三つ首竜門をくぐり広間の中へ、マナはゆっくりと歩みを進めた。
両側には、剣と槍を持った騎士が等間隔で列をなす。幻油灯が影もできないほど足元を照らし、高い天井に反響した足音が、自分の存在をいやに意識させる。
広間の奥、一段高い所には玉座。周囲に侍従や騎士、大臣らしき人々を並べたそこに、この国の王が鎮座していた。
年の頃は三十代半ばといったところだろうか。王冠を被った頭には短めのブラウンの髪。整えられた髪型と、綺麗に髭の剃られた顔は若々しさを感じさせる。
服装は王族らしいきらびやかな装飾の服に、金糸が織り込まれた美しい外衣。だが王冠を含め、過度に豪奢なものはない。若々しくも威厳ある雰囲気を損ねない、上品な出で立ちだった。金遣いの荒かったという先代とは違い、質素な気質なのかもしれない。
広間の中央に立ったマナは背筋を伸ばし、踵を合わせる。まずはこちらの挨拶だ。伸ばした右手をさっと額に当てる。自衛隊式の敬礼だ。
「自分はここより遥か遠く、日本から参りました、藤沢マナと申します! 本日は陛下に謁見できる栄誉を賜り、恐悦至極に存じます!」
残響が消えたのと同じ頃に、敬礼を解いた。ユリアムの視線を感じる。正面では大臣たちが顔を見合わせ、何やらひそひそと小声で言葉をかわしていた。借りた衣装で、異国の子どもが奇妙な挨拶をしたからだろう。あまり、いい印象ではない。
一方、王は微笑みながら小さく頷くだけ。感触は悪くない。その視線が、少しだけ横にずれる。隣から、息を吸う音が聞こえた。
「わわ、私はま、魔法ちゅか、魔法使いのっ……! ユ、ユリアム・セゴリンと申し上げます! 王さ……へ、陛下にお会いできて、あっ、さ、させて頂き、その……あ、ありがとうございます!」
頭を下げたユリアムの耳が、沐浴の時のように真っ赤になっていた。王が口元に手を当てて肩を揺らし、大臣たちも息を漏らす。
マナは心の中で、ユリアムに感謝した。張り詰めた空気が、一気に和らいでいた。
場が落ち着くのを待って、王が立ち上がる。
「特使マナ殿、遠路はるばるよく来てくれた。ユリアム、そなたも特使殿の付き添い、大儀であった。私がこのベルガ王国国王、ベルガモール・ロアリー・ラフェリアスだ」
威厳ある声が広間に響いた。挨拶を終えた王は玉座に腰を下ろす。
「私は堅苦しいのは嫌いでな。まあ、先程の挨拶で堅苦しさは無くなったが、特使殿も少し肩の力を抜かれてはどうかな?」
「ありがとうございます」
マナは直立不動の姿勢から少し力を抜いた。ユリアムは、ますます恥ずかしそうに俯いている。
「さて、特使殿。単刀直入に聞きたい。……我が国に何をしに来たのだ?」
まずは正面からの一手。真っ向から応じるのが礼儀だ。
「怪獣出現の原因を探し、日本とその国民を守るために来ました」
「カイ、ジュウ……?」
再び王の視線を受けたマナは、疑問に答える。
「怪獣とはここ数年、日本を襲っている巨大な生き物たちのことです。陛下もご存知のはずです。山あいの街を滅ぼし、瘴気を撒き散らした巨大な生き物を」
「……ベノゼラか」
王の視線を、マナは受け止める。
「はい。あれも、間違いなく怪獣です」
大臣達がざわめく。
王が顎を撫でた。
「ふむ、我が国もあやつには困り果てていたところだ。なるほど、怪獣か。時に、特使殿は消えたベノゼラの行方を知っていると聞いているが?」
「はい」
そこでマナは言葉を区切り、はっきりと言った。
「ベノゼラは、自分が倒しました」
「!」
ざわめきが広間に反響する中、王も玉座から身を乗り出した。
「倒したと!? あの、ベノゼラを!? 特使殿が? 一人で?」
「はい」
「証拠は? 死体はどうした?」
「ありません。怪獣は死ぬと、塵になって消えてしまうのです。ベノゼラの死によって、瘴気も消えました」
「……」
王の表情は、判断に迷っている。材料に乏しいのだから当然だろう。ベノゼラが突如姿を消し、マナが現れた。事実としてはそれだけなのだ。
