目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第11話 船上の焼き魚

 緑の光点に、水中の影が重なる。瞬間、マナは銃の引き金を引いた。


 がしゅん!


 音の直後、川面に水飛沫が立つ。銛に繋がったワイヤーを引っ張り、船上に引き揚げたのは魚。白い腹に、黄土色の鱗を持つ淡水魚だ。40センチほどのそれはエラを貫かれてなお活きが良く、時折ビチビチと跳ねていた。


「すごーい!」


 見ていたユリアムが歓声を上げた。周りの見物人も拍手する。

 船頭も顎を撫でながら唸った。


「飛び乗ってきた時は迷惑な子供だと思ったが、仕事は速いし魚も獲れるし、大したもんだ。荷運びなんか、半日も持たないと思ってたんだがな!」

「料金分働いているだけです」

「もう十分過ぎらぁ」


 銃を置き、サバイバルナイフを手に取った。船縁で鱗を削ぎ、腹を割いて内蔵を掻き出す。


「ユリさん、お願いします」

「うん」


 船縁から、魚をぶら下げた手を川の方へ伸ばす。そこへユリアムが杖を向け、魔法を唱えた。杖先からホースのように水が放たれ、魚を洗った。


「学校で習った時は、水魔法をこんな使い方するとは思わなかったよ」

「臨機応変です」

「お〜いできたか!? こっち持って来い!」


 叫ぶ船頭の前では、鉄とレンガでできた箱の中で木炭が赤熱している。串に刺した魚を船上かまどの上で炙ると、すぐにじゅうじゅうと音を立て、香ばしい匂いを立ち昇らせる。見れば船のそこかしこで、船員や客たちが焼魚に舌鼓を打っていた。


 もう幾度目かスコープを覗きながら、マナは呟いた。


「自分も、魚獲りはともかく、大勢に振る舞うとは思ってませんでした」

「ふふ、魚は獲るつもりだったんだ?」

「自給自足を想定してましたから」 


 がしゅん!

 ……水飛沫は立たない。


「外しました」

「もう十分じゃない? あちっ! ふーっ、ふーっ……ほら、マナも食べなよ」


 ユリアムが焼き上がった魚を千切って口元に差し出してきた。

 断るのも悪いと思い、口に入れる。唇が、ユリアムの指に触れた。指がぴくんと跳ねる。


「あっ……」

「ふみまへ、んぐ……すみません」

「い、いいよ! そっ、それよりどう? おいしい?」


 考える。一言で言えば、淡白な味だった。少し泥臭さもある。しかし焼き立ての魚、という一点で、日本出身としては感慨深いものがあった。

 ただやはり、日本人としては……。


「……醤油が欲しくなりますね」

「ショーユ?」

「日本の調味料です。魚によく合います」

「へぇ~! ……ニホン、かぁ。マナの故郷、いつか行ってみたいなあ!」


 マナは聞こえないふりをして、再びスコープを覗いた。

 夢は、夢のままにしておいてあげたいと思ったのだ。



「マナ、もういいぞ。明日の朝には、お前たちの降りる街だ。しっかり体を休めとけ」

「……分かりました。おやすみなさい」

「おう、おやすみ」


 船頭に挨拶すると、マナは足音を忍ばせて船尾へと向かった。客のほとんどはマントや毛布にくるまり、肌寒い夜の冷気に抗いつつ寝ている。それはユリアムも同様だった。フードの中で、月光を孕んだ金髪が仄かにきらめく。


「うぅ〜ん……」


 足元でユリアムが呻いて、マナは一瞬動きを止めた。起こしたわけではなさそうだ。

 ユリアムの横に座り、顕現した毛布にくるまる。見上げれば、満天の星空。川面には反射した二つの月。航跡に揺らめく星々は、どれ一つとして知らない。


 もうすぐだ、と思った。もうすぐ、この数年間が試される時が来る。だから今は、体を休めよう。


「ん、うぅ……」


 ユリアムが身動みじろぎして、マントの中で縮こまった。

 マナは少し考えてから、毛布を取ってユリアムにかけた。代わりにポンチョを羽織り、目を閉じる。


 船底が川を滑る水音。川岸の木々のざわめき。遠く渦巻く風の残響。それらもやがて、眠りの彼方に聞こえなくなった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?