週が明けて、また新しい一週間が始まった。僕は週末に起こった出来事が、本当に自分がやったことなのかとまだ信じられずにいる。だが、今まで何かに縛られていた心が、ようやく自由になったような気がした。
何より、美月が僕ではなく本当に好きな人と人生を歩めることが嬉しかった。僕では美月を幸せにすることはできなかったから。
――美月、うまくいくといいな。
そんなことを考えながら教室に入ると、いつものように蓮がいた。
「おっはよ、なぎっち」
蓮は僕に近づいてきて、いつものように馴れ馴れしく肩を組んだ。
「おはよう」
僕から出た言葉が、先週よりもずっと軽やかになっているのが自分でも分かった。
「おっ! なぎっち、週末になんかいいことあった?」
僕の変化をすぐに嗅ぎ取る幼馴染は、僕の肩を抱く腕に力を込めた。
「うん、ちょっとね」
僕は口元を少し上げて微笑んだ。
「おぉ! 何、何? 教えてよ!」
「やだよ」
「いいじゃん、幼馴染なんだしさ。俺となぎっちの仲だろ?」
蓮はニヤニヤしながら僕を覗き込んだ。確かに蓮は今まで、僕の変化に最初に気づき、心を砕いてくれた。仕方ないな、と小さくため息をついて、蓮の耳元に口を寄せた。
「……婚約破棄した」
「えぇぇぇっ! マジで?」
教室中に響く大声で蓮が叫んだ。僕は慌てて口元に人差し指を当てて「しーっ!」と制止した。
「悪い悪い。本当かよ? やるじゃん、なぎっち」
蓮は肘で僕を軽く突いた。僕は頷いて、もう一つのことも打ち明けた。
「志水グループも継がない」
蓮は驚きすぎて額に手を当て、卒倒しそうになった。
「……マジか……」
蓮の驚きも理解できる。今までの僕なら、こんなことは絶対にしなかっただろうから。
家のことは何とか片付いたが、まだ僕の心には大きな課題が残っていた。それを思い出すと、途端に表情が曇る。
蓮は顔を上げて、ニヤリと意味深に笑った。
「なぁ、なぎっち。今日の放課後、ちょっと付き合ってよ」
「……? いいけど」
「約束だぞ」
こうして僕と蓮は、一緒に帰ることになった。
放課後、僕と蓮は連れ立って学校を出た。二人とも同じ寮に住んでいるのだが、蓮が向かった先は寮とは逆方向だった。行き着いたのは、学校近くの小さな公園だった。
「何? 買い物じゃなかったの?」
僕は不思議そうに蓮を見上げて聞いた。
「うん。ちょっとなぎっちと話したくてさ」
蓮はそう言うと、ベンチに腰を下ろした。僕もその隣に座る。冬の冷たい空気が、僕たちをそっと包み込んだ。
「今回の婚約破棄と家業を継がないことって、この前言ってた、なぎっちの好きな人と関係あるの?」
蓮は真剣な眼差しで僕を見つめてきた。僕は小さく頷いた。
「うん。その人がね、僕に言ってくれたんだ。凪の本当にやりたいことは何かって。それで、自分のやりたいことが見つかって、家業を継がないって決めた」
僕は一息つき、さらに言葉を続けた。
「ただ、婚約破棄は美月と話し合って決めたことだよ。彼女にも好きな人がいるって分かったから」
「そっか」
蓮は灰色の空を見上げながら呟いた。
「でさ、なぎっちの好きな人って、鳴海だよな?」
「えっ?」
僕の心臓が一気に跳ね上がった。蓮は僕のことをよく知っているから気づいているとは思っていたが、まさかそれを口にするとは思っていなかった。
「……どうして?」
ハハッと蓮が朗らかに笑った。
「お前の顔見てりゃ、分かるよ」
そして蓮は大きくため息をついた。
「俺となぎっち、何年の付き合いだと思ってる?」
「うっ……」
僕は返す言葉もなかった。しばらく沈黙が二人の間に流れた。僕は観念したように口を開き、小さな声で呟いた。
「うん。僕、礼央のことが……好きだ」
初めて、自分の礼央に対する気持ちを声に出した。すると、なんだか心が温かくなるのを感じた。
「やっと言えたな! ずっと待ってたぞ」
蓮は僕に温かい笑顔を向けてきた。
「なっ……」
「なぎっちが鳴海のこと、どう見てるかなんて、こっちにはお見通しだったっての」
「そ、そっか……」
蓮の態度に拍子抜けする。僕は恥ずかしくなって頬を赤らめ、俯いた。
「でも……もう遅いかもしれない」
「なんで?」
「僕が……彼を拒絶したから」
そう言って、僕はあの日のことを蓮に説明した。その時のことを思い出しただけで、目に涙が滲んできた。
「なぎっち、まだ諦めるな!」
そう言うと蓮は勢いよく立ち上がった。
「蓮……?」
「お前の人生だろ? 好きなら行けよ!」
そう言い残すと、蓮はその場から歩き去った。寒空の下、遠ざかる幼馴染の後ろ姿は、どこか勇ましく、僕に勇気を与えてくれた。