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第13話

「――出ていけ」

宗一は、冷たい声でそう言った。


その言葉に、御門梨花は唇を尖らせて甘えるように言った。

「私たち、もう恋人同士なんだよ?一緒に寝るくらい、当たり前じゃん」


彼がまったく動じないのを見ると、梨花の目にうっすらと涙がにじんだ。

「……追い出すなら、泣いちゃうからね?」


宗一は目を伏せ、深く息を吐いた。

そして――妥協した。


それを察した梨花は、満足げに笑い、枕の下から一束の古びた手紙とスケッチブックを取り出す。

「見て見て、これ――私が中学生の頃に書いたお兄ちゃんへのラブレター!」


興奮気味にページをめくり、声に出して読み始める。

「『今日もお兄ちゃんが笑ってくれた。私、お兄ちゃんのことが大好き……』」


読み終えると、彼にぎゅっと抱きつき、嬉しそうにすり寄る。

「まさか、お兄ちゃんも私のこと好きだったなんて…夢みたい!」


宗一は長く沈黙していたが、やがて低く口を開いた。

「――結婚しよう」


梨花は一瞬、時が止まったように固まり、顔を上げる。

「……えっ?」


宗一は同じ言葉を繰り返した。

「梨花、結婚しよう」


「ちょ、ちょっと待って……それ、早すぎない…?」


「私と一緒にいたいなら、避けては通れない道だ」

宗一の声は静かだが、どこまでも確かだった。


「恋愛をするなら、堂々としたい。 遅くとも一ヶ月以内、御門家の戸籍を抜いてもらう。 関係を公表して、それから正式に結婚しよう」


梨花の顔から血の気が引き、青ざめたまま首を振った。


「だ、ダメ! 戸籍を抜けって、それじゃ私、御門家のお嬢様じゃなくなるじゃない!

 公表なんてしたら、きっと皆から“義兄を誘惑した女”って見られるに決まってる…!

 結婚も…パパもママも絶対に許さないよ! 無理! 絶対に無理!」


宗一はまっすぐに彼女を見た。

「つまり、私には“影の恋人”でいろと言いたいのか?」


「違うのっ!そういうつもりじゃなくて……」

涙を浮かべ、梨花は必死に宗一の手を掴む。


「ただ……誰にも知られずに、そっと付き合えればいいの! 他のことは何も変えたくないの……お願い、それでいいでしょ?」


宗一は無表情に尋ねた。

「今日レストランで、俺を“兄”だと否定したのも、それが理由か?」


梨花の体がびくりと震えた。

「……聞こえてたの?

 ……わざとじゃないの。ただ、周りに変な噂をされるのが怖くて……怒らないで、お願い……私、ただ……ただ怖がりなだけで…」


「縁談の話に笑顔で頷いたのも、“怖かったから”か?」


梨花はうなずくように首を何度も振った。

「そうよ! あとで断るつもりだったの、ほんとに……信じて!」


宗一は静かに首を横に振った。その眼差しに、初めて「諦め」の色が浮かぶ。


「梨花……私がずっと君への気持ちを抑えていた理由、わかるか?」

彼の声は穏やかで、それでいて深く突き刺さる。


「君に嫌われるのが怖かったからでも、断られるのが嫌だったからでもない。


 ただ……私は、君が“自分のことしか考えない”人間だと、知っているから。


 君は、私との関係だけを求めて、それ以外のものは一切差し出す気がない。

 私のことは好きでも、御門家のお嬢様という地位は捨てられない。人からどう見られるかを気にして、親の期待を裏切るのも怖い。


 そんな君を……私は、責めたくなかった。無理に変えようとも思いたくなかったんだ」


梨花は泣き崩れ、震えながら宗一の腕にすがりついた。

「だったらなんで私と付き合ったの!? そんなに全部分かってたなら、最初から断ってよ!」


宗一は静かに彼女を見つめ、低く呟く。

「……最後に、一度だけ賭けてみたかったんだ」


短く息をつき、静かに告げる。

「……もう終わりにしよう」


梨花は必死で彼の腕を抱き続け、涙で彼の袖を濡らす。

「わかってる、わかってるよ……私、自分勝手で臆病で……でも、でも、それでも……それでも、好きなんでしょ……?

 だったら、もう一度だけでいい、私を――」


だが、宗一は彼女の指を一本ずつ、冷静に剥がしていった。


「何にでも目をつぶれる。だが……これだけは、譲れない。

 君が私を選ばないのなら……私たちはまた、兄妹に戻るだけだ」


梨花の涙が頬をつたった。次の瞬間、彼女は乾いた笑い声を上げた。

「ねえ、もしかして――

 最初から、私と付き合うって言ったときから、今日のこと……想定してたんでしょ?


 この数日、私とデートして、笑って、優しくして……全部ただの“おままごっこ”だったんでしょ?

 私が少しでも“御門宗一の理想”から外れたら、はい終了。……そうなんでしょ?


 お兄ちゃん、まだ羽瀬川朱音のこと忘れてないんでしょ!?

 ねぇ、好きなんでしょ? あの女のこと!」


宗一はしばらく黙っていたが、やがて小さくうなずいた。

「……ああ。確かに、彼女のことを考えている。彼女とはまだ、離婚もしていない。

 好きかどうかは、まだ分からない。でもひとつだけ確かなのは――

 彼女のいない日常が、耐えられない」


梨花はまるで力を吸い取られたように、後ろへよろめいた。そして、無理に笑顔を作ろうとしたが――

笑っているうちに、また涙があふれてきた。


「……お兄ちゃん、あの人はもう戻ってこないよ?」

「――戻るさ」

宗一は、迷いなく答えた。


「朱音は私のことが好きだった。だから、私が迎えに行けば――きっと帰ってくる」


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