「先に入りますね」
「う、うん……」
マナは衣服を“収納”して消し、備え付けの湯衣を着て浴室に入った。
来賓用沐浴室は、手前の壁沿いが個別に仕切られた脱衣場、その奥の広い空間が浴室だ。
床も壁も、そして浴槽も白く滑らかな石造りだ。
大理石だろうか。
銀製の湯桶で体を流し、中央の大きな浴槽に入る。異世界に来て以来の風呂だ。
「ふぅ……」
謁見前の沐浴ではあるものの、マナは湯の心地よさに身を委ねた。
「ど、どう? 行っても大丈夫?」
ユリアムが、脱衣場の仕切りから顔だけ覗かせていた。
「ええ、大丈夫です。気持ちいいですよ」
「じゃあ、行くね……」
ぺたぺたという足音に続いて、湯桶の水音。そして隣に、白い足が差し出された。
じゃぶん、とユリアムはすぐに肩まで浸かった。
整った横顔は、金髪をアップにしているせいか普段の印象とはまた違って見える。
その頬と耳たぶはもう赤かった。浅葱色の瞳が、きょろきょろと落ち着かない様子だ。
「す、すごいお風呂だね! ここも前の王様が作ったのかな」
「そうかも知れませんね。日本には温泉がたくさんあるんですが、こんなに豪華な浴室は見たことがありません」
マナは天井を見上げた。アーチ状の天井は、蒸気を逃がすためもあるだろうが、かなり高い。天窓のステンドグラスから差し込む光が、湯船に反射して鮮やかだ。
「マナは温泉、よく行ってたの?」
「師匠に連れられて、たまに」
「師匠?」
「魔法少女や、自衛官としての先生です」
「ああ、先生か〜。マナの先生って、どんな人か気になるなあ」
猫耳の生えた、小さな師の姿を思い出す。あの姿は、説明が難しい。
「……とても、強い人です」
「そりゃマナの先生だもんね」
「はい。魔法少女としてだけでなく、意志も強い人でした。それと……」
仕方なくとはいえ、という言葉は飲み込んだ。
「家族のいない自分を引き取ってくれた、恩人でもあります」
「あっ……。そ、そう、なんだ」
トーンダウンしたユリアムの声に、飲み込むべき言葉を間違えたことに気づく。言い繕う前に、ユリアムが話題を変えた。
「み、見てあの壁。これ建国の歴史だよ」
壁のレリーフには、何らかの戦の様子が描かれていた。
「ほら、前教えたでしょ? ベルガモール一世の話」
「ああ、はい。周辺諸国をまとめ上げて、ベルガ王国を打ち立てた英雄……でしたっけ」
「そうそう。これはその時の、一番有名な戦いの様子だね。ほら、あの剣を掲げてるのが王様」
レリーフの中央で、一際目立つ人物だ。
と、ばしゃり、という音。横を見れば、ユリアムが両手を頬に当てて首を振っている。
「うわぁ、緊張してきた! この英雄の孫に今から会うんだよ? ベルガモール三世! 王様だよ? 何話したらいいの? もっと考えとけば良かった! 失礼があったらどうしよう……。まさか処刑とか……?」
「優しい方、なんですよね?」
王都への道中で、当のユリアムから聞いた話だ。現国王、ベルガモール・ロアリー・ラフェリアスは民衆に慕われる名君だと。
「そうだけどさぁ〜。怖いよ〜」
「自分が話すので、大丈夫ですよ」
「う〜ん……そうだとしても、念入りに清めとこう……!」
ざばり、とユリアムが立ち上がる。張り付いた湯衣から湯が滴り、滑らかな肌を透明な筋となって伝い落ちるのが見えた。
■
使いの男性が、沐浴室の外で待っていた。
「男性用で良かったのですか?」
「こういうものの方が着慣れています。問題ありませんか?」
「ええ、よくお似合いですよ」
侍女が着付けてくれた、謁見用の服のことだ。
白い長袖シャツの上に、ベルベットのような質感の紺のジャケット。袖と襟に金糸の刺繍が施されている。下は白いタイツに、七分丈のかぼちゃパンツのようなズボンだ。赤いサッシュも相まって、さながら王子様といった趣である。
だが迷彩服よりは特使らしいだろう、とマナは思った。
「ねえ、こ、これ大丈夫かな?」
ローブの裾をふわりとなびかせてやって来たのは、ユリアムだ。
パステルグリーンのローブを深紅の幅広帯で締め、首元で留めた青緑のケープを羽織っている。前合わせの襟元は鎖骨の下まで見えていて、ユリアムはそれを恥ずかしがっているようだった。
だがマナからすれば、すらりとしたユリアムの体型をハイウェストで際立たせたその着こなしは……。
「すごく綺麗ですよ」
「えっ!? そう? マ、マナがそういうなら……」
素直な感想を述べただけだが、やはり恥ずかしいのか、頬を染めたユリアムが顔を逸らした。梳かした金髪が、耳元からさらさらと流れる。もじもじしながらも、ユリアムはこちらを見て言った。
「マナも、か、カッコいいよ」
「そうですか? ありがとうございます」
「えへへ……」
照れながら横に来たユリアムから、ふわりと香水が香った。
「お二人ともよろしいですか? 失礼ですが、最後にこちらを着けていただきます。謁見後に外しますので」
男性がマナとユリアムの手首に、銀色の腕輪を嵌めた。
ユリアムが、その表面をそっと撫でる。
「これ、魔法封じの腕輪だ……」
「陛下の身の安全の為ですので」
「……」
ミフ粒子の魔法は問題なく使えるが、マナは黙っていた。
「では謁見の間にご案内します。こちらへどうぞ」
■
男性に伴った先には、暗青色の巨大な門があった。白を基調として落ち着いた造りの城内においては、異質な雰囲気だ。
「ここでしばらくお待ち下さい」
そう言って、男性はどこかへ去った。
「準備してるのかな。……ひぇっ!?」
何気なく門の上を見たユリアムが、悲鳴を上げてマナの方へと身を寄せた。
見上げれば、こちらを睨む三匹の大蛇の視線。だがよく見ればそれは蛇ではなく、門の上の像から伸びた首だった。三本首の竜が大きく翼を広げ、門前に立つものを睥睨している。
「こ、これ三つ首竜門だったのね……」
「三つ首竜門?」
「有名だよ。前の王様肝いりで作った、超豪華な門、って。私も実物は初めて見た。は〜、やっぱり迫力が違うね」
ユリアムが門を見上げて唸った。
「この門全体が、千年竜鋼っていう珍しい金属で作られてるの。武具の素材としても最高級品なんだよ。それを門にしちゃうんだから、スゴいよね。しかも見て、あの精巧さ!」
「確かに……」
暗青色の竜は鱗の一枚、角の一本まで作り込まれていて、どれほどの手間を掛けて作ったのか想像もつかない。三つの首の目には、赤、青、緑の宝石まで埋め込まれている。
「あの首が、門の前に立つ者の力と、知恵と、心を見定めるんだってさ」
「……なるほど」
マナは感心した。
沐浴、着付け、そしてこの門。
謁見前から王の権威で染め上げ、威圧し、雰囲気に呑み込む手順になっている。一代で作り上げた王国ならば、外敵も多かったはず。会う前から心理的有利を取るノウハウが、確立されているのだ。
そこへ、見計らったように男性が戻ってきた。
「お待たせしました。王の準備が整いました」
ごぉん。
重々しい音と共に、三つ首竜門が謁見の間への道を開いた。