乱れた髪、埃にまみれたスーツ、額には血の滲む擦り傷――
御門宗一が倉庫に姿を現したとき、そのあまりに人間くさい姿を見て、羽瀬川朱音は思った。
こんな彼を見たのは、初めてかもしれない。
どうやら彼は、事故から目覚めた後すぐに2人の失踪に気づき、全力で捜索を開始したらしい。
ようやくたどり着いたこの倉庫で、彼の目に飛び込んできたのは――
胸に爆弾を巻かれた、二人の女。
タイマーの残りは、あと1分。
解除できるのは、一人分が限界だった。
宗一は一瞬の迷いもなく――
梨花のもとへ、まっすぐ駆け寄った。
「朱音、少しだけ待ってろ。梨花を外に出したら、すぐ戻る」
手早く爆弾に取りかかるその動きは焦りをはらみながらも、迷いのないものだった。
朱音は、その背中を見つめながら、笑った。
不思議と、心は痛くなかった。
――もう、愛してなんかいないからのかもしれない。
梨花の爆弾が外された時、残された時間は20秒。
「お兄ちゃん、早く…! もう時間ないよ! 一緒に逃げよう、お願いっ……!」
梨花が泣き叫びながら、彼の腕を掴んで離さなかった。
だが、宗一は初めて彼女を突き放した。
「――先に行け」
そう言って、彼は朱音のもとへ駆け寄る。
縄をほどき、爆弾の解除に取りかかろうとする――が。
「いいから、行って」
朱音はその手をはねのけ、平然とした表情で言い放った。
「御門宗一、あの子を連れて行きなさい。
それから、はっきり覚えておいて。
これから先、私が生きようが死のうが、あんたには一切関係ない。
私、羽瀬川朱音は――あんたに愛されなくても、私を愛してくれる人は他にいくらでもいる!」
宗一は、その場で動けなくなった。
一方、梨花は泣き崩れながら叫び続ける。
「お兄ちゃん!! 早く――!! お兄ちゃんが行かないなら、私も一緒に死ぬ!!」
刻々と減っていくカウント。
――このままでは、三人とも巻き込まれる。
宗一はついに梨花を抱きかかえると、倉庫の外へと走り去った。
倉庫に取り残された朱音は、手を素早く動かしている。
ハワイで学んだ爆発物処理の知識を、必死に思い出しながら。
……カチッ
タイマー、残り1秒。
ワイヤーを――抜いた。
爆発は、起こらなかった。
――だが。
奥に仕掛けられていた別の爆弾が、遅れて爆発した。
爆風に吹き飛ばされる直前、彼女は一瞬だけ――
戻ってきた宗一の姿を見たような気がした。
*
病院。
目を覚ました朱音は、腕に焼けつくような痛みを感じた。
横を見ると、御門宗一が椅子に座っていた。
彼女が目覚めたのに気づくと、彼はすぐに口を開いた。
「……動くな。今、梨花への皮膚移植が終わったばかりなんだ」
「……は?」
何を言われているのか、一瞬わからなかった。
宗一は視線を落とし、淡々と続けた。
「梨花の腕が火傷でひどく損傷していた。
跡を残したくないと言うから……君の皮膚を、一部使わせてもらった」
「…………っ!!」
声が震えた。怒りと、呆れと、喪失と。
「……御門、宗一。あんた、自分にそんなことする権利があるとでも思ってたの?」
宗一は目を伏せたまま、静かに言った。
「補償はする。……君、ずっとデートしたいって言ってたよね。退院したら、予定を作る」
「……誰がそんなのっ――!!」
怒鳴りざま、朱音は腕の点滴を乱暴に引き抜いた。
針が外れ、血がつっと腕を伝って流れる。
宗一は目を見開いたまま、言葉を失っていた。
朱音は、涙をにじませながら叫んだ。
「あの子があんたの月で、私は何!? 踏みにじられて、当たり前の存在?
私があんたを好きだったこと、わかってたから……!
私の気持ちを盾にして、ずっと、ずっと、自分の都合だけで動いてきただけじゃないっ!!」
言葉にならない感情が、喉の奥でせき止められる。
宗一は言葉を失ったまま、動けなかった――
ふと、彼女が倉庫で言い放った一言が胸に甦る。
『あんたに愛されなくても、私を愛してくれる人は他にいくらでもいる』
何かを言おうと口を開いたそのとき――スマホが鳴った。
電話の相手は、執事だった。
「宗一様、梨花様が欲しがっていた、ダイアナ王妃のネックレス、明日フランスでオークションです。ご出席なさいますか?」
宗一は、しばらく黙った後に答えた。
「……ああ」
電話を切ると、ベッドの彼女を見下ろして言った。
「しばらく海外に行く。……土産は買ってくるよ。デートの件も、ちゃんと守朱音ら」
そして病室の扉を開け、そのまま出ていった。
扉が静かに閉まった瞬間――
羽瀬川朱音は、ベッドの上で、ゆっくりと身体を丸めた。
そして、誰にも見られないように、
声を殺して、泣いた。