目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

6-2

 結局、進路希望調査書には、第一志望に経営学部を記入した。それでも本当の自分の心を否定するのが悔しくて、第二希望には同じ大学の社会学部を記入した。


 僕が目指している大学は、詳しく調べると、経営学部でも社会学部でも心理学が学べることが分かった。だから、表向き、つまり親には家業を継ぐという目的で学部を選んでいると見せかけることができる。もちろん、なぜ第二志望が社会学部なのかと聞かれた時の選考理由も考えておいた。


 ――僕がこんなにズル賢いなんて、思わなかったな……。


 少し後ろめたい気持ちはあるものの、自分のやりたいことを本気で取り組みたいと思えるようになった。それも、礼央のおかげだ。彼が僕の中の何かを少しずつ溶かしていく。硬い殻の中から、本当の僕が少しずつ顔を出し始めている。


 ふっと笑いながら、調査書を提出した。


 調査書の件で少し心が軽くなった僕は、放課後に足取り軽く図書館へ向かった。完全下校までの間、受験勉強をするためだ。


 窓際の席に座り、ノートとペンケースを取り出した。窓からは爽やかな秋風が吹き込んできて僕の髪の毛をサラッと撫でた。季節の変わり目を感じる心地よい風だった。


 問題集に向き合い、それを解いていく。気持ちが晴れやかで、問題もさらさらと解ける。まるで鈍っていた頭が突然冴え渡ったように。


 解き終えると息抜きに本を読もうと立ち上がった。いつもは小説コーナーへ向かうのに、その日はなぜか心理学コーナーへと足を向けていた。


 棚の前に立つと、本の背表紙に指をかける。指先に感じる革の質感が妙に心地良い。


 ――臨床心理学入門……。


 その本を棚から引き抜き、ペラペラとページをめくった。他の誰にも見られないように、背中で遮りながら。いかがわしい本じゃないのに、コソコソとしている自分がおかしくて、静かに笑みがこぼれる。


「あれ、凪?」


 後ろから名前を呼ばれ、僕はビクッと肩を振るわせた。すぐにパタンと本を閉じて、胸に抱え込んだ。ゆっくり振り返ると、そこには礼央が立っていた。


 陽が傾いた図書館の中で、彼の顔は柔らかな光に包まれて見えた。僕の心臓が一瞬止まったように感じる。


「れ、礼央。ひ、久しぶり……」


 なんとか振り絞った声は、上擦っていた。礼央はそれを気にすることなく満面の笑みで話しかけてきた。


「図書館で会うなんて珍しいね?」


 僕はしどろもどろになりながらも声を振り絞る。


「う、うん。勉強しに来てて……」


「そっか。俺も参考書借りに来たんだ。凪はもう志望校決まったの?」


「えっと……」


 言葉に詰まっていると、礼央が僕の胸元に抱いていた本をじっと見つめていた。


「何読んでたの?」


「いっ、いや、これはっ!」


 慌ててその本を元の位置に返そうと一歩後ずさると、ドンと背中が本棚にぶつかった。その衝撃で本棚の上段から本がどさっと雨のように降ってきた。


「わっ!」


「大丈夫か?」


 僕と礼央は思わず大きな声を出してしまった。ばらばらと本が足元に積もっていく。


 周りの生徒から「しーっ!」と人差し指を口に当てて注意されてしまった。


 元生徒会長が図書館で騒いでるなんて、恥ずかしくなって頬が赤くなるのが分かった。完璧だった自分のイメージが崩れていく感覚だ。でも、それが意外と心地良い。


 その時、図書館のカウンターからパタパタと足音が近づいてきた。


「図書館内ではお静かにっ!」


 図書委員から怒られて、二人で「ごめんなさい」と頭を下げた。僕は恥ずかしさのあまり、耳まで熱を持っているのが分かった。


「ごめん、凪。俺のせいだよな」


 礼央はしゃがんで本を拾い始めた。彼の仕草には優しさがあふれていて、それが僕の胸を締め付ける。


「……心理学入門」


 礼央は手に取った本のタイトルを読み上げた。


「あっ、それは……」


「やっぱり興味あるんだな。心理学」


 礼央は微笑みながら僕の顔を覗き込んだ。その表情には批判の色が全くなく、ただ純粋な関心だけがあった。


「ねえ、この後、時間ある? よかったら一緒に勉強しない? 俺も受験に向けて勉強したいからさ」


「……えっと……」


 断る理由が見つからず、僕はこくりと頷いた。断りたいような、でも一緒にいたいような、矛盾した感情が胸の中でぶつかり合う。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?