王が、思案の間を埋めるように口を開いた。
「……ヤツを討伐しようと、何人もの騎士や魔法使い、傭兵を送り込んだ。だが、誰も帰ってこなかった。だから民にヤツの存在を隠し、あの街を封鎖したのだ。いつ他の街を襲うか、戦々恐々としながらもな」
「そうでしたか。国のため、命を散らせた方々にお悔やみを申し上げます」
マナの弔意に、王は片手を上げた。
「気遣い、感謝する。本当にヤツが死んだのならば、命を落とした者たちも多少は浮かばれよう。私も一つ、肩の荷が下りた」
王が言葉を切った。
「だが納得はできない。失礼を承知で言うが、特使殿に、あの巨大なベノゼラと渡り合う力があるとは到底思えぬ。どうやって倒したのだ?」
「今は、言えません」
なんと無礼な、という呟きが玉座の後ろから聞こえてきた。
王は王で、顔をしかめる。
「今は?」
「はい。
「……ふむ」
王は、それ以上聞いてこなかった。慎重かつ思慮深い性格……とマナは判断する。
おもむろに、王はマナから視線をずらした。
「ユリアム」
「ひゃいっ!?」
「ふふ、そう緊張するでない。お前も、我が国の大切な民の一人なのだ。ましてや、七つ星の魔法使いともなれば貴重な人材。取って食ったりはせんよ」
「あっ、そのっ、あ、ありがとごじゃます……」
ユリアムから情報を引き出すつもりだろう。それは想定通りだった。
「お前は、特使殿がベノゼラと戦い、倒す所を見たのか?」
「い、いえ、見てないです」
「そうか。では特使殿の言うことは、本当だと思うか?」
「はい」
ユリアムの即答に、マナはゆっくり息を吐く。王が身を乗り出した。
「ほう、なぜそう思う? お前は道案内を頼まれただけだろう? 特使殿は信頼できるのか?」
「マナは……」
分岐点だ。
ユリアムが何を言うか。
マギラか、魔法少女の力か、それとも……。
「マナは、すごくいい子だから……です」
思わず、横を向きそうになった。王や大臣たちは、キツネに摘まれたような顔をしている。
「いい子、とな?」
「はい。マナは私を何度も助けてくれました。見返りが無くても、自分の身が危なくても。それはたぶん、マナが優しい、いい子だから……と思うんです」
「だとして、なぜベノゼラを倒したと信用できる?」
「本当に倒していて、安全だと分かっていないと、わざわざ私を連れてあの街を通らない、と思うので」
「……なるほど、な。どうやって倒したのかは分からない、のか?」
「う……」
ユリアムの視線を感じるが、マナは正面から顔を逸らさなかった。王の、貫くような眼差しから。
搾り出すようなユリアムの声を、ただ聞く。
「み、見てないので……」
「……そうか」
王は、それ以上問い詰めなかった。代わりにマナを見ながら、ほんの少し頷いた。
マナは、一瞬目を伏せてそれに応えた。
上々だ。
ユリアムはマナを信じてくれた。マナは、ユリアムが何を言っても問題ないという態度を王に示した。
それは、お互いの信頼関係だ。王も、ユリアムを問い詰めないことでそれを認めた。マナの期待通りに。
今必要なのはベノゼラ討伐の証拠ではなく、
そしてマナは確信した。ラフェリアス王は、確かに名君だと。
「分かった。七つ星の魔法使いが信ずるのなら、私も特使殿を信じよう」
大臣たちがざわついた。
「王!」
「聞いたこともない国の、それもこんな小娘の戯言を信じるのですか!?」
苦言にも、王は余裕の態度を崩さない。
「事実として、ベノゼラは瘴気もろとも消えたのだ。そして今直接話して、私が信じるに足ると判断した。それで良いではないか。それとも、何か他の原因に心当たりでも?」
残響が消える。
沈黙は同意、と王はマナに向き直った。
「特使どの、ベノゼラは我が臣民の仇でもあった。改めて、感謝しよう」
王の言葉に、マナは礼を返した。
「良かったね、マナ」
同じく腰を折ったユリアムの小声に、下に向けた顔が思わず緩んだ。