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第十章 キミと一緒に歩きたい

 年が明けると、僕たち三年生は始業式の後、一週間ほどで受験のため自由登校となる。すでに推薦で進路を決めた生徒たちは卒業式までの間、のんびりとした時間を過ごしている。しかし、国立大学を目指す僕にとって、年明けからが本当の勝負だった。一月中旬の共通テスト、そして二月下旬の二次試験へ向けて、残された時間は決して多くない。


 自由登校となっても、僕は毎日学校へ足を向けた。寮の自室で勉強することもできるのだが、学校へ向かう理由は勉強だけではなかった。


「おはよう!」


 寮の玄関を出ると、いつものように明るい声が響く。振り返れば、マフラーを首に巻いた礼央が、息を白く染めながら手を振っていた。


「おはよう、礼央」


 ひと月ほど前に恋人になってから、彼は毎朝迎えに来てくれるようになった。朝の澄んだ空気の中、二人で肩を並べて学校へ向かうのが、今では当たり前の風景になっている。


 ――こんなにも幸せで、いいのだろうか。


 歩きながら、僕はそっと礼央の横顔を盗み見た。凛々しい眉のすぐ下にある瞳が、冬の陽光を受けてきらめいている。マフラーに隠れた口元がほころんでいるのが分かった。


「ん? 何か顔についてる?」


 視線に気づいた礼央が、困ったような笑顔を向ける。


「……ううん。ただ、こうやって毎日礼央と一緒にいられることが、とても幸せだなって思っただけ」


 素直な気持ちを口にすると、礼央の足がぴたりと止まった。握りしめた拳が小刻みに震えている。


「ど、どうしたの?」


「……いや。今すぐ凪を抱きしめたくなって、必死に我慢してるだけ……」


 その言葉に、僕の頬がかっと熱くなった。


「も、もうっ! そんなこと急に言わないでよ……。まだこういうの、慣れてないんだから……」


「凪が可愛いこと言うからだろ」


 二人して顔を真っ赤にしながら俯く。しかし、自分の気持ちに正直になってから、僕は少し大胆になってしまったようだった。きょろきょろと周りを見回して、通行人がいないことを確認すると、思い切って礼央に歩み寄って抱きしめた。


 そして、そっと彼の耳元に唇を近づけて囁いた。


「礼央、大好き」


「……っ! な、凪っ!」


 好きという言葉が、こんなにも自然に口から零れるなんて。ずっと心の奥に仕舞い込んでいた想いを、今はこんなにも素直に伝えられる。その変化が愛おしくて、僕は花が綻ぶように微笑んだ。


「早く学校に行こう」


「お、おう……」


 礼央の戸惑った様子がまた可愛くて、僕は彼と肩がくっつくほど寄り添いながら歩き出した。


 校舎に足を踏み入れると、まっすぐ図書館へ向かう。窓辺の定位置に向かい合って座り、それぞれの参考書とノートを広げた。窓の外には鉛色の雲が重く垂れ込めているけれど、僕たちの周りには一足早い春の陽だまりのような温かさが漂っている。


「それにしても、推薦を辞退して本当によかったの?」


 必死に数学の問題と格闘している礼央に、僕は少し心配そうに声をかけた。


「うん。俺が決めたことだから」


 礼央は顔を上げて、いつものように人懐っこく笑う。


「凪と同じ大学を目指すって、自分で決めたんだ」


 その言葉に胸が熱くなる一方で、僕は礼央が無理をしているのではないかと不安になった。


「だって、推薦の方が確実だったでしょう?」


「でも俺は、ずっと凪と一緒にいたいんだ。だから、自分のやりたい方を選んだ」


 迷いのない澄んだ瞳で見つめられて、僕の心臓が大きく跳ねる。同じ大学に合格すれば、これからもずっと一緒にいられる。そう思うだけで、これから待ち受けている受験という険しい道のりも、きっと乗り越えられる気がした。


 ふと思い出して、僕は鞄からお守りを取り出した。


「礼央、これ……」


 手のひらに乗せた白い布の小さな袋を差し出すと、礼央も慌てたように鞄をごそごそと探り始める。そして、全く同じお守りを取り出した。


「嘘だろ……まさか」


「あはは! 僕たち、考えることが一緒だね」


 見つめ合って、思わず笑い出してしまう。お互いが買ってきたお守りを交換して、大切そうに鞄につけた。


「なんだか心強いな。これだけで合格できそうな気がする」


「そうだね。頑張ろうって思える」


 僕はそっと礼央の手に自分の手を重ねた。彼の手は思いのほか温かくて、その温もりが心の奥まで染み渡っていく。


「お互い、頑張ろうね」


「ああ。二人で乗り切ろう」


 僕はもう一人じゃない。一緒に歩んでくれる人がいる。そう思うだけで、どんな困難も乗り越えられる気がした。


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