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5-6

 文化祭二日目。その日は土曜日ということもあり、一日目よりも賑わっていた。学外の生徒や保護者の姿も多い。部活で他校との交流がある生徒などは、グループになって楽しそうに話している姿もちらほら見えた。あちこちから笑い声や歓声が響き、文化祭は最高潮を迎えていた。


 昨日の紗奈の言動により、僕と礼央は少し気まずくなった。と言っても、僕が意識しすぎているだけなのかもしれないが。心の中で何度も昨日の出来事を反芻し、考えれば考えるほど混乱した。


 だからか、今日は礼央とは会っていない。きっと紗奈と二人の時間を過ごしているのだろう。それを考えると、胸の奥がちくりと針で刺されたように痛んだ。妬みという感情が、こんなにも苦しいものだとは知らなかった。


 ――僕は二人の仲を邪魔しちゃいけないんだ。


 心の中で自分にそう言い聞かせる。だが、昨日、二人きりの時間を過ごしたことを思い出すと、礼央がずっと僕のそばにいてくれたらいいのに、とも思ってしまう。その時間は、僕の人生で最も幸せな時間の一つだった。


 昨日からずっと礼央のことが頭から離れない。僕は心のざわつきを押し殺し、生徒会長の仮面を貼り付けて、淡々と学内の見回りをこなした。仕事に没頭すれば、少しは心が落ち着くかと思ったが、思うようにはいかなかった。


 二日目も無事に終了し、文化祭の閉会式が執り行われた。僕は壇上に上がり、閉会の挨拶を行う。深呼吸をして、いつもの冷静な表情を取り戻した。


「これを持ちまして、第四十七回北翔高校文化祭を閉会いたします」


 生徒たちから拍手が湧き起こり、口々に感想を言い合っている様子が見えた。僕は無事に文化祭を終えたことに安堵し、肩の荷が降りた。緊張から解放されたせいか、急に疲れが押し寄せてきた。


 ――これで、僕の生徒会長の任も終わり、か。


 そう考えると、少し寂しさが滲んだ。この一年、生徒会長としてがむしゃらに頑張ってきたからだ。生徒会から引退したら、あとは受験に向けて勉強に励むしかない。家が望む大学、家が望む学部、家が望む未来。その決められた道を、黙って歩いていくだけ。


 撤収作業を全て終えて、僕は生徒会室へと向かい、今回の文化祭の総括の文章をパソコンで作成した。最後まで完璧に仕事をやり遂げることが、僕の務めだった。


「よし、これでいいか」


 出来上がった資料を見返して、呟いた。最後の文化祭実行委員会までにもう一度見直しておけば十分だろう。全ての作業を終え、僕はほっと息をついた。


 校庭では後夜祭終了の花火が上がっている。全校生徒は後夜祭できっと盛り上がったことだろう。一人で働き続けた僕には、その賑わいが妙に遠く感じられた。


 僕はパソコンをシャットダウンして、帰宅する準備をする。ドアに向かおうとした時、誰かがそこに立っているのが分かった。近づくと、それは礼央だった。突然の彼の姿に、僕の心臓は大きく跳ねた。


「あれ、礼央? 後夜祭には参加してないの?」


 僕はてっきり彼女と後夜祭を楽しんでいるのだと思っていた。後夜祭はカップルにとって学内で特別な時間を過ごせる唯一の時間だからだ。花火を見上げるロマンチックな雰囲気は、恋人たちにとって格好の場所のはずだった。


「凪を……探してた」


 その言葉に僕は息を呑んだ。彼の声には、いつもの明るさとは違う、静かな真剣さがあった。


「……僕を?」


 僕は驚いて礼央を見た。笑顔を見せているが、目はとても真剣だった。その眼差しの奥には、言葉にできない何かが潜んでいる気がした。


「ちょっと話ができる?」


 礼央は生徒会室に入って椅子に座った。僕は彼の横に座る。気まずい空気が流れるが、思い切って口火を切った。この沈黙を破らなければ、何も前に進まない。


「あの……、今日、伊藤さんは?」


 ためらいがちに聞くと、礼央の表情が曇った。彼の明るい表情が一瞬で陰り、肩が少し落ちた。


「あぁ、紗奈なら先に帰ったよ。ちょっと二人で話し合っててさ……」


 僕はゴクリと唾を飲み込んだ。話し合ったって、何を? 様々な可能性が頭をよぎる。


「俺たち、ちょっと距離を置くことになった」


「……え? どうして?」


 僕は驚きを隠せなかった。彼の表情から、それが単なる喧嘩ではないことが伝わってきた。


「まあ、色々とあってね……」


 礼央はそれ以上は語ろうとしなかった。彼の言葉少なさに、何か大きな決断があったことを感じ取った。


 ――もしかして、僕のせいで?


 そう考えると胸が苦しくなった。思わず、胸元をギュッと掴んだ。自分が原因で誰かを傷つけることなど、考えたこともなかった。特に礼央を苦しめるなんて、最も避けたいことだった。


「ごめん……」


「なんで凪が謝るの?」


「……僕が、伊藤さんが勘違いするような行動取ってたから……」


 僕は俯いて、拳を握った。手が小刻みに震えていた。自分の感情を抑えられなかった弱さを恥じた。


「それは違う! 俺の気持ちの問題だから……」


 礼央が僕の手を握ってきた。それの手は大きくてとても温かい。僕の冷え切った心を包み込んでくれるようだった。その温もりが、少しずつ僕の緊張を解きほぐしていく。


 外は花火が終わりすっかり真っ暗な空になっていた。生徒たちがガヤガヤと下校している声が遠くに聞こえる。礼央が僕の方を見つめて言った。その眼差しには、僕が今まで見たことのない柔らかさがあった。


「不思議なんだよな」


「何が?」


 僕は礼央を振り返って言った。彼の瞳は潤んでいるように見えた。


「こうして凪と二人でいると、なんだか頑張れる気がするんだ」


 そう言うと礼央はくしゃっと顔を歪めて笑った。その笑顔には少し切なさが混じっていた。僕は彼の目を見つめて眉を下げた。


「ごめん……。僕のせいで、伊藤さんと……」


「違うって。俺が自分で決めたことだよ」


 礼央は僕の髪をサラッと撫でた。その優しい仕草に、僕の心は震えた。彼の手の温もりが、頭を通して全身に広がっていくようだった。


 その時、校内放送が響き渡った。


『全校生徒の皆さんは下校してください』


 それを聞いて僕たちは生徒会室を後にした。廊下に出ると、ほとんどの生徒は帰った後のようで、がらんとしていた。その静けさが、二人の存在を際立たせる。


「なんだか名残惜しいな」


 空っぽの廊下に二人だけの足音が響いた。僕たちは肩が触れ合いそうなほど近い距離で並んで昇降口に向かった。その近さに、心が高鳴る。


「文化祭……、初めて楽しいと思えたよ」


 僕は礼央を見つめて感謝の意を伝えた。これは心からの言葉だった。彼と過ごした時間のおかげで、初めて自分らしく笑うことができた気がした。


 礼央も僕を見つめ返してきた。彼の瞳には、言葉にできない何かが宿っていた。


「俺も。凪と過ごした時間が、一番楽しかった」


 その言葉に、僕は返すことができなかった。だが、心の中は今まで感じたことがないほど、温かく幸せで満ちていた。この感情を、大切にしたいと思った。礼央と過ごすこの瞬間を、この気持ちを、永遠に忘れたくなかった。


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