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9-4

「よう。おはよう、凪」


 翌朝、寮を出ると玄関前に礼央の姿があった。


「え? どうしたの?」


 僕は礼央の元に小走りで駆け寄った。寒い中、しばらく立っていたのだろう。頬と耳が林檎のように赤くなっている。


「恋人とは少しでも長くいたいからさ。迎えに来た」


「……っ!」


 僕はその言葉を聞いて、心臓の鼓動が止まらなくなった。


 ――礼央って、こんなにも情熱的な人だったんだ……。


 でも、嬉しい。だから、僕は自分の気持ちを素直に伝えることにした。


「ありがとう。僕も一緒にいたかったから、嬉しい」


「そ、そうか?」


 礼央は頬を染めながら、はにかむように微笑んだ。僕たちは肩を並べて学校へ向かう。触れ合うほどの近い距離で、礼央の温もりが伝わってくる。


「でもさ、凪の寮、いいよなぁ。学校まで徒歩五分って……」


「ははっ。でも僕は、いつも早い時間に学校に行ってるんだよ」


「こんなに早く行って、いつも何してるの?」


 僕は礼央を見ながら、いたずらっぽい笑みを浮かべて言った。


「ふふ。学校に着いてからのお楽しみ」


 五分間の短いデートを終え、学校に着くと靴を履き替えた。廊下を並んで歩いて向かった先は図書館だった。


「図書館?」


 礼央が不思議そうな声を上げる。


「うん。僕が、僕でいられる唯一の場所だったところ」


 そう言って図書館の扉を開けた。冬の早朝の図書館は、静寂に包まれてひんやりとした空気が漂っている。僕は窓際の定位置に座った。


「いつも朝の時間、ここで『完璧な志水凪』の仮面を外して、自分らしく過ごしていたんだ」


 僕が唯一、本当の自分でいられた時間だった。けれど、それも、もう必要ない。


「でも、もうその時間はいらなくなったね。僕には礼央がいるから」


「……っ!」


 礼央は見る見るうちに顔を赤らめた。


「そ、そんなこと言うなよ……」


 恥ずかしがっている礼央を見て、僕はくすりと笑って言った。


「これからは朝の時間、ここで受験勉強するよ。自分のやりたいこと目指すために」


「じゃあ、俺も付き合う」


 僕と礼央はノートを取り出し、勉強を始めた。時々、目を上げて見つめ合い、微笑み合いながら。こんな些細な時間が、こんなにも幸せだなんて思いもしなかった。


 予鈴が鳴った。僕たちは片付けて図書館を後にしようとした時、礼央が僕の腕をそっと掴んだ。


「凪、抱き締めても……いい?」


 僕はこくりと頷く。礼央は僕を優しく抱き締めた。僕は礼央の胸に顔を埋め、彼の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。石鹸の匂いと、礼央だけの甘い匂いが混じり合って、めまいがしそうになる。


「あ〜、離れたくないなぁ」


 礼央が僕の耳元で囁いた。背筋がゾクリと震える。


「じゃあさ、僕が礼央のクラスに休み時間、会いに行くよ。僕も少しでも一緒にいたいから」


 それから僕と礼央は、朝一緒に登校して図書館で勉強し、休み時間ごとにお互いの教室を行き来した。昼休みは一緒に食事をとり、放課後には図書館で勉強して一緒に帰る。数日もすると、クラスメイトの間で噂になっていた。


「あれ? 鳴海と志水、仲良くない?」


「そういえば最近、ずっと一緒にいるよな」


 ずっと一緒にいると、こう言われることは覚悟していた。でも僕は、もう礼央と一緒にいるから。二人で前を向いて歩くと決めたから、全然気にならない。


 休み時間、礼央と廊下で話していると、蓮が近づいてきて大声で言った。


「おぉっ! やっとくっついたか〜!」


 僕はぎょっとして蓮を見た。


「れ、蓮。声が大きいっ!」


 蓮はにやりとしながら僕に言った。


「なぎっち、おめでとう!」


「あ、ありがとう……」


 そして蓮は礼央の方を向いた。


「鳴海、なぎっちのこと、よろしくな。頼んだぞ!」


 蓮は礼央の肩をぽんぽんと叩く。礼央は「任せとけ」と頷いた。


 それから、僕と礼央の関係はあっという間に学校内に知れ渡った。


「志水と鳴海、付き合ってるの? お似合いだよな」


「なんか意外だけど、納得する」


「あの二人の雰囲気、すごくいいよね」


「応援したくなるカップルだ」


 男同士で付き合っていると知られたら、もっと否定的なことを言われるのではないかと思っていたのに、意外にも好意的な反応が多かった。


「意外とみんな優しいね」


「うん……僕が心配しすぎていただけかも」


 放課後、二人で過ごす図書館の時間が、今まで以上に温かく愛おしいものになった。


 もしかしたら、一部の人は嫌悪感を抱いているかもしれない。でも、僕たちのことを認めてくれている人がいるということが、何よりも嬉しかった。


 下校時間になって、僕は自分から礼央の手を取った。礼央は少し驚いた表情を見せたが、それを優しく受け入れてくれた。肩を並べて学校を後にする。そばを通る生徒たちは皆、温かな眼差しで僕たちを見送ってくれた。


 新しい毎日が、今、始まったのだった。


 手を繋いだまま校門を出ると、桜並木の向こうに夕陽が沈もうとしていた。まだ蕾も膨らんでいない枝々が、春の訪れを静かに待っている。


「来年の春には、ここで桜が咲くんだね」


 僕が呟くと、礼央が僕の手を優しく握り返した。


「その時も、こうして一緒に歩いてる?」


「当たり前じゃん」


 礼央の即答に、僕の胸が温かくなる。


 ――そうだ。僕たちにはこれから、たくさんの季節が待っている。桜の春も、緑陰の夏も、紅葉の秋も、そして再び巡る雪の冬も。


 全部、礼央と一緒に迎えるんだ。


「ありがとう、礼央」


「何が?」


「僕に、本当の自分で生きる勇気をくれて」


 礼央は立ち止まって、僕の方を向いた。夕陽が彼の横顔を黄金色に染めている。


「俺の方こそ、ありがとう。凪に出会えて、本当によかった」


 風が頬を撫でていく。もう、あの雪の日のように冷たくはない。冬の冷たい風だが僕たちには、優しい風だった。


 僕たちは再び歩き始めた。影が長く伸びて、二つの影がぴったりと寄り添っている。まるで離れることなど考えられないみたいに。


 愛は、確かにここにあった。僕の胸の中に、礼央との間に、そして僕たちが歩いていくこれからの道のりすべてに。


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