初雪は思いの外降り続き、外を一面の銀世界に変えていた。まだ誰も登校していない静寂に包まれた教室の窓辺に立ち、僕は校庭を見下ろす。雪化粧を施されたその景色は、まるで別世界への扉を開いたかのように美しい。窓ガラスに手のひらを当てると、冷気が皮膚を通じて身体の奥まで浸透し、僕の心を凍てつかせるようだった。
校庭は朝日を浴びて雪がダイヤモンドのように輝いている。いつもなら、その美しい光景に見入るはずの僕だったが、今日はただぼんやりと昨日のことを反芻していた。
『好きだ、凪』
その言葉が、まるで水晶の音のように僕の心の奥に響き続けている。嬉しくて、一番欲しかった言葉だったのに、僕は――。
『友情と別のものを混同しないで!』
僕の口から飛び出したその言葉も、同じように耳の奥に残り続けている。一度口にした言葉は、どんなに後悔しても取り戻すことはできない。それなのに――。
「どうしてあんなこと言ってしまったんだろう……」
溜息とともに吐き出した言葉が、白い息となって窓ガラスを曇らせる。
喜びと恐怖が同時に心に押し寄せてきた時、僕は恐怖の方に支配されてしまった。そして、最も愛おしい人を傷つけてしまったのだ。
いくら後悔しても、時間は戻らない。僕は自分の愚かさを呪いながら、固く拳を握った。
あれから一週間が経った。しかし、礼央の姿を見ることはなかった。元々、学年の端と端に位置する僕たちのクラスで会う機会は少なかったが、それでも廊下ですれ違ったり、遠くから見かけることはあった。だが、どんなに目を凝らして彼のクラスの方を見ても、礼央の姿を捉えることは一度もできなかった。
――もしかして、もう実業団のバレー部に所属して、練習に参加しているのだろうか。
そんな推測を立てていた時、移動教室の途中で女子生徒たちの会話が耳に入った。
「最近、鳴海くん見かけないよね」
「なんか、ずっと休んでるみたいよ? 一組の子が言ってた」
「え? どうしたの?」
「風邪をひいたかなんかで、熱がなかなか下がらないんだって」
その言葉に、僕の息が一瞬止まった。礼央はお母さんと二人暮らしだ。きっと母親は仕事で家を空けることが多いだろうから、一人で熱にうなされているのではないか。
そんな想像をしただけで、彼のことが心配で胸が締め付けられる。
しかし、ふと思い至った。
――まさか……?
あの日、僕が屋上から立ち去る時、振り返った瞬間に見た礼央の姿が蘇る。彼は雪の降る中、その場に立ち尽くしていた。もしかして、それが原因で――。
――また、僕のせいだ……!
あの時、恐怖に負けて彼の純粋な好意を踏みにじったから。そう考えると、後悔の波が押し寄せて僕の心を押し潰そうとした。
次の時間、僕は礼央が一人で寝込んでいる姿を想像して、全く授業に集中できなかった。
きちんと水分は取れているだろうか。食事は食べているのか。辛い思いをしていないだろうか……。
僕が蒔いた種だと分かっていても、心が苦しくなり、胸元をギュッと掴んだ。
「はい、じゃあ次の問題。解き方を志水、説明してください」
突然教師に当てられて、僕は現実に引き戻された。慌ててガタッと音を立てて立ち上がる。黒板に目を向けても、礼央のことばかり考えてしまっていたせいで、頭の中は真っ白になっていた。
「えっと……すみません」
僕が答えに窮していると、教室内がざわめいた。
「志水が問題分からないなんて、どうしたんだ?」
「珍しいな。体調でも悪いのか?」
クラスメイトたちのひそひそ声が気まずくて、僕は「分かりません」と小さく答えて席に座った。
「受験も控えているんだから、これくらい解けないと困るぞ」
教師の声が遠くに聞こえた。僕の意識は、まだ礼央のことに向いていた。
放課後、気持ちを整理するために図書館に向かった。すっかり毎日の日課になった勉強の時間。いつもの定位置の席に座り、問題集を開いて解いていく。ふと目を上げて向かいの席に視線をやると、そこには誰もいない。
目を細めて、礼央と一緒に勉強した日々を思い出す。
彼は真剣に小論文を書く練習をしていた。そして一瞬目を上げて僕と視線が合うと、太陽のように温かく笑った。
――もう、二人で会うことなんて、ないんだろうな……。
そう考えると、胸の奥が空洞になったような寂しさが込み上げてきて、目頭がじんわりと熱くなった。しかし、礼央のためにはこの方が良かったのだと、心の中で必死に言い聞かせた。
問題を一問解いて次に取り掛かろうとしたが、どうしても集中できない。僕は立ち上がり、いつものように心理学コーナーへ足を向けた。本棚を眺めていると、一冊のタイトルに目が釘付けになった。
『自分の人生を生きるということ』
気づいたら、その本を手に取ってページをめくっていた。パラパラとめくっていた手が、あるページで止まる。
『自分の気持ちに正直になることが、本当の意味での成長の一歩である』
その一文から目が離せなかった。まるで、その言葉が僕の心に直接語りかけてくるようだった。
――僕は、僕の人生を、自分自身の手で選びたい。
その瞬間、強い意志が心の中に芽生えたのを感じた。今まで小さな火種だったものが、一気に大きな炎へと変化する。
このままでいいはずがない。
僕は一歩、踏み出す勇気を決めた。