理して笑っていただろうか? 考えれば考えるほど、自分でも分からなくなってきた。
長い間、僕は"正しくあろう"としてきた。志水家の後継者として、常に完璧であることを求められ、その期待に応えようと努力してきた。
だけど、今日、初めて"本当の僕"を見られたような気がした。そして、それは意外にも心地よかった。
「鳴海……礼央」
僕は思わず彼の名前を口にした。この名前を、明日には忘れることができるだろうか。
窓から見える夜空には、たくさんの星が瞬いていた。遠い星々を見上げながら、僕は彼の存在が、少しずつ心の中を侵食していくのを感じていた。それは怖いことのはずなのに、どこか温かい予感に満ちていた。