その後の数日間、梨花はまるで磁石のように宗一に張り付いていた。
「お兄ちゃん、あのお店のバッグかわいい〜! ほら、一番高いやつ!」
甘えるように指をさすと、宗一は無言でカードを差し出し、店員に購入を命じた。
「インスタで見た新しいレストラン、行きたい〜!」
予約困難で長蛇の列ができていても、宗一は何も言わず、二時間の待ち時間に付き合った。
「急に行きたくなっちゃった、遊園地」
その一言で、宗一は予定していた会議をすべてキャンセルし、メリーゴーランドに彼女と並んで乗った。
梨花はまるで、恋人に甘やかされる少女のように振る舞い、宗一はそれを否応なく受け入れた。
「月がほしい」と言えば、彼はプラネタリウムを買い取ってでも差し出すだろう。
――けれど、
彼の瞳は、どの瞬間も笑ってはいなかった。
*
ある日、ふたりは有名なカップル向けのレストランに足を運んだ。
宗一は途中で電話のために席を外した。
梨花はデザートを平らげ、そろそろ出ようかと席を立ったそのとき――
偶然にも昔の同級生とばったり出くわす。
「梨花!? えっ、超偶然!」
声をかけてきた彼女は、後ろをちらちら見ながら尋ねた。
「……で、さっき隣にいた人、もしかして……彼氏? めっちゃイケメンだったんだけど!」
梨花は顎を上げ、誇らしげに言った。
「うちのお兄ちゃん」
「えっ!? 兄だったの? やだ〜! 完全に彼氏かと思った!」
同級生は声をひそめ、驚きを隠せない様子で言った。
「え〜でもさ、ずっと横にいて、お皿も取ってあげてたし、エビも全部剥いてくれてたじゃん! 見てたこっちがキュンキュンしたわ!」
褒められてご機嫌になる梨花。
笑顔がどんどん深くなる。
「しかもさ……あの目……完全に“彼女を見る目”だったよ〜!」
同級生が茶化すように言ったその瞬間――
梨花の笑顔が凍りついた。
「違うよ」即座に遮り、ぶっきらぼうな声で言い放つ。
「何言ってんの、実の兄だよ」
「あっ……うん、ご、ごめん……」
気まずくなった空気の中、同級生はそそくさと去っていった。
梨花がふと振り返ると、いつの間にか宗一が戻っていた。
何も言わず、ただ静かに彼女を見ている。
慌てた彼女は笑顔を作って駆け寄る。
「お、お兄ちゃん、電話終わったの?」
「ああ」
「さっきの……聞いてた?」
不安げに探るような口調。
宗一は口元に薄く笑みを浮かべ、優しげに言った。
「……何か、聞くべきことだったか?」
梨花は安堵し、「なんでもないよ、行こっ」と明るく言った。
だが――
宗一が自然に伸ばした手を、梨花は一瞬戸惑ってから、そっと避けた。
「え、えっと……人多いから、車の中で、ね……」
宗一は何も言わず、静かに手を下ろした。
車に乗り込む直前、宗一はふとレストランの看板を見つめた。
その視線をたどって、梨花も同じ方向を見る。
「お兄ちゃん?何見てるの?」
宗一は一瞬だけ黙っていたが、やがてぽつりと「……なんでもない」と答えた。
――このレストランは、かつて朱音が「一緒に行きたい!」と何度もせがんだ店だった。
渋々連れて行ったあの日。
朱音は彼の好みに合わせて選んだ控えめなワンピースを身にまとい、山のような料理を頼み、満面の笑みで迎えてくれた。
二時間も遅れてきた彼を、朱音は一言も責めなかった。
――「いっぱい頼んじゃった! 冷める前に食べよ?」
あのときの彼女の瞳は、世界でいちばん幸せそうに輝いていた。
――「お兄ちゃん?」
梨花の声に現実へ引き戻され、宗一は目を伏せて無言で車に乗り込んだ。
*
夜――
二人は御門家の本家に戻って夕食を囲んでいた。
宗一の両親はまだ朱音との離婚を知らず、当然のように尋ねてくる。
「朱音ちゃんは? 今日は一緒じゃないの?」
宗一が答えようとする前に、梨花が先に口を挟んだ。
「用事があって、今日は来られないの!」
父は納得したように頷き、話題を変える。
「梨花、君もそろそろ良い縁談を考える年だ。候補を何人か挙げておいた。今度写真見せるよ」
梨花は一瞬ぎこちなく笑い、そしてすぐににっこりと微笑んで応える。
「うん、パパの言うことならなんでも聞くわ」
その返事とは裏腹に、テーブルの下で宗一の手をきゅっと握る。
「心配しないで」
――そう言っているように。
宗一は何も言わず、ただ視線を落とした。
*
帰りの車内――
梨花は助手席で甘えるように話しかける。
「さっきパパが言ってた話、あれは適当に合わせただけだからね?怒ってないよね…?」
宗一は前を向いたまま、淡々と返す。
「…ああ」
*
その夜――
風呂から上がった宗一が寝室の扉を開けると――
そこには薄いネグリジェ姿の梨花が、当然のようにベッドに横たわっていた。