その後の数日間――
御門宗一は本当に病院に通い続けた。
毎日決まった時間に姿を現し、胃にやさしいお粥を差し出し、包帯を丁寧に替え、
夜中に痛みで朱音が目を覚ませば、何も言わず、その手を握ってくれることさえあった。
もしこれが昔の羽瀬川朱音だったら、
どれほど喜んでいたことだろうか……。
けれど今、彼女の胸の内はただの空洞。
――そっか。六年も愛した人を手放すのは、意外と簡単なんだ。
*
退院の日。
朱音が駐車場へ向かうと、宗一の車の助手席に座る少女が目に入った。
……御門梨花。
彼女は、朱音に気づくなり、あからさまに嫌悪の色を浮かべて睨んだ。
宗一が眉を寄せて注意する。
「梨花……前に話したこと、もう忘れたのか?」
すると梨花は、唇を噛みながら目を潤ませ、不機嫌そうにぽつりと言った。
「……ごめんなさい、朱音さん。あの時は、本当に……飲みすぎちゃって……。
お兄ちゃんが結婚してから、全然会ってくれなくなったし……
ずっと、朱音さんばかりで……それでちょっと、感情的になっちゃったの……」
宗一は、無言で朱音に視線を向けた。
「梨花、しばらくうちで過ごしたいそうだ。……これを機に、仲良くしてくれ」
*
帰りの車中――
梨花と宗一は前列。
朱音は後部座席で、窓の外を眺めていた。
ただ、視界の端に、ずっと宗一の横顔が映っていた。
あの“無欲”と評された顔が……ときおり、梨花の方へと向けられる。
スマホをいじっていた梨花が、ふいに笑い声を漏らした。
「ねぇ、お兄ちゃん。さっきこの人と連絡先交換しちゃった。見て、イケメンじゃない?」
宗一の手が、ハンドルの上でぴくりと反応した。
「……消せ」
「なんでぇ?」
梨花はむくれて唇を尖らせる。
「私もう二十歳超えてるんだよ? 恋愛くらい自由でしょ?」
「いいから、消せ」
その声は低く、明確な怒気が込められていた。
梨花は渋々スマホの画面を操作しながら、ぶつぶつと文句をこぼす。
「もー、彼氏より厳しいじゃん……」
宗一はそれ以上言葉を返さなかった。
だが、朱音の目には見えていた――彼の表情が、明らかに強張っていた。
……それは、嫉妬の色だった。
*
家に着くと、羽瀬川朱音は食事も摂らず、自室へ引きこもった。
ドア越しに聞こえる、食器の音。
梨花の楽しげな笑い声。
テレビから流れる、恋愛ドラマの甘ったるいBGM。
――それは、朱音が宗一と結婚して二年間、一度も味わえなかった「家庭の音」だった。
布団に潜り込みながら、朱音の心臓はぎゅう、と締め付けられるように痛んだ。
どれくらいの時間が経ったんだろう。
外の音が落ち着き、ようやく静けさが戻ってきた頃、
喉の渇きを感じ、朱音は水を取りに部屋を出た。
――が。
ドアを開けた瞬間。
目の前に広がった光景に、身体が凍りついた。
月明かりの差し込むリビング。
その光の中に、御門宗一がいた。
彼はソファの前にひざまずき、眠る梨花を、ただ見つめていた。
まるで、神を崇める信徒……
いや。
神に恋をしてしまった人間のような顔だった。
梨花が寝返りを打ち、半ば無意識のまま彼の首に腕を回した。
「……お兄ちゃん、梨花のことを嫌いにならないで……梨花には、もうお兄ちゃんしかいないの……」
甘えるように、彼の首を引き寄せた。
そして――
彼女の唇が、彼の唇に、そっと触れた。
宗一の瞳が見開かれ、呼吸が乱れる。
そして――
それまで張り詰めていた理性の糸が、ぷつりと切れた。
彼はもう、抗うことすらやめた。
その唇を――
貪るように、深く、激しく、重ねた。