受験まで残り少ない日々、僕と礼央は図書館で朝から夕方まで勉強漬けの毎日を送っていた。授業のある日中は図書館内にいるのは三年生ばかりだったが、放課後になると下級生たちもやってくる。
僕たちの学年では、僕と礼央が恋人同士だということは周知の事実で、多くの人が温かく受け入れてくれていた。しかし、下級生の中には露骨に嫌悪感を示す人もいるようだった。
僕たちが向かい合って勉強している姿を見て、聞こえよがしに話す声が耳に入ってくる。
「ほら、あの人たち。三年の鳴海先輩と志水先輩でしょ? 付き合ってるんだって」
「えー! 男同士なんて、気持ち悪くない?」
「生徒会長が男好きだったなんて、幻滅……」
僕は視線を参考書に落とし、聞こえないふりをして問題を解き続けた。しかし、礼央の表情が険しくなっているのが分かる。ついに彼は立ち上がり、話をしていた生徒たちの方へ歩いて行った。
「あのさ」
礼央の声は普段よりも低く、静かだった。
「俺、凪のこと男だから好きになったんじゃないよ。『人』として好きになったんだ。それって、そんなに悪いことかな?」
その言葉を聞いて、僕の胸がきゅんと高鳴った。それは以前、告白の時に言ってくれた「凪じゃないとダメなんだ」という言葉と同じ響きを持っていた。
毅然として、それでいて優しく諭すような礼央の姿に、僕は改めて惚れ直した。
礼央に詰め寄られた生徒たちは、慌てて頭を下げる。
「す、すみませんでした!」
そう言い残して、そそくさと立ち去っていく。ポケットに手を突っ込み、少し苛立ちを残しながら席に戻ってきた礼央が、僕に向かってやわらかく微笑んだ。
「凪、気にするなよ」
「うん……。全員に受け入れてもらえるなんて、最初から思ってないから」
世間では同性同士のカップルは少数派だ。理解してもらいたいとは思うけれど、それを強要するつもりはない。ただ、僕たちのような人間も存在するということを知っていて欲しい。そして、いつか同じように悩む人たちの心の支えになれるよう、大学でしっかりと学びたいと改めて思った。
帰り支度をして図書館を出ようとした時、図書委員らしき女子生徒がぱたぱたと足音を立てて駆け寄ってきた。
「あ、あの……! さっき、私、あの子たちに注意できなくて、本当にすみませんでした! でも、私、お二人のこと、心から応援していますっ!」
真っ赤な顔でそう告げると、恥ずかしそうに走り去っていく。
僕と礼央は顔を見合わせて、くすりと笑った。
「応援してくれる人もいるんだね」
「そうだな」
僕たちは自然に手を繋いで、図書館を後にした。
*
受験が終わり、高校生活も卒業式を残すのみとなった。元生徒会長の僕は、卒業式で答辞を読むことになっている。これが僕の生徒会長としての最後の務めだ。
生徒会室で答辞の原稿と向き合っていたが、なかなか筆が進まない。何度も書いては消しを繰り返し、ついに頭を抱えてしまった。
「随分煮詰まってるみたいだな」
後ろから声をかけられて振り返ると、礼央が扉のところに立っていた。僕は困った顔で振り返る。
「答辞がなかなか書けなくて……」
「どんな内容を考えてるの?」
「先生からは模範的な内容を、って言われてるんだけど……」
僕は再び原稿用紙と睨めっこを始めた。礼央が隣の席に座って、僕の書きかけの文章を覗き込んでくる。
「答辞か……。毎年似たような内容だよな。凪らしい答辞じゃダメなの?」
「僕らしい……」
僕は原稿の横に置いたメモ用紙に目を向けた。そこには参考にしようと思って書き出した、この三年間で僕が経験したことのキーワードがずらりと並んでいる。
生徒会長、家族との対立、本当の自分、そして――愛。
「自分で選ぶ未来……。そうだ、これだ!」
その瞬間、頭の中に答辞の内容が鮮明に浮かび上がった。そこからは、まるで堰を切ったように文章が溢れ出てきて、ペンが軽やかに原稿用紙を走っていく。
その様子を、礼央が頬杖をついて静かに見守っている。時折こちらを見つめる眼差しは太陽のように温かく、僕の心を励ましてくれた。
「いい顔してる。きっと素晴らしい答辞になるよ」
彼がぽつりと呟いた言葉が、僕の背中をそっと押してくれる。
何度も書き直しを重ね、ようやく原稿が完成したのは最終下校時刻になった頃だった。
「できた!」
僕は原稿を掲げて、達成感に満たされた笑顔を浮かべる。
「これが、僕の言葉だ」
満足げに微笑む僕を見て、礼央も嬉しそうに頷いた。
「卒業式が楽しみだな」
「うん。僕の本当の気持ちを、みんなに聞いてもらいたい」
その時、校内放送が響き渡った。
『最終下校時刻になりました。校内に残っている生徒は、速やかに下校してください』
僕は慌てて荷物を鞄に詰め込み、礼央と一緒に生徒会室を後にした。