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4-2

 僕は無意識に口元を手で覆った。まるで心の中を見透かされているようで、呼吸が浅くなり、息苦しくてたまらない。


 ――なんで、なんで!


 膝がガクガクと小刻みに震え始めた。礼央と向かい合って立っていることさえ困難になり、彼の手を振り解いてその場から走り去った。


「凪っ!」


 背後から礼央が僕の名前を呼んだが、振り返る勇気はなかった。


 生徒会長が廊下を走るなど、あってはならないことだ。周りの生徒たちが驚いた眼差しで見ている。しかし、そんなことはどうでもよかった。この込み上げてくる感情を、なんとか鎮めるのが先決だった。


 僕はあまり生徒が立ち寄らない資料室へと飛び込んだ。


「……はぁ、はぁ……」


 ドアに背中を預け、肩で息をした。額にはうっすらと汗が滲んでいる。それは走ったからなのか、それとも心の動揺からなのか、自分でも分からなかった。


 大きく深呼吸をして息を整える。


「ははっ……!」


 乾いた笑いが口から漏れ出た。自分の心の中がぐちゃぐちゃで、まるで真っ黒い雲が渦巻いているようだった。


 ――なんで僕は逃げてきたんだ? あんな反応するなんて、僕らしくない……。


 優しく心配してくれた礼央に対して、ひどいことをした。そう思うと、自己嫌悪に陥り、胸が締め付けられた。きっと礼央は僕のことを嫌なヤツだと思って、もう会いたいとは思ってくれないかもしれない。


「くっ……」


 悔しくて、悲しくて、唇を強く噛みしめた。そのとき、思いがけず頬を熱いものが伝った。触れてみると、それは――涙だった。


「な、なんで……?」


 自分でも驚くほど、目からボロボロと涙がこぼれ落ちてきた。それは心の中に押し殺していた、様々な感情が決壊して堰を切ったように溢れ出したものだった。


 礼央への恋心、美月への後ろめたさ、そして常に完璧でなければならないという人生の重圧。


 ――もう……僕は、どうしたらいいんだ……。


 その場に座り込み、膝を抱えると震えが止まらなかった。


 すると、資料室の扉が静かに開いた。


「凪……?」


 囁くように名前を呼ばれて、僕は顔を上げた。そこには礼央が心配そうに眉を下げて立っていた。


「こ、こっちに……来ないで……」


 僕は顔を見られたくなくて、そっぽを向いた。しかし礼央は何も言わず僕の横に腰を下ろした。


「……」


 礼央はじっと僕を見つめている。僕は居た堪れなくなって言った。


「見ないで……こんな……酷い……」


 グズっと鼻を啜りながら俯くと、目の前にハンカチが差し出された。


「酷くなんかないよ」


 礼央は何も質問せず、慰めの言葉もかけず、ただ僕の横に寄り添って座っていた。


 僕は自分のしていることに恥ずかしさを感じた。


「ふっ……たかが泣いているだけで、大げさだよね」


「泣きたいときは、思い切り泣いたらいいんだよ」


 礼央の言葉が胸に突き刺さる。今まで人前で泣いたことなど、記憶にない。感情を露わにすることさえ、僕には許されなかった。


「なんか、みっともないね。生徒会長が、こんな……」


 礼央は僕の背中を優しくさすった。


「生徒会長なんて、関係ないだろ。お前は『志水凪』なんだ。一人の人間なんだよ」


 ――『僕』という人間を、認めてくれた……。


 礼央の放ったその言葉は、僕の胸を大きく抉った。今まで演じてきた人生そのものを。僕が僕であっていいと言ってくれている、その言葉に、また涙が溢れ出た。


 礼央はただただ横に座り、僕の背中を優しく撫でていた。その温もりが、少しずつ、僕の凍えた心を溶かしていくようだった。


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