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第8話

乱れた髪、埃にまみれたスーツ、額には血の滲む擦り傷――

御門宗一が倉庫に姿を現したとき、そのあまりに人間くさい姿を見て、羽瀬川朱音は思った。


こんな彼を見たのは、初めてかもしれない。


どうやら彼は、事故から目覚めた後すぐに2人の失踪に気づき、全力で捜索を開始したらしい。


ようやくたどり着いたこの倉庫で、彼の目に飛び込んできたのは――

胸に爆弾を巻かれた、二人の女。


タイマーの残りは、あと1分。

解除できるのは、一人分が限界だった。


宗一は一瞬の迷いもなく――

梨花のもとへ、まっすぐ駆け寄った。


「朱音、少しだけ待ってろ。梨花を外に出したら、すぐ戻る」

手早く爆弾に取りかかるその動きは焦りをはらみながらも、迷いのないものだった。


朱音は、その背中を見つめながら、笑った。

不思議と、心は痛くなかった。


――もう、愛してなんかいないからのかもしれない。


梨花の爆弾が外された時、残された時間は20秒。

「お兄ちゃん、早く…! もう時間ないよ! 一緒に逃げよう、お願いっ……!」


梨花が泣き叫びながら、彼の腕を掴んで離さなかった。

だが、宗一は初めて彼女を突き放した。


「――先に行け」


そう言って、彼は朱音のもとへ駆け寄る。

縄をほどき、爆弾の解除に取りかかろうとする――が。


「いいから、行って」

朱音はその手をはねのけ、平然とした表情で言い放った。


「御門宗一、あの子を連れて行きなさい。

 それから、はっきり覚えておいて。

 これから先、私が生きようが死のうが、あんたには一切関係ない。

 私、羽瀬川朱音は――あんたに愛されなくても、私を愛してくれる人は他にいくらでもいる!」


宗一は、その場で動けなくなった。


一方、梨花は泣き崩れながら叫び続ける。

「お兄ちゃん!! 早く――!! お兄ちゃんが行かないなら、私も一緒に死ぬ!!」


刻々と減っていくカウント。

――このままでは、三人とも巻き込まれる。


宗一はついに梨花を抱きかかえると、倉庫の外へと走り去った。

倉庫に取り残された朱音は、手を素早く動かしている。

ハワイで学んだ爆発物処理の知識を、必死に思い出しながら。


……カチッ


タイマー、残り1秒。

ワイヤーを――抜いた。

爆発は、起こらなかった。


――だが。

奥に仕掛けられていた別の爆弾が、遅れて爆発した。


爆風に吹き飛ばされる直前、彼女は一瞬だけ――

戻ってきた宗一の姿を見たような気がした。



病院。


目を覚ました朱音は、腕に焼けつくような痛みを感じた。

横を見ると、御門宗一が椅子に座っていた。


彼女が目覚めたのに気づくと、彼はすぐに口を開いた。

「……動くな。今、梨花への皮膚移植が終わったばかりなんだ」

「……は?」


何を言われているのか、一瞬わからなかった。


宗一は視線を落とし、淡々と続けた。

「梨花の腕が火傷でひどく損傷していた。

 跡を残したくないと言うから……君の皮膚を、一部使わせてもらった」

「…………っ!!」


声が震えた。怒りと、呆れと、喪失と。

「……御門、宗一。あんた、自分にそんなことする権利があるとでも思ってたの?」


宗一は目を伏せたまま、静かに言った。

「補償はする。……君、ずっとデートしたいって言ってたよね。退院したら、予定を作る」

「……誰がそんなのっ――!!」


怒鳴りざま、朱音は腕の点滴を乱暴に引き抜いた。

針が外れ、血がつっと腕を伝って流れる。


宗一は目を見開いたまま、言葉を失っていた。


朱音は、涙をにじませながら叫んだ。

「あの子があんたの月で、私は何!? 踏みにじられて、当たり前の存在?

 私があんたを好きだったこと、わかってたから……! 

 私の気持ちを盾にして、ずっと、ずっと、自分の都合だけで動いてきただけじゃないっ!!」


言葉にならない感情が、喉の奥でせき止められる。


宗一は言葉を失ったまま、動けなかった――

ふと、彼女が倉庫で言い放った一言が胸に甦る。


『あんたに愛されなくても、私を愛してくれる人は他にいくらでもいる』


何かを言おうと口を開いたそのとき――スマホが鳴った。


電話の相手は、執事だった。

「宗一様、梨花様が欲しがっていた、ダイアナ王妃のネックレス、明日フランスでオークションです。ご出席なさいますか?」


宗一は、しばらく黙った後に答えた。

「……ああ」


電話を切ると、ベッドの彼女を見下ろして言った。

「しばらく海外に行く。……土産は買ってくるよ。デートの件も、ちゃんと守朱音ら」


そして病室の扉を開け、そのまま出ていった。


扉が静かに閉まった瞬間――

羽瀬川朱音は、ベッドの上で、ゆっくりと身体を丸めた。


そして、誰にも見られないように、

声を殺して、泣いた。


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