文化祭の本番まで残り二週間となった頃、僕は自分のクラスの準備作業を手伝っていた。生徒会の仕事を優先していたため、ほとんどクラスに関わることができていない。それゆえに、クラスの準備は免除されているのだが、手が空いている時には自発的に参加するようにしていた。
「志水、俺らのクラス、進捗状況はまあまあだと思うんだけど」
クラスの文化祭実行委員から声をかけられた。
「確かに、そうだね。君のおかげだよ。ありがとう」
あの涙の一件から、いつものように仮面を貼り付けて通常運転に戻った。だが以前のように完璧な笑顔を作ることができていないことに、自分でも気づいていた。
「おぉっ! 生徒会長にお褒めの言葉、いただきましたー!」
クラス中に響き渡る大きな声で嬉しそうに言うと、クラスの士気が上がったようで「ラストスパート、頑張ろうな!」とお互いに声を掛け合っているのが聞こえた。
僕はその微笑ましい光景を見ながら、思わず本心から微笑んだ。
そのとき、幼馴染で唯一の親友である
「なぎっち、ちょっといいか?」
「うん? 蓮、どうした?」
僕と蓮は廊下の窓際へと移動した。蓮は僕の顔を心配そうに覗き込んでいた。
「最近、様子が変だなって思ってさ……」
「変……? 僕が?」
「あぁ。なんて言うか……硬いっていうか」
僕が硬いのはいつものことだ。なぜそんなことを言うのか不思議に思い、首を傾げた。
「いつも通りだと思うんだけど」
「まあな。だけど、いつも通りすぎるんだよなぁ」
蓮はふっと笑いながら、手元にあった書類で紙飛行機を折って飛ばした。秋の爽やかな風に乗って、紙飛行機はふわりと舞った。
「それにさぁ、最近、鳴海礼央とよく一緒にいるよなぁ」
突然の話題転換に僕の心臓はドキッと跳ねた。なぜ急に礼央の名前が?
「……文化祭の件でたまに話すだけだよ」
「ふーん。文化祭の準備ねぇ」
蓮はニヤリと意味ありげな表情で僕を見た。その視線が、なぜか痛かった。
「もしかして……何か噂にでもなってるのか?」
僕があの資料室で泣いてしまったことが外に漏れたのではないかと焦って蓮に聞いた。すると蓮がクスリと笑って、僕の肩をポンと叩いた。
「安心しろよ。でも、いいんじゃないか?」
「えっ?」
――やっぱり、泣いたのがバレてたのか……。
ショックを受けて俯いていると、蓮が僕の耳元で囁いた。
「鳴海の彼女。伊藤さんだっけ? あの子、可愛いよな……」
「……はっ?」
僕は思いっきり顔を歪めた。蓮を見て「はぁ……」と疲れたようにため息をついた。
「なぎっち、あの子のこと、気になってるんじゃないの?」
「違うよ」
蓮の勘違いの甚だしさにうんざりしつつも、僕のことを気にかけてくれていることには感謝した。そもそも親友である蓮にすら、僕は自分が女性を好きになれないということを告げていない。勘違いされても仕方ないのかもしれない。礼央の彼女が気になるのではなく、本当は礼央のことが気になっている――とは言えなかった。
勘違いしている蓮を生ぬるい眼差しで見ていると、当の本人は達観したように言ってきた。
「なぎっち。お前が本当に彼女のこと好きなら、親に言ってみろよ。例の婚約者とは結婚できない、ってさ」
蓮のその言葉が深く僕の心に突き刺さった。そうだ。まだ僕は自分のセクシュアリティを親に伝え切れていない。
「……親に――」
美月を傷つけてしまったことへの後悔が胸に広がり、目を伏せた。僕の暗い表情を見た蓮が言った。
「だってさ、お前の人生だろ? 家のことも理解できるけどさ。一度しかない人生なんだ。正々堂々と好きな人のために努力するお前、俺は応援するぜ!」
親指を立てて精一杯励ましてくれる幼馴染を見ると、「大丈夫だ!」と背中を押されているようだった。しかし、僕の家庭はそう単純なものではない。
「……ありがとう」
複雑な表情で蓮に礼を言うと、「いつでも相談に乗るからな!」と言って彼はその場を後にした。
――蓮が言うほど単純なら、どれだけ楽だろう。親に言えるほど単純なら、どれだけ……。
僕は窓の外の雲ひとつない青空を仰いで、大きくため息をついた。空の青さが、どこか遠く届かない自由を象徴しているようで、胸が締め付けられた。