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7-4

 蓮に僕の気持ちを打ち明けてから数日後、勇気を振り絞って、以前礼央から貰っていたメッセージにようやく返事を打った。


『今日の放課後、屋上で会います』


 そう返信して教室の窓から空を見上げる。どんよりと黒い雲が空を覆い尽くしていた。これから会う礼央に、どんな顔をして、何を言えばいいのか。そんなことを考えながら、授業の内容は一言も頭に入らなかった。


 放課後、屋上に出ると、空からは雪が舞っていた。初雪だ。うっすらと屋上を覆い始めてはいるが、積もるほどではない。白い息を吐きながら、僕は手摺りを握りしめた。


 僕は、はあっと息を吐いた。その息は白く、冷たい空気に溶けていった。季節外れの初雪が舞い落ちるのを見上げながら、僕は礼央の到着を待った。鼓動は次第に速くなり、手のひらには汗が滲んでいた。


 ――本当に、来るのかな?


 フェンスから校庭を見下ろしながら考えていると、扉が開く音がした。古びた金属音が、僕の神経を揺さぶる。


「凪!」


 振り返ると、そこには礼央が立っていた。息を切らして、頬を紅潮させている。まるで走ってきたかのように。


「待たせてごめん! 部活の後輩に捕まって……」


「もう引退したのに?」


「うん。たまに後輩の相談とか、のってるんだよ」


 そう言いながら、礼央は一歩ずつ僕に近づいてきた。薄く積もった雪の上に、礼央の足跡が刻まれた。その足音は、僕の心臓の鼓動と同じリズムを刻んでいるように思えた。


 フェンスの前に並んで立った僕と礼央の間にはしばらく沈黙が続いた。ピリピリとした緊張感が漂う。雪が二人の間に舞い落ち、消えていった。その時、礼央が沈黙を破った。


「……あの日から、会いたかった」


 礼央の言葉はいつもより低く、真剣さを帯びていた。その声から緊張していることが分かった。指で手摺りを強く握りしめている。


「……ごめん。避けてた……」


 僕は正直に礼央に謝った。無意識に逃げていたことを認める。彼はくしゃっと笑って言った。その笑顔に、少し安堵が混じっていた。


「分かってる。俺もごめん。急にあんなこと言って……」


 礼央は少し俯いた。雪の結晶が彼の黒い髪に落ち、溶けずに残っている。


「でも、本当なんだ。凪のことを考えると……、胸がざわざわして、落ち着かなくて……」


 礼央は顔を上げ、僕の目を見つめた。彼の目は真っ直ぐで、嘘偽りのない感情が見て取れた。僕と礼央の間に雪がふわりと舞い落ちる。


「凪のことばかり……考えてしまうんだ」


 そう言うと礼央は一歩、僕に近づいた。二人の間の距離がわずかに縮まる。その一歩が、僕には大きな意味を持って感じられた。


「……礼央」


 僕は喉に何か詰まったようになり、名前を呼ぶことがやっとだった。これから言うべき言葉は、まだ整理できていなかった。


「好きだ、凪」


 礼央は僕の目をまっすぐ見つめて、言った。その瞳は揺れている。不安と期待と、そして何かを決意したような強さが混在していた。


 僕の胸は激しく鼓動した。心の中で様々な感情が入り乱れる。


 ――嬉しい。これが本当なら……。でも、怖い。もし礼央の気持ちが違ったら……。


 僕は息を呑んで、その場に立ち尽くした。


 *


 礼央の告白の言葉が、冷たい空気の中に響いた。「好きだ」。たった三文字なのに、その重みは雪よりも強く僕の肩にのしかかる。


 礼央の表情を見れば、それが本当の気持ちだと分かる。瞳に嘘はない。だけど、僕たちは男同士で、礼央は女の子も好きになれる。男しか好きになれない、僕とは違う。


 それを考えると、今は僕のことが好きでも、いつかは「普通の恋愛」へと戻り、僕から離れていく未来が見えてしまった。一時の感情に流されるだけではないか。その不安が、凍えるような寒さとなって僕を包み込む。


 それが怖くて、僕は一歩後ずさった。雪を踏みしめる音が、決意を表すように響いた。


「……わかってない」


 僕の口から出た声はとても小さかった。だが、雪の降る周りの空気と同じぐらい冷たいものだった。心とは裏腹に。


「え?」


 礼央には僕の声が聞こえなかったようで、聞き返してきた。少し首を傾げて、不安そうな表情を浮かべている。


「礼央は何もわかっていない!」


 僕の声が大きく屋上に響いた。思わず感情を爆発させてしまう。声を荒げたことにも自分で驚いた。


「これは……ただの一時的な気の迷い、だよ……」


 告白されて嬉しいのに、自分でも驚くほど冷たい言葉が口から出た。それは僕の本心ではない。ただ、怖かっただけなのに。


「違う! 俺は本気だ!」


 礼央は頭を振って僕の言葉を強く否定した。その言葉には必死さが滲み出ていた。目を真っ赤にして、僕に向かって叫んだ。


 僕の心の中では礼央が間違いに気づいて僕から離れていく恐怖が渦巻いていた。その恐怖が僕を突き動かしている。守るために、傷つけているような矛盾。


「友情と別の何か別のものを混同しないで!」


 心の中では「嬉しい、受け入れたい」と思っていても恐怖が増してしまい、裏腹な言葉が口から溢れ出る。自分でも、何を言っているのかわからない。


「……凪」


 礼央は僕の名前を呟くと、表情が曇った。目の光が消えている。その姿は、胸を刺すように痛かった。


「これが現実なんだよ……。僕たちは、男同士だ」


 震える声で言葉を絞り出した。唇が震える。それは寒さのせいなのか、礼央を拒絶する恐怖からかは分からなかった。


 薄く雪が積もり始める中、僕は一歩踏み出した。距離を置こうとする一歩。


「だから、もう、この話は……」


 そう言いかけた時、足が滑ってしまった。薄い雪が思いのほか滑りやすかったのだ。


「わっ!」


 バランスを崩して転びそうになったところ、礼央が素早く手を差し伸べてきた。いつでも僕を支えようとする彼の姿勢に、胸が締め付けられる。


「危ないっ! 大丈夫か?」


 しかし僕はその手を払い除けた。温かな手のひらに触れることが、自分の決意を崩してしまいそうで怖かった。


「触らないで!」


 思わず大きな声が出てしまった。その声は屋上に響き、やがて雪と共に消えていった。礼央はその声を聞くと、俯いていた。表情はよく見えないが拳が小刻みに震えている。怒りなのか、悲しみなのか、それとも寒さなのか。


「……分かった。無理に迫ることは、しない」


 その声は諦めと哀しみに満ちていた。いつもの明るい礼央の声ではなく、何かが壊れてしまったような声だった。


 僕は黙ってその場を後にした。ドアを閉める際に、礼央を振り返った。雪の中に立ち尽くす礼央の背中は、とても小さく見え、孤独に満ちていた。舞い落ちる雪が彼の輪郭をぼやかし、幻のように儚く見せていた。


 僕は階段を一段ずつゆっくり降りながら礼央に心の中で謝った。自分の弱さに対する怒りと、彼を傷つけた罪悪感が交錯する。


 ――ごめん、礼央。でもこれが、礼央のためにはいいんだ。これが正しいんだ……。


 今まで我慢していた涙がどっと堰を切ったように溢れ出た。階段の踊り場で膝から崩れ落ち、壁に背を預けて泣き続けた。誰にも見られない場所で、初めて素直に涙を流す。それは自分のためなのか、礼央のためなのか、もはや分からなかった。


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