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第10話 雨音

 街を離れてしばらくすると、雨が降ってきた。


「布張るぞ! お前も手伝え!」

「はい!」


 マナは船頭の指示に従い、船縁に支柱を立て、船員とともに雨除けの布を張る。身を屈めた客たちの合間を、布を持って走った。


「よし、いいぞ。あとは街に着いたら荷の積み下ろしと、掃除だ」

「了解です」


 雨除けを張り終えたマナは船尾へ行き、最後列のベンチに座る。その隣には、ユリアムがいた。


「お疲れ様。大変そうだね」

「自分の運賃分には、まだ足りなさそうです」

「払うのに」

「いつまでも頼れませんので」

「真面目だなあ」


 ユリアムが苦笑した。


「……でさ、マナの話の続きなんだけど」

「どこまで話しましたか」

「ミフリューシ? の魔法、まで」

「ああ」


 ミフ粒子。

 それは今から約十数年前、政府による魔法少女と魔法の公認後、魔法現象の研究中に見つかった。

 特定の人間……特に思春期女性の意思に強く反応し、超常的な現象を引き起こす未知の素粒子。自然界四つの力のどれにも属さない、心理と物理を繋ぐ五つ目の力。


 MindForgeマインドフォージ粒子、通称MiFミフ粒子。


 それこそが、魔法少女の力の根源だった。


「マナの魔法も、そのミフリューシの魔法なんでしょ?」

「そうです。魔法少女の魔法は、すべてミフ粒子に基づいています」


 自身が魔法少女である……というのは、別に隠したかったわけではない。説明が面倒だし、むしろ不信感を持たれかねないからだ。


 ユリアムとは、これからしばらく旅を共にする。そして隠すには色々と見せすぎた。何より本人の知りたくて仕方がない様子に、マナは一定の事情を打ち明けようと決めたのだった。

 現にユリアムの浅葱色の瞳は、無邪気な好奇心に輝いている。


「魔法少女って、大勢いるの?」

「ごく少数です。今は日本国内だけで数十人ですね」

「少なっ!」


 顔見知りの魔法少女たちを思い出す。無事だろうか?


「ええ、少ないです。だから魔法も体系化されてませんし、ユリさんのように多彩な魔法は使えません。得意なのは一人一種類で、あとは補助的な役割に留まります。個性や才能の影響が大きいんです」

「そうなんだ。私たちも、人によって得意不得意はあるけどねぇ……。マナはあの、道具を召喚する魔法?」

「はい、厳密には呼び寄せているわけではないです。もともとミフマテリアルで作られた道具をミフ粒子に分解保存して、任意で再構成してるんです。“収納と顕現”と呼んでいます」


 ユリアムが、降参するように両手を挙げた。


「はぁー! 待って、理解が追いつかない……! ミフマテリアルって何?」

「ミフ粒子で処理した物質の総称です。自分が顕現させる道具はすべてミフマテリアル製です」

「あ、もしかしてブーツの“魔法の素材”ってそういうこと?」

「……ああ、はい。そうです。魔法の素材です」


 あの老人に、ただのブーツを見せた時だ。あの時は誤魔化すための方便だった。それがこうして、ユリアムの理解の一助になるとは思わなかった。


 雨よけの布を、雨粒がバタバタと叩く。強くなったその音に船べりを見ると、飛沫がユリアムにかかっているのに気付いた。


「濡れますよ。自分がそっちに行きます」

「え、いいのに……」

「いえ、寄ってください」


 ユリアムと位置を入れ替えてベンチの外側に座り、ポンチョを顕現させて羽織った。ユリアムがまじまじとこちらを見る。


「はー、便利だねぇ。……あ、だから荷物がないのか」

「はい。ただ、水や食料は収納できないんです。ユリさんにごちそうになって、助かりました。食事をどうしようか、と思っていたので」

「え、そんな別に……」


 照れくさそうに悶えるユリ。感情が目まぐるしい。


「ところでさ。私、今ので気付いたよ!」

「何にですか?」

「マナの魔法。詠唱無しでどうやって使い分けてるのか気になってたけど、分かったの。舌を弾く音と手の動きでしょ! どう? 正解?」


 見抜かれたのには、少し驚いた。


「正解です。舌の鳴らし方とハンドサイン、それとイメージで使い分けてます」

「やった! でも魔法少女の魔法って、私達のとやり方全然違うんだね」

「そうでもないですよ。自分以外の魔法少女は、口上と所作で魔法を使います。だからむしろ、ユリさんの魔法に近いですよ。自分は特別な訓練で覚えた、独自のやり方なので」


 完璧に使い分けるため、訓練に打ち込んだ日々が脳裏をよぎった。

 ユリアムは納得したように頷く。


「そっか、マナは兵士なんだっけ。じゃあ他の魔法少女は兵士じゃないんだ」

「はい。自分だけです。正確には兵士ではなく、自衛隊と言います。“日本とその国民を守る”という役割の専門組織です」

「ふーん。ジエータイ、かぁ……。王都の護衛騎士隊みたいな感じかな?」

「分かりませんが、似ているかもしれません」

「でも国を守るって、なんかスゴいね!」


 会話しながら、統合幕僚長の激励を思い出す。その眼も。強い眼差しだったが、マナはそこに籠もる期待の奥に不安と、哀れみを見た。


 陸海空のどれでもない、たった一人の特別魔法自衛隊・三等特尉。言い訳のような肩書で、子供の自分を未知の世界に送り出す人たちは、ほとんどがそういう眼をしていた。それは、マナと関わる人間のほぼ全員だった。


 だからマナは、子供のように純粋なユリアムの眼差しがむず痒かった。ただその居心地は、存外悪くはなかった。


「……マナってさ、歳いくつ?」


 唐突な、別方向からの質問に一瞬戸惑う。。


「……16です」

「16! もっと下かと思ってた。あっごめんね。私18だけど、なんかマナの方が大人に見えるなあ」

「……そうでしょうか?」

「そういうところがそうだよ。いつも落ち着いてて、丁寧だし。人生経験が違うな、っていうか……」


 ユリアムが、少し肩を落とした。


「私も知識なら負けないとは思うんだけど、ニホンとか魔法少女のことは何も知らないし。あんな風に戦ったり、走ったり跳んだりもできないしね」

「ユリさんも優秀な魔法使いなんでしょう? それに自分も鍛えてはいますが、身体能力は魔法に頼っていますよ」

「えっ、そうなの? あ、もしかして空中で急にふわっとなったのも?」


 俯いていたユリアムが興味深げに顔を寄せる。やはり、目まぐるしい。


「はい。慣性……勢いを一瞬だけ弱める魔法です。自分一人ならどんな高所からでも安全に着地できます。二人だとそうはいきませんが」

「へー!」


 身体強化と防護、そして慣性制御は魔法少女の基本的な能力だ。

 とは言っても、マナの基本能力は最低にも満たないレベル。銃弾どころか投石も防げないし、空も飛べない。体内ミフ粒子のキャパシティは、その殆どを“収納と顕現”が占めているからだ。


「だからこの船に飛び移ったのも、危険ではありました。なるべく、こういう事態は避けるべきですね」

「そうだねえ。でも私は結構……なんていうかな、貴重な体験というか……。今思うと、ドキドキしてちょっと楽しかったよ。マナと一緒に、逃げるのとか」


 俯いたユリアムが、もじもじと指を弄んだ。


「たぶん今年一番の、思い出になりそう」

「ならいいんですが」

「うん。……あれ?」


 ユリアムが何かに気づいたように顔を上げた。


「マナさっき16歳って言ったよね?」

「はい」

「ニホンって、こっちと暦とか歳の数え方とか一緒なの?」

「ああ、それはたぶん翻訳の都合ですね」

「翻訳?」

「はい、自分は意思疎通魔法でユリさんと会話しているので、お互いの認知に沿って翻訳されているだけです。文字はそうはいかないんですが……どうしました?」


 ユリアムが、頭を抱えていた。


「ごめん、こっちの魔法と原理が違いすぎて、頭がいっぱいいっぱいで……。ちょっと休んでいい?」

「すいません、しゃべりすぎました」

「私が聞いたんだからいいよ。マナも街に着いたらお仕事でしょ? 休も」

「はい、そうします」


 マナは目を閉じた。雨音に耳をそばだてる。

 ぱたぱたと布を叩く音は、日本と何も変わらなかった。

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