僕は無意識に口元を手で覆った。まるで心の中を見透かされているようで、呼吸が浅くなり、息苦しくてたまらない。
――なんで、なんで!
膝がガクガクと小刻みに震え始めた。礼央と向かい合って立っていることさえ困難になり、彼の手を振り解いてその場から走り去った。
「凪っ!」
背後から礼央が僕の名前を呼んだが、振り返る勇気はなかった。
生徒会長が廊下を走るなど、あってはならないことだ。周りの生徒たちが驚いた眼差しで見ている。しかし、そんなことはどうでもよかった。この込み上げてくる感情を、なんとか鎮めるのが先決だった。
僕はあまり生徒が立ち寄らない資料室へと飛び込んだ。
「……はぁ、はぁ……」
ドアに背中を預け、肩で息をした。額にはうっすらと汗が滲んでいる。それは走ったからなのか、それとも心の動揺からなのか、自分でも分からなかった。
大きく深呼吸をして息を整える。
「ははっ……!」
乾いた笑いが口から漏れ出た。自分の心の中がぐちゃぐちゃで、まるで真っ黒い雲が渦巻いているようだった。
――なんで僕は逃げてきたんだ? あんな反応するなんて、僕らしくない……。
優しく心配してくれた礼央に対して、ひどいことをした。そう思うと、自己嫌悪に陥り、胸が締め付けられた。きっと礼央は僕のことを嫌なヤツだと思って、もう会いたいとは思ってくれないかもしれない。
「くっ……」
悔しくて、悲しくて、唇を強く噛みしめた。そのとき、思いがけず頬を熱いものが伝った。触れてみると、それは――涙だった。
「な、なんで……?」
自分でも驚くほど、目からボロボロと涙がこぼれ落ちてきた。それは心の中に押し殺していた、様々な感情が決壊して堰を切ったように溢れ出したものだった。
礼央への恋心、美月への後ろめたさ、そして常に完璧でなければならないという人生の重圧。
――もう……僕は、どうしたらいいんだ……。
その場に座り込み、膝を抱えると震えが止まらなかった。
すると、資料室の扉が静かに開いた。
「凪……?」
囁くように名前を呼ばれて、僕は顔を上げた。そこには礼央が心配そうに眉を下げて立っていた。
「こ、こっちに……来ないで……」
僕は顔を見られたくなくて、そっぽを向いた。しかし礼央は何も言わず僕の横に腰を下ろした。
「……」
礼央はじっと僕を見つめている。僕は居た堪れなくなって言った。
「見ないで……こんな……酷い……」
グズっと鼻を啜りながら俯くと、目の前にハンカチが差し出された。
「酷くなんかないよ」
礼央は何も質問せず、慰めの言葉もかけず、ただ僕の横に寄り添って座っていた。
僕は自分のしていることに恥ずかしさを感じた。
「ふっ……たかが泣いているだけで、大げさだよね」
「泣きたいときは、思い切り泣いたらいいんだよ」
礼央の言葉が胸に突き刺さる。今まで人前で泣いたことなど、記憶にない。感情を露わにすることさえ、僕には許されなかった。
「なんか、みっともないね。生徒会長が、こんな……」
礼央は僕の背中を優しくさすった。
「生徒会長なんて、関係ないだろ。お前は『志水凪』なんだ。一人の人間なんだよ」
――『僕』という人間を、認めてくれた……。
礼央の放ったその言葉は、僕の胸を大きく抉った。今まで演じてきた人生そのものを。僕が僕であっていいと言ってくれている、その言葉に、また涙が溢れ出た。
礼央はただただ横に座り、僕の背中を優しく撫でていた。その温もりが、少しずつ、僕の凍えた心を溶かしていくようだった。