週明け、学校に向かう足取りは重かった。いつもは生徒会の仕事を考え、充実感と責任感で胸が満ちているのに、今日は違った。婚約が早まることが決まり、自分のセクシュアリティを母に伝えられなかったことが、僕の心を曇らせていた。
――今までと変わらないだけだ。いつもと同じ。だけど……、この仮面を被り続けるのも、もう疲れてきたな。
いつもの笑顔を作り、完璧な生徒会長の姿を保っても、今日は自分でも表情が暗いのを感じた。廊下から外を見ると、三年生が体育祭の競技の練習をしていた。
「そうか。今日は二人三脚の練習日だったな」
僕たちの高校の体育祭は基本的に縦割りのクラス対抗だが、学年間の交流を深める目的で、学年全体でシャッフルして二人三脚のペアを組むことになっていた。僕のパートナーは……鳴海礼央。なんという偶然か、それとも運命か。
なぜか今日は気が重く、練習をサボろうという考えが頭をよぎった。
――ダメだ、ダメだ。僕は生徒会長なのだから「完璧」でなければ……。
頭を振って、体操服に着替えるために教室へと足を向けた。すると、突然廊下に大きな声が響き渡った。
「おいっ! そこの美しき生徒会長っ!」
予想外の大声に、思わず肩がビクッと震えた。振り返ると、礼央が友人たちと笑いながら立っていた。
彼は僕と目が合うと、それほど離れていないのに、まるで遠く離れた友人を見つけたかのように大きく手を振った。その様子はまるで尻尾を振る大型犬のようで、思わず口元が緩んだ。
礼央は大股で飛び跳ねるように近づいてきた。
「凪! 今日も練習だよな。俺、すごく楽しみだったんだ」
僕は慌てて表情を引き締め、仮面を整えた。
「そうだね。僕も楽しみだったよ」
抑揚のない声で答えると、礼央が僕の顔を覗き込んできた。
「そう言う割には、楽しみって顔じゃないけど?」
彼の鋭い直感に、内心でドキッとした。先日のこともあり、礼央には心を見透かす力があるのではないかと思えるほどだ。
小さなため息をつき、正直に答えた。
「……少し、疲れてるだけ……」
それは本当だった。週末の家での出来事で神経をすり減らし、婚約前倒しのニュースに心が落ち着かなかった。
僕の暗い口調を察したのか、礼央は心配そうな目で見てきた。
「……そっか。いつも完璧な生徒会長でも疲れることもあるよな。実は俺も、今日はサボろうかなーって思ってたんだけどさ」
首の後ろをポリポリと掻きながら、彼は照れくさそうに笑った。それは僕に気を遣っているのだと分かった。
「でもさ、凪が行くって言うんなら、俺もサボるのやめる。だって俺ら、二人三脚のパートナーだからさ」
彼はにっと歯を見せて笑った。その無邪気な笑顔に、胸の奥が温かくなる。
「え? でも……無理しなくても……」
「いいっていいって。ほら、行こう!」
礼央は僕の腕を掴んで引っ張った。その勢いで、彼の手に持っていたスポーツドリンクが僕のシャツに跳ねた。
「…………」
僕は思わず、シャツについた染みを見つめた。少し甘い香りが僕の体温で立ち上ってくる。
「やべっ! ごめん! マジでわざとじゃないんだ……」
オロオロと焦りながら、彼は自分のタオルで僕のシャツを拭こうとした。いつも明るく自信に満ちた礼央がこんなに慌てる姿が、なぜか愛おしく思えて、思わず笑みがこぼれた。
「シミになるかな……。ちょっと水洗いしたほうがいいかも」
「そうだね」
僕は微笑みながら手洗い場まで行き、スポーツドリンクのついた部分を水でゴシゴシと洗った。幸い、シミになりそうな気配はなかった。
「ホント、ごめんな……」
「いいって。シミにならないみたいだし」
しおらしくうなだれる礼央の姿があまりにも普段と違って、思わず吹き出してしまった。すると礼央は目を丸くした。
「おっ! 凪、笑えるじゃん!」
彼もくすくすと笑い出し、やがて二人で笑い合っていた。
不思議だった。彼といるだけで、心が軽くなる。重苦しい思いも、押し殺してきた感情も、少しずつ溶けていくような気がした。