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3-3

 春の一大イベントである体育祭はトラブルもなく無事に終わった。


 後片付けも全て終わり、体育祭準備委員会の最後の会議が行われていた。教室に集まった委員たちの顔には、達成感と疲労感が入り混じっていた。


「皆さんのご協力のおかげで、本年度の体育祭も無事に終了しました。来年度はさらに良い体育祭にするために、改善点などありましたら出してください」


 僕は会議の司会進行役として、落ち着いた声で委員たちに呼びかけた。すると、次々と活発な意見が飛び交う。書記担当の役員が黒板に一つずつ丁寧に書き綴っていった。


 ある程度意見が出尽くした後、僕は締めの言葉を伝えた。


「皆さん、貴重なご意見ありがとうございました。これらの改善点をもとに、来年度はさらに充実した体育祭にしたいと思います。それではこの準備委員会は本日で散会といたします。ありがとうございました」


 僕の挨拶を聞くと、委員たちはガタガタと席を立って会議室を後にした。礼央だけが残り、僕の元にやってきて、柔らかな笑顔で言った。


「お疲れさん。もう生徒会長の役も終わり?」


「いや、まだ文化祭があるから……それで終わりかな」


 僕は微笑みながら答えた。礼央と二人きりになると、自然と笑顔がこぼれる。


「そっか。俺らよりちょっと長いのかー。生徒会って大変だな」


「礼央はインターハイに向けてだな」


 僕が自然に彼の名前を呼ぶと、礼央は驚いたように目を見開いた。


「凪……俺の名前、呼んでくれた……」


 ――あれ? 今まで呼んだことなかったか?


 感動して目を潤ませている礼央に、僕は思わず笑みを浮かべた。


「あれ? 僕と仲良くなりたかったんじゃなかったのか?」


「いや、もう、その通りなんだけどさ。いつも『君』って呼ばれてたから、すごく感動してる」


 そんなに感動することだろうかと首を傾げながらも、礼央の素直な反応に胸が温かくなる。


「これからも、名前で呼んでくれよな。あっ、やべっ! 練習行かなきゃ。じゃあな、凪!」


 礼央はまるで台風のようにあっという間に教室を出ていってしまった。僕は彼の後ろ姿を見送りながら、思わず口元を緩めた。


 ――礼央……楽しい人だな。


 *


 会議の後片付けをさっさと終えて、僕は体育館へと足を運んだ。中ではバスケ部とバレー部が練習をしていた。掛け声やキュッとシューズの擦れる音、ボールの弾む音が、壁に反響している。


 体育館の入り口のドアに体を隠すように、僕は頭だけ出して中を覗き見た。


 ――これは、純粋に生徒会としての、視察の一環だ。


 なぜここに来てしまったのかと自問しながらも、目はバレー部の練習に釘付けになっていた。ちょうどその時、コートの中で礼央が高く飛び上がり、スパイクを打つ姿が見えた。


 バチンっ!


 凄まじい音を立てて、スパイクが相手コートに突き刺さった。その一瞬に、僕の心臓も高鳴る。


「ナイスキー!」


 チームメイトたちが礼央の周りに集まって、ハイタッチを交わしている。彼の表情は、いつもの屈託のない明るい笑顔とは違い、真剣で、鋭く、そして美しかった。鍛え上げられた肉体から溢れ出る力強さに、息を呑む。


 僕は礼央の男らしく力強い姿を見つめながら、胸の内に広がる高鳴りを抑えることができなかった。どくどくと耳元で脈打つ鼓動が、全身に響き渡る。


 ――いや、これはスポーツを見ているからだ。スパイクが決まって、興奮しているだけに決まっている。


 そう自分に言い聞かせながらも、視線は礼央から離れようとしなかった。彼の一挙手一投足に、魅了されてしまう。


 休憩の合間、礼央はチームメイトたちに次の指示を出していた。汗で濡れた前髪を掻き上げる姿に、胸が締め付けられる。


「次はBチームとCチームでワンセット試合形式で」


「はいっ!」


 部員たちの大きな返事が体育館中に響き渡る。礼央のそんな姿を見て、僕は彼のリーダーシップに感心した。いつも明るく無邪気な彼だが、バレーとなると別人のように凛々しい。


 だがどうしてだろう――彼に引き込まれてしまうのは。


 その時、礼央が水を飲みながらこちらへと視線を向けた。バチっと目が合ってしまう。


 僕は「しまった!」と慌ててドアの影に隠れたが、既に遅かった。


「凪!」


 礼央が手を振りながら僕に近づいてきた。逃げられない。


「え? 何? 見にきてくれたの?」


 汗に濡れた前髪をかきあげながら、礼央は驚くほど嬉しそうな表情で僕に尋ねてきた。その無邪気な喜びようが、胸を打つ。


「い、いや……ただ、通りかかっただけで……さっき、練習に行くと言ってたから――」


 練習を覗いていて、変に思われたのではないか……そう考えると、冷や汗が背中を伝った。


「見にきてくれたんだ! 嬉しいなぁ」


 汗で張り付いたウェアが、礼央の鍛え上げられた体を強調している。それを間近で見た僕は、胸のドキドキが抑えられず、視線を逸らした。


 ――違う、これは。絶対……。


 目を逸らして、「じゃあ……」とその場を立ち去ろうとすると、礼央が僕の腕を掴んで引き留めた。その温もりが、まるで電流のように僕の体を駆け抜ける。


「待って! 今度、練習試合あるんだ。凪、見にきてよ!」


「ぼ、僕は、バレーはあまりルールとか分からないし……」


 すると礼央は、まるで子供のようにはしゃいで言った。


「だったら、なおさら! バレーのこともっと知ってもらいたいし、面白いって思って欲しいからさ。ね? それに、俺のかっこいいところも見て欲しいし」


 人たらしなことを無邪気に述べる礼央は、眩しすぎる笑顔を僕に向けてきた。その表情に、断る理由が見つからなくなる。


「わ、分かった……」


 僕の言葉を聞いた礼央は、ぱあっと明るい笑顔を浮かべ、まるで花が開くように輝いた。


「絶対だよ! あ、俺、練習に戻らないと。じゃあな!」


 僕は走りながらコートに戻る礼央の後ろ姿を見つめた。その背中からは、喜びが溢れ出ているのが感じられて、思わず胸が温かくなる。


 ――これは友情、ただそれだけだ。


 だんだんと自分に言い聞かせる言葉に慣れてきたことが、どこか悲しかった。本当は自分でもわかっている。これは「友情」などという言葉では片付けられない感情だということを。


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