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第20話

消毒液の匂いが鼻を刺し、痛みが広がる。

御門宗一が目を開けると、目の前には真っ白な天井が広がっている。


指を動かそうとしたが、全身の骨がバラバラにされて組み直されたような激痛が走った。

「目、覚めたか」


羽瀬川尚人が病床の脇に座り、ゆっくりとリンゴをむいていた。

その刃先が冷たい光を反射し、彼の目にかすかな光が走る。


「まさかあれで生きてるとは思わなかったよ」

「朱音は…?」

「隣の病室で、惟成の看病してるよ」


尚人は冷笑しながら言った。

「わざと火をつけて、君たち両方に薬を盛った。四肢が動かないようにな。走るどころか立つこともできないはずだったのに、朱音が最初に助けに行ったのは――惟成だった」


リンゴの皮が「パリッ」と音を立てて切れ、ゴミ箱に落ちた。


「お前、見てなかっただろうけど、朱音はすごく焦ってたんだ。ずっと一晩中守って、目が腫れるほど泣いてた」


その言葉一つ一つが、鈍い刃物のように宗一の心を切り刻んでいく。


火事の中で、朱音の冷たい目を思い出す。

彼女が振り返ることなく去っていった背中を思い出す――

彼女は本当に他の人を愛してしまったのだ。


その認識が胸を締めつけ、息が詰まりそうになる。


「なぜ……」彼の声はかすれていた。「なぜ、そんなことを…!」


――ガタン!


ナイフがベッドのサイドテーブルに突き刺さる。


尚人は突然立ち上がり、目の奥に激しい怒りを浮かべた。

「なぜだって? 決まってんだろ、お前にも捨てられる気持ちを味わわせてほしかったんだよ!」

彼は宗一の顔に拳を叩き込んだ。

瞬間、血が口元からこぼれた。


「御門宗一……俺は、本気でお前に死んでほしいと思ってる。

 朱音が泣きながら俺に電話してきたとき、最初はただの夫婦喧嘩だと思ってた。拗ねてるだけだと…。

 でもまさか、あんなことがあったとはな――!」


彼は御門宗一の襟首を掴み、手の甲の血管が浮き出た。

「お前はな、朱音がお前の妹に瓶で頭を叩かせ、髪を切らせ、百回も打たれて…!それどころか、毎日お前は禅房であのクソドールで抜く姿を朱音に見せつけて……!」


尚人の目が怒りで血走る。

「お前に妹がいるように、俺にも大切な妹がいる!」


もう一発、容赦のない拳が飛ぶ。宗一の意識が暗くなりかけても、彼は抵抗の一つも見せなかった。


「誰の妹だって、大切に決まってんだろうが!お前の家が名家だろうが、羽瀬川家だって黙ってはいない!

俺はお前をダチだと思ってた。だが――お前は俺の妹を、何だと思ってんだ――!」


尚人の拳が何度も降り注ぎ、ようやく医者と看護師が飛び込んできて、ようやく彼の腕を押さえつけた。

乱れたスーツを直しながら、尚人は病床の宗一を見下ろし、冷たく吐き捨てる。


「――もう、言い訳なんて通用しないぞ」

宗一は唇の血を拭い、ゆっくりと目を閉じた。

「……何も言うことはない、私が悪かった。」


声は微かだった。

「……もし、これで気が済むなら……朱音を……連れ戻してくれないか……」

「ふざけんな!」


尚人は点滴スタンドを蹴り飛ばす。


「久我惟成は、十年越しに彼女を想い続けてたんだ。お前が六年かけて壊したものをな!


 お前はラッキーだよ、惟成が全部を知ってたら、俺より先にお前を殺してただろうよ。あいつといてから、朱音は…二度と泣いたことないんだ。


 お前みたいなクズのそばに置くくらいなら、彼女に独りでいてもらった方がマシだ!」


宗一は、力を込めてシーツを握りしめた。

「私は……諦めない……」


尚人は鼻で笑う。

「勝手に足掻け」


背を向け、出口へ向かう。だがふと足を止め、振り返ると、あざけるように笑った。


「そうそう。お前の狂った妹のこと、忘れてたよ!


 婚約者、替えてやったよ。

 五十のジジイ。三人の元妻を死なせてるヤバいやつ。


 この婚約のために、プロジェクトで値引きしてやったんだ。お前の両親も大満足。

 所詮、養女だしな。使えるもんは使わなきゃってか。


 一昨日、もう式は済んだ。……電話、来なかったのか?」


そう言って、尚人は扉を乱暴に閉めて去った。

病室に静寂が戻る。


宗一は天井を見つめながら、ふいに――笑った。


これは……報いだ。

全部、自分が撒いた種だった。


そんなとき、枕元のスマホが震える。

画面に映った名前は――御門梨花。


「お兄ちゃん!」

電話越しに、裂けるような嗚咽が響く。


「助けて! パパとママが突然おかしくなって、私をあのジジイに嫁がせたの……電話もさせてもらえなくて、ようやくスマホを取り戻せたの……!


昨日の夜中、ずっと……ずっとあいつに……!


怖いよ、いやだよ、お兄ちゃん……私……後悔してる、すごく……!

お兄ちゃんのことが好きだったの、今も、ずっと……お願い、お願い、私を見捨てないで……!」


宗一は黙って、その全てを聞いた。

そして、静かに口を開いた。


「……梨花。お兄ちゃん、昔言ったよね?


 ――間違ったことをしたら、代償を払わなきゃいけないって」


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