昨日までは寒くてコートまで着ていたのに、今日はやけに暖かい。まるで春だ。
テレビのニュースでも異例の暖かさだと報道していて、温暖化や環境のせいだとコメンテーター達が騒いでいた。
けれどそんな事よりもずっと深刻な何かは今も進んでいて、しかもそれを誰も認知していない。
やがてテレビから神社、仏閣のバラエティ番組が消えてしまった。
最初は最近あんまりああいう番組って無いんだな、ぐらいの認識だった。
とにかく仏閣系の番組が好きだった母親にはさぞかし寂しいだろう、と。
けれどあまりにも不自然に同じ系列の番組が無くなったので不思議に思って色々と動画を探してみたけれど、どうやら神にまつわる物が全て、消えてしまっている。
「なぁおかん……神様ってさ、おると思う?」
胸がざわめく。背筋がじりじりとする。そんな感情を押し殺し、テレビを見て馬鹿笑いしている母親にそんな事を尋ねると、母親は一瞬こちらを見て笑った。
「何やのん。そんな悲壮な顔して。何かのキャラクターの話? 流行ってんの? その神さまとか言うのが」
「……知らん? 聞いた事ないん?」
「無いなぁ。何か昔の偉い人?」
「いや……もうええわ」
覚は確信した。祠を壊した事で世界から神が消えたのだ。
神の存在が無いという事は、祈りが無いという事。祈りが無いと言う事は救いが無いと言う事。
人々は少しずつ祈りと救いの無い、神のない世界で狂い始めていく。
殺人を犯しても咎める者が居なくなった。何故なら死という概念すら消えてしまったからだ。それに死者は消えはしない。ただ『在る』という存在になるだけだ。
神が消えた事で世界から沢山の戦争の記録が歴史から消えた。宗教も何も無くなった為、それにまつわる事柄が無かった事になってしまったのだ。
人間は古来から太陽だったり月だったり星だったり、山だったり川だったりを神になぞらえて崇め、祈り、夢見て、希望を抱き、長い年月をかけてありとあらゆる困難に立ち向かってここまで歩んできた。
その全てが取り払われた今、あるはずだった歴史も文明もその殆どが姿を変えていく。
混沌とする世界に今度はそこら中に異形の者達が現れ始めた。
ある日の塾からの帰り道、風の唸りが後ろから聞こえてきたと思ったら、突風が覚を追い越し、そこから何かボソボソとした声が聞こえてきたのだ。
「君が壊したから、戻れない」
声と呼ぶにはあまりにも不安定な、音だけで出来た集合体に、覚は耳を塞いでその場から逃げ去るように風の中を駆け抜けた。
纏わりつくような不快感と、自分だけが覚えている数々の言葉、行事、出来事、神話、歴史、戦争。全ての事はもう覚の記憶の中にしか無い。
そしてとうとう異形の者達が姿を持って村を闊歩し始めた頃、彼らは何食わぬ顔ですれ違った人をまるでポテチでも食べるかのように摘んで食べながら、ごく自然に笑いながら去っていく。
それを見た時、風の中で聞いた音がとうとう形になったのだと、覚は悟った。
祠が消えた事で死後の世界と現世の世界、そして異形の世界の境界が曖昧になってしまったのだと気付いた時には、もう何もかもが手遅れだった。
歴史が変わった事で全ての常識がその姿をガラリと変える。
カレンダーの数字はもう1から順に並んでなど居ない。めちゃくちゃだ。そもそも数字という概念も壊れてしまったのかもしれない。
24時間で区切られていた時間も今はその日によって長かったり短かったりしている。
けれどそれに誰も気づかない。毎日がこうも目まぐるしく変化しているのに、全ての事はまるで元からこうだったとでも言わんばかりの態度だ。
一つの概念が壊れると、後はもう堰を切ったかのように壊れ始める。全ての生き物の中で統一されていた、太陽や月でさえ例外ではない。
いつしか日差しはあるべき法則を無視して歪み始め、月は顔を出さない日もあった。時計はとうとう正しい時間を表示しなくなり、でたらめに回りだす。だから皆はそれが何の為にある物なのかが分からなくなってしまっていた。
ゆっくりと、けれど確実に広がる異変について、覚だけがその全ての全容を認知していた